”負けじ魂”で、力強く前進‼ | 現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代社会は、科学の発達により利便性が向上しました。しかし、生活面の向上が精神面の向上に必ずしもつながっていないと思います。鎌倉時代の混乱期に、人々を絶対に幸福にしたいと願い行動した日蓮大聖人の言葉と精神を、平易な言葉で伝えていきます。

 

勝負には勝ち負けはつきもの

 スポーツは勿論、あらゆるものに”勝ち負け”が求められ、そして付いて回ります。勝ち負けの決着を求めていなくても、そして望んでもいないのにです。ある面では、それぞれの人生そのものまでが、”勝ち組”、”負け組”と判断されレッテルを貼られてしまうことさえあります。ですから、勝負に臨んだ経験から、古の人々より、「勝って兜の緒を締めよ」「負けるが勝ちよ」「勝負は時の運」「絶対に絶対はない」「強い人が勝つのではなく、最後に勝った人が強い」等々のことわざや名言が生まれてきました。どれもそれぞれに深い意味を感じます。また戦いに臨むにあたっては「負けじ魂」という言葉もよく聞きます。そこからは、強く結果へのこだわり、執念、信念等を感じます。1月から2月に開催された、アジアカップサッカー選手権、少し前になりますが、まだ記憶に残っている人もいると思います。また、つい先日までU23のサッカー・オリンピック予選も行われました。最近では、アジア各国のサッカーのレベルが上がってきて、グループリーグでも5点以上の差がつくような試合は滅多にありません。どの試合も僅差の勝負です。日本もまたグループリーグで苦戦しました。そして、グループリーグの勝ち抜けが決まるような一線では、それこそ熾烈な戦いを展開しました。決勝トーナメントになると、また更にさらに戦いが7激化しました。時には両チームで数枚のイエローカードが出たり、退場者を出した試合もありました。負けていたチームが、後半のロスタイムでギリギリ追いつき、延長戦、PK戦までいって勝ちあがったという試合もありました。時には、前後半、延長戦を1-1で迎え、延長戦のアデッショナルタイムで執念の一点をもぎ取って勝利を収めたというゲームもありました。そして、長いアデッショナルタイムの後、ゲームが終わった後には、勝ったチームも負けたチームも、選手がグランドに倒れこむシーンが見られました。本当に死力を尽くし精魂を使い果たしたという姿です。視点を変えPK戦に関して言えば、ネットで調べたところによると、チェコのアマチュアリーグで、PK戦が世界最長となる両チーム合計52本目までもつれる試合があったということです。それはSKバトフ1930とFCフリスタークによる同国5部リーグの試合で、3-3で迎えたPK戦をバトフが22-21で制した。チェコ南東部の小都市に拠点を構える両チームのPK戦では、4-4、11-11、14-14の場面で後攻のフリスタークに3度の勝機が訪れたが、いずれも選手がシュートを外した。そして迎えた26人目のキッカーの場面で、バトフ側がPKを成功させ、フリスターク側のシュートは失敗に終わると、148人の観客からは安堵(あんど)の拍手が起き、「やっと終わった!」と声を上げる人もいた。最後のキッカーとなったフリスタークの選手は、PKを失敗したことでチームメートから批判されることはなかったと明かしており、「家に帰れるから彼らは喜んでいたよ」と話していたそうです。日本で見れば、冬の風物詩の高校サッカー。そのPK戦記録で、19年1月2日の全国選手権2回戦で帝京長岡(新潟)-旭川実(北海道)の17-16が大会記録となっています。2-2のままPK戦に突入し、延べ38人が蹴った。選手権の予選では21-20という記録があり、10年度の福岡県大会決勝で九州国際大付が東福岡と22人ずつ、延べ44人が蹴って決着は2巡目のGK対決だったそうです。ここまでくると、サッカーの力の差はほとんど変わりありません。違といううとすれば、「絶対に勝つ」執念と精神的持久力だと思います。それを”負けじ魂”を名付けるならば、その”負けじ魂”が、チームの一人ひとりにどれだけ深く植え付けられていたかでしょう。大谷選手を要したWBCの栗山JAPANも、逆転に次ぐ逆転で優勝を勝ち取りました。ハラハラドキドキで、感動的な優勝でした。だから結果的に、「強い人が勝つのではなく、最後に勝った人が強い」ということになるのでしょう。

 

仏法は勝負を先とする…!

 時代も次元も違いますが、鎌倉時代に四条金吾という日蓮大聖人の門下がいました。金吾は、謹厳実直で医術にも精通していた

武士でした。曲がったこと、道理にかなわないことが大嫌いで、正論を通していくために、そのために同僚や兄弟からも、疎まれ憎まれることがありました。日蓮大聖人から法華経の正しさを学ぶと、間違った宗教をしている主君に、法華経に改宗すること勧めました。しかし、それがきっかけで、主君から疎まれ、領地減らされたり、辺鄙な領地に替えられたりしました。これは、武士にとっては大きな死活問題でした。さらに同僚からは讒言されたり、命を狙われたりしました。そのために、生活にも支障をきたし苦しい状況が続きました。しかし、大聖人の指導・助言の下に、短気な性格を見直し、外出にも単独行動を控えました。経済的に苦しい中でも身延におられる大聖人にご供養をお届けし、大聖人門下や同志が苦境に立たされている時には支援しました。そして、何よりも、一時は疎まれていても主君が病気で苦しんでいた時には医術を施し、見事に病気を治しました。それにより主君の信頼を回復し、かっての3倍の領地を賜ったのです。更には、大聖人が鎌倉の江の島の竜の口で処刑されようとしたときは、処刑場まで、大聖人の乗られた馬の口にすがりついて同行し、もし処刑されたならば「自分も一緒に切腹して殉死する」という覚悟も示しました。この時、大聖人は、処刑されることはなかったのですが、佐渡に流されました。そして、極寒の地の佐渡までも師を求めて行きました。結局、四条金吾は、日蓮大聖人の教えと指導を基に、自分自身に降りかかる宿命と闘い、法のため、同志のため、不退転の精神、「負けじ魂」で勝利をつかんだのです。そして、佐渡から鎌倉へ帰る際には、日蓮大聖人の人本尊開顕の書と言われる重書の「開目抄」を、門下一同を代表して授けられました。それほどまだに、愚直に、大聖人を求め、妙法を胸に、腐らず、諦めず、怠らず愚直に信心に励み、一切の苦難・避難・宿命を退け、大勝利の人生を歩み通しました。そしてまた、彼の師であられる日蓮大聖人も、命を狙われる松葉が谷、小松原等の二度の法難、竜の口の首の座、そして伊豆と佐渡と二度の流罪に遭いました。更に弟子の中には、所領を没収されたり、土牢に入れられたり、切り殺されたりする門下もいましました。それでも、末法民衆を苦悩から救済し、社会の平和と自己の幸福の実現のためには「南無妙法蓮華経」を弘めることだという、強い信念と使命と誓願とで、生涯を邁進しました。まさに”負けじ魂”の典型的な見本を示されたのです。結局、大聖人を散々にいじめた平左衛門尉頼綱は、失脚し最後には処刑され一族もろとも抹殺されました。また、頼綱に迎合し結びついて利権を得、権勢を誇り、大聖人を讒言し、龍ノ口の法難の原因をつくった律宗僧侶の良観は、財力と権勢の象徴として建てた極楽寺が大火によって焼失してしまいました。結局、正義は最後には、勝たなければ正義とはならないのです。”負けじ魂”の証明は、経過ではなく結果も大事です。

 

結論:「四条金吾ご返事(世雄御書)」には「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」とあります。同僚の讒言や、幕府や主君からの圧力により、苦境に陥って苦しんでいる四条金吾を激励するために、送られたお手紙です。〝仏法は勝負〟ということは、仏法は、人間の本源的な生命の力を重んじ、それをより強めていくことです。”勝負”といっても、仏法の実践において大事なことは、法の正義を守り、それを全魂こめて実践しきることです。〝さき〟とは、前後の〝前〟ではなく、〝本〟ということです。「妙法を根本にして」ということです。勝負にこだわり策を弄して、正義を歪めるようなことがあっては本末転倒です。また、四条金吾に対して「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。『諸余の怨敵は、みな摧滅す』の金言むなしかるべからず。兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり。」とも、指導されました。

 『法華経』は、あらゆる人々の中に仏と等しい最高の生命境涯がそなわっていることを説いた経典です。ですから、南無妙法蓮華経を唱えることによって、その無限の力を開くことができる、しかし、一般的な兵法や剣術は、その力を引き出す法則を部分的に解き明かしたに過ぎず、『法華経』の信仰を根本にしてこそ、世間にある具体的な方法を生かしていけると言われています。実際に、四条金吾も妙法を唱えきることによって、すべてを乗り切ることができ、この誠意の戦いが、長い展望でみたときに必ず勝利を得るという結果で証明されたのです。

 もし、妙法を持った人が負け続けたら、日蓮大聖人の正義も、正当性も脆くも崩れ去ることになります。だからこそ、”負けじ魂”で、力強く前進することが大事なのです。