映画『こちらあみ子』を観てきました。

 



ストーリー
あみ子はちょっと風変わりな女の子。優しい
お父さん、いっしょに遊んでくれるお兄ちゃん、
書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる
お母さん、憧れの同級生のり君、たくさんの人に
見守られながら元気いっぱいに過ごしていた。
だが、彼女のあまりに純粋無垢な行動は、
周囲の人たちを否応なく変えていくことになる。
誕生日にもらった電池切れのトランシーバーに
話しかけるあみ子。「応答せよ、応答せよ。
こちらあみ子」―――。奇妙で滑稽で、
でもどこか愛おしい人間たちのありようが
生き生きと描かれていく。

ひとり残された家の廊下で。みんな帰ってしまった
教室で。オバケと行進した帰り道で。いつも会話は
一方通行で得体の知れないさびしさを抱えながらも、
まっすぐに生きるあみ子の姿は、常識や固定概念に
縛られ、生きづらさを感じている現代の私たちに
とって、かつて自分が見ていたはずの世界を
呼び覚ます。観た人それぞれがあみ子に共鳴し、
いつの間にかあみ子と同化している感覚を味わえる
映画がここに誕生した。
(以上、公式サイトより転記)


大好きな映画監督の今泉力哉監督が大絶賛して
いたので、絶対観ようと楽しみにしていました。

今日は、少しネタバレがあります。


とても良い映画だったけど、切なかったです。
観る前は、理解ある両親のもとでのびのび育つ
女の子をイメージしていました。
でも違っていました。

あみ子は小学生だけど、中学生になっても
5歳児くらいの振舞いで、家族や同級生を
困惑させます。

「応答せよ応答せよ、こちらあみ子」
そう繰り返すあみ子は、ただ遊んでいるようでいて、
後半に進むにつれ、これはあみ子の心の叫びなんだと
染みわたってきて、胸の奥がツンとしました。

井浦新さん演じるあみ子のお父さんは無口で、
話すときのトーンも静かで、一見良いお父さん
みたいだけど、実際は怒ったり怒鳴ったりしない
代わりに、あみ子やあみ子の兄に向き合っても
くれません。
あみ子の中学生の兄が部屋でたばこを吸っていても
「火の始末に気をつけろ」としか言わないし、
あみ子が顔面血だらけでいても、そうなった理由を
尋ねてもくれない。
とても無関心。
血だらけのあみ子をおんぶして慌てて病院に
走ったときは、お父さんの良い変化を少しだけ
期待したけど、お父さんは最後まであみ子と
向き合ったり包み込んだりしてはくれませんでした。

あみ子は「みんな毎日秘密にする」とひとりごとを
言います。
みんな、あみ子には理解できないと決めつけて
誰もあみ子に教えてくれないのです。
この一言が、とても胸に刺さりました。

あみ子のお兄ちゃんは優しいなと感じました。
お母さんが臥せってしまってから、
お兄ちゃんはグレてしまうのですが(グレるって
今も使いますか…?)、もっと小さな頃は、
お兄ちゃんだけはあみ子の言動を注意してくれたり、
人との付き合い方を教えてくれたりしていました。
グレちゃったけど、もしかしたらそれも、
あみ子を守るためだったんじゃないかという
気さえしました。お兄ちゃんがヤンキーだったら
みんな怖がってあみ子はいじめられないから。
それでもお兄ちゃんにも思春期はあって、
あみ子にイライラしてしまうこともある。
だけど、あみ子が怯える「おばけの声」の存在を
信じてくれたのはお兄ちゃんだけでした。
そしてあっという間にその正体を暴いて、
蹴散らして、あみ子を恐怖から救ってくれるんです。
乱暴だけど、心の奥には妹のあみ子に対する
愛情が見えました。

あみ子は、人の気持ちを理解するのも難しいけど、
同じくらい、自分の感情を表現することも苦手。
それでもあみ子は一生懸命発信します。

「応答せよ応答せよ、こちらあみ子」
壊れたトランシーバーに向かってそう繰り返し、
応答を待ち続けるあみ子に胸がいっぱいになります。


生きるのって苦しいですね。
あみ子はなにも悪くないのに、みんなに疎まれて
しまう。
お父さんの子供に対する無関心はひどいように
思われるけど、お父さん自身もたぶん
どうしたらいいのかわからないでいるんです。
大人だからって何でも完璧にはできない。
お母さんは傷つきすぎて心を病んでしまっていて、
この家族の中でお兄ちゃんがこうなるのは必然。

切ないしどうにもならない現実に途方に暮れて
しまうけど、あみ子はそれでも生きていきます。
「こっちにおいで、一緒に行こう」と手招きする
おばけたちに、迷うことなく大きく手を振ります。
あみ子の純粋さと強さに圧倒されました。



本当は、あみ子を演じた大沢一菜ちゃんと
森井勇佑監督の舞台挨拶付きの回を観に行ったの
ですが、おふたりともコロナに感染してしまった
そうで来場できず、その代わり上映後に、
別々に撮られたおふたりのコメントが
上映されました。

大沢一菜ちゃんはまだ11歳で、撮影時はもっと
小さかったと思います。それであみ子を演じるのは
本当に難しかっただろうと思うのですが、
あみ子じゃない素の大沢一菜ちゃんは、
半分あみ子で、半分一菜ちゃんみたいな感じで、
とてもしっかりしているけど、
その奥にあみ子もいて、素敵な子でした。
一菜ちゃんの後に流れてきたコメント動画の中の
森井監督は、一菜ちゃんより緊張していて、
監督の中にもあみ子らしき影が見えるような
気がしました。

誰の中にもあみ子がいるのかもしれません。
それを思い出して見つめることができたなら、
あみ子に対する理解が深まって、あみ子にとって
もっと良い世界になる気がします。
あみ子にとって優しい世界は、誰にとっても
優しい世界なんじゃないかと思います。

あみ子のトランシーバーに応答してくれる人が
ちゃんと現れて、あみ子がこの先の人生を
楽しく笑って生きていけますように。
思わずそう強く願っていました。