はい。そうなんです。50歳まで骨折や入院と無縁だった私でしたが、とうとう人生初手術を受けることになってしまいました。しかもオランダで。
昨年2024年の夏頃に下腹部の痛みを覚え、時々激しい痛みが走るというような感覚があり、これは2016年に罹った「尿管結石」の再発だと信じて疑いませんでした。
尿管結石は尿管にカルシウムの様な塊ができ、その塊(結石)が極細の尿管を移動する際に激痛を発するという病状で、その時はその時であまりの激痛に気を失いかけて日本で初めて救急搬送されるという体験をしたのですが、結局尿管結石は尿と共に排出するのが一般的とかで、タイミング的にオランダ移住直後にオランダのトイレにカランと音を立て排出された経験から、あの時よりは結石が小さいんだなという程度の痛みだった為、ある意味また自然治癒だなとタカを括っていました。
が、前回の尿管結石よりもかなり左側に痛みがあった為、尿管ってこんなに左だっけかな?と疑問に思いながらも然程気にしていませんでした。
そんな夏の終わり、そこそこ大規模な引越し業務の中で重たく大きなダンボールを持ち上げた際に左下腹部に裂けるような激痛が走り、思わず呻いてうずくまってしまいました。
しばらくすると痛みも和らぎ、その後も問題なく引越作業も終えたのですが、その日を境に左下腹部辺りで時々コポコポと音がするようになり、更に時間が経過すると左下腹部の腫れが分かるようになり、痛みの頻度が高まって来ました。
症状などをネットで調べるとそれは「鼠径ヘルニア」という、いわゆる脱腸という病気の可能性が高く、ハウスアーツ(ホームドクター)に予約し診てもらうと、多分鼠径ヘルニアかな?といつもの緩い感じでした。
Wikipedia引用 : 鼠径ヘルニア
別名:脱腸。腹腔内容物(腸管や脂肪)が、腹壁に生じた(または生来有する)欠損部(脆弱となった部分)を通じて飛び出す状態のことで、左右の太腿の付け根部分に発生するヘルニアの総称を「鼠径ヘルニア」といいます。
要は内臓を支える腹膜筋が破れ、その破れ目から腸がはみ出てくる症状のことで、40〜50代の男性に多く見られる割とポピュラーな疾患で、父も義父も過去に手術を受けたことがあることを初めて知りました。
肉体重労働や無理な筋トレなど含め、50年間蓄積して来た負荷にとどめを刺す形で左下腹部辺りの筋膜が破れ、その破れ目から腸がズリ落ちて来るようになり、キッチンなどでしばらく立っていると痛みが大きくなって、左下腹部にポコんと腸がズリ落ち、その部分をグッと指で押し込むと腸が元の位置に戻るというような状態でした。
ポコポコ音は軌道が変わった小腸に物質が通り過ぎる時に発する気泡?の音で、飛び出た小腸をそのまま放置してしまうと嵌頓(かんとん)と呼ばれる腸が働かなくなってしまう状態になり、その部分が壊死して腸閉塞などの命に関わる危険な疾患に至ることもあるそうで、とにかくポコんと腸が飛び出たらパンツに手を突っ込んで左下腹部を押し込む日々でした。
また、腸がズリ落ちて来ると痛みが伴うので、走ったり筋トレなどの運動も止めた方が良いということで、これまでの人生で一番体重が増えてしまい、デブ記録を更新してしまいました。
#食べる量は抑えられなかった
鼠径ヘルニアは自然回復は期待できず、手術で筋膜を繋ぐか、メッシュのような人工筋膜を当てがうしかないそうで、オランダの医療システムに沿って、ハウスアーツに紹介状を送信してもらい、大病院の診療予約の返信を待つ状態で、何度も電話でも催促もして、結局受診できたのはそれから2ヶ月後ぐらいの2024年の12月5日でした。
12月10日にはエコー検査も実施し、やっぱり立派なでっかいヘルニアだねということで、手術のウェイティングリストに載った状態になり、手術日を組んで連絡すると言われたすぐ直後に病院から2月17日の予約メールが来て、手術日は2月17日だなと首を長くして待っていたのですが、なんとそのメールは長女のアレルギー検査のメールでタイミング的に僕の手術日と思い込んでいたことが直前に発覚しました。
では肝心の鼠径ヘルニアの手術日はというと、完全に忘れられていたようで、そこから病院に電話しまくったり、子どもの受診のついでに直接確認に行ったりということを何度も続け、結局受診から3ヶ月以上経った3月18日に手術日がようやく決まりました。
#オランダあるある
そして手術当日、朝7:00過ぎに一人で乗り慣れないバスに乗り病院へ行き、事前に言われた病院の待合所へ向かいました。
おそらく決まったカテゴリーの手術を同日にまとめてやるシステムなのか、待合所から次々に名前を呼ばれてどこかに連れて行かれ、最後に呼ばれた僕も担当の看護師さんに着いて行くと、4組ベッドのある手術患者用の待機用の病室のようでした。
そこでパンツ一丁になり、手術用の服に着替え、ベッドで横になって待ちます。
しばらくすると時間が来たようで、ベッドごと手術前の準備室のようなスペースに運ばれます。
そこは少し広くなっていて、手術患者の回復室のような所で、僕の他に数人の患者さんが運ばれて来たり出て行ったり。
そこで血圧を計ったり、これまた人生初となる点滴を腕に施してもらったりしました。
この点滴は何なのか?ひょっとしてこれが全身麻酔なのか?言語が不自由なので特に何か質問できる訳でもなく、とにかく流れに身を任せますが、左手の結婚指輪を取らないといけないということで、外そうと試みましたが指が太り過ぎて指輪が抜けず、看護師さんが洗剤を含ませた紐のようなものを使って外そうとしてくれましたが、それでも指輪は抜けず、もういいやとなりましたw
#肥満すまん
全然眠くならないんですけど?麻酔が効かなかったらめちゃくちゃ痛いんじゃないか?とか不安になりながら、手術用のキャップを被らされ、いよいよ手術室へ運ばれると、そこはよくドラマなどで見る無数のライト群が設置されている青っぽい部屋で、運ばれたベッドから自力で手術台へ移動するように促され、いよいよ緊張マックスです。
担当医と挨拶を交わし、名前や誕生日を聞かれたり、ヘルニアの手術で間違いないか?麻酔明けは肩が痛くなることがありますとか等いろいろ確認があり、こちらもよくドラマで見る口に当てる吸入マスクのようなものを当てがわれる時に「あ、これが全身麻酔なのか」と早とちりだったことを一瞬恥ずかしく思った瞬間から記憶はなく、次に目が覚めると小一時間後で先程の回復室にいました。
今回の鼠径ヘルニアの手術は患部にメスを入れるわけではなく、おへその上下と左右の横腹に少しずつ穴を開け、内視鏡でお腹の中をモニターに映しながら、破れた筋膜にメッシュを当てがい縫合するというもので、ぼーっとしたまま全く手術をされたことも分からないままでした。
#全身麻酔恐るべし
しばらくして、家事を終わらせて駆け付けてくれた妻と長男が待機する最初の病室に運ばれ、丁度お昼に差し掛かる時間だったので食パンとハムとチーズとオレンジジュースをもらい、朝から何も食べてはいけなかったのでお腹が空いた気がしてそれらをペロリと平らげました。
小一時間程して血圧と体温を計り、血圧は上が180を超えており、体温も38°を超えていたのですが、まあ手術後だしねと特に問題ないとの判断で病院一階にある薬局で痛み止めなどの処方箋などをピックアップして即日退院ということになりました。
ゆっくり着替えを済ませ、まだ全身麻酔が抜け切っていないのとお腹に力が入らない状態だったので車イスに乗せてもらい、病院1階にある薬局まで送ってもらうことになったのですが、その時急な吐き気をもよおしたものの、何とか堪えて、薬をもらい、フラフラしながら妻と一緒にバスでゆっくり家路につきました。
こうして人生初となる手術を終えたのですが、まさかこの時はそこから地獄が始まるとは想像だに出来なかったのです。
つづく...