"TVXQ "is the best gift of my life! | 東方の神が起き上がる瞬間

東方の神が起き上がる瞬間

東方神起をオタクに地味に考察しています。最新情報を追ったり紹介はしていないけど、ひとつのことを長くかみしめ、長く味わうwがテーマ。・・・なんてね。

日本でのファンミが近づいてきていますね。
行ける人も行けない人も、12月を目前に控えたこの時期は、何かと忙しいのではないでしょうか。

そんな中で東方神起10周年の特集として発売された『celebrity』ですが、チャンミンの「東方神起は僕にとって人生最高の贈り物であり幸運そのもの」という言葉を見つけてから、なんとなくその言葉がずっと頭の中に残っています。

「〇〇は自分にとって人生最高の贈り物であり、幸運そのもの」

この〇〇の中に、自分だったら何をいれるかなあって。

子どもがいる人は間違いなく、子どもが入るだろうね。
新婚さんとか、付き合ったばかりの恋人がいたら、相手の名前が入るかな。

でもそれよりも人生の終わりや、恋の終わりに、相手の名前が入ったらいいなあ。
それはとても素敵な人生だし、たとえ終わるとしても素敵な恋だったという事になるから。

そしてきっと、この〇〇の中に、チャンミンみたいに仕事を入れることができる人は、間違いなく最高の人生を送っている人だという気がする。

仕事って結局生き方につながっていく。
どんな仕事をするのか、どう仕事に向き合っていくのかは、その人の人生そのものだから、やっぱり自分の仕事を”最高の贈り物”と思えたら、いいよね。

チャンミンの場合は特に、このインタビューの中でも語っているように、けっして自分が望んで入ってきた道ではなかったし、ユノとは対照的に、自分の夢だった仕事ではないからこそ、それを”最高の贈り物”なんだと思えるようになるまでの心の変化に、色々感じちゃうんだろうなあ~。

”人生が自分に配ったカードは、ただ受け入れるしかない。

しかし手元に来たカードの使い方を決め、勝機をつかむのは、自分自身である。”

これは18世紀に活躍したフランスの思想家ヴォルテールの言葉なんだけど、チャンミンの人生を、遠い場所で見つめながら時々思い浮かぶのが、このヴォルちゃんの言葉。

人生には、実は自分で選びとれるものは案外少ない。多くのことは、向こうから勝手にやってくる。生まれる国も、生まれる家も、性別も、出会う人々も、訪れる幸運も不運も選べない事だらけだよね。

病気やケガだって、気を付けていれば避けられる訳じゃないし、ある日いきなりやってきて、一緒に歩んでいくしかなくなる。

だけど、それですら、自分に配られたカードとして勝機をつかむきっかけにできるなら、人生って捨てたものではないって思える。

チャンミンにとっては、最初、「やる気がないならやめろ」と言い放ってきた怖い先輩だったユノ。でもその人と一緒に「東方神起」というグループをやる事になって、「東方神起」で最高の夢をつかみたかったユノと同じように、自分にとっても「東方神起」は最高の夢であり贈り物なんだと感じられるようになっていくチャンミン。

その姿はまるで、よくできた青春映画みたいに感じるの。
色々あったけど、その言葉が聴けて本当に良かった。
ファンならきっとそう思ってしまうね!

一方、ユノ。”舞台の上の哲学者”と評されていたけど、目標に向かって歩み続ける自分の姿を、山登りにたとえる姿は、多くのファンがずっと受け取ってきた、求道者そのもの。

”最も尊敬しているお父さんが、かつてこんな話をしてくれたことがあります。故郷にある無等山が最も高い山だとしたら、その山の頂上に登りきって、初めて別の山の頂上が見えるのだ、と。

そこで、無等山よりもはるかに高い白頭山が見えたら、今いる無等山を下りて、再び麓から白頭山の頂上に向かわなければならない。山の中腹でやめてしまえば、他の山の頂上は雲や霧に隠されて見えないままだから、やはり頂上に向かわなければならない。そのようにして山を下り、新たな頂上を目指して登り続けること、それが人生というものだ。そう父が教えてくれました。”


2011年再始動の年に、「今、上るべき山の頂上が見えた。新しい頂上に登るには、一度今いる山を下りなければならない。」とユノが雑誌のインタビューで話していたのが印象的だったけれど、元々はお父さんのお話だったんですね~。

そんでもって人生の登山家が、今から向かう山は”エベレストの頂上”だそうです。
エベレスト・・・・チャンミ~ン!武運長久を祈ります・・・・ご無事で!!

ユノのこうした「至高を目指す」性質にふれるたび、以前引用したこともあるけど、ヘミングウェイの、「キリマンジャロの雪」の冒頭の部分に出てくる、美しい豹のことを思い出す。

”キリマンジャロは高さ19710フィートの雪におおわれた山で、アフリカで最も高い山だと言われている。その西の頂きは、マサイ語で”ヌガイエ・ヌガイ”----”神の家”と呼ばれており、その山頂のすぐ側には、ひからびて凍りついた、一頭の豹のしかばねが横たわっているという。そんな高いところまで、その豹が何を求めてきたのか、説明できたものは、今まで1人もいない。 ”・・・・・・・アーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」


前回は、少しさびしい内容の中で引用しちゃったけど、この「豹」は決して不幸の象徴ではないんだ。

彼は気高さや美しさ、理想といったものを求めてやまない精神そのものであり、地上のハイエナたちのように、誰かの「残りもの」にあずかるしかない生き方を誇り高く拒絶する、孤高の魂そのもののシンボルだと、私は思うの。


素晴らしいクリエーター達は、皆、登山家に似ている 彼らは常に頂上を目指し、決してあきらめることがない。頂上に登りつめた、と見える瞬間でも次の高みを発見し、そこに向かって、再び苦しい闘いを開始し始める。
何が彼らをそこまで駆り立てるのかは分からない。

ちょうど、豹が何を求めてそんな高みへやってきたか、誰も分からないように。
豹自身にだって、分からないに違いない。ただ、それが自分の生き方なんだという確信があるだけ。

自分で選んだ訳ではない人生にぶつかり、たくさんの愛と憎悪を受けてきた少年は、いつしか自分の人生を翻弄しつづけてきたものを、「人生最高の贈り物」と評するようになり、

自分の夢そのものなんだ、と全てを捨てても手に入れたいと願った少年は、何度も苦境に立たされながらも、更なる高みへと夢を見続ける情熱を失わない。

まるで壮大な映画のように、一冊のかけがえのない書物のように、”東方神起”はそれを愛する人の間で”読まれ”ていく。

そして自分自身の乗り越えなければならない”山”を乗り越える勇気を、彼らの物語の中から受け取る時、ファンはきっとみんな思うんだよね。

”東方神起は私の人生最高の贈り物、最高の幸運”