「逆境を乗り越えた英雄たち」ルーシー・モンゴメリー | 現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代社会は、科学の発達により利便性が向上しました。しかし、生活面の向上が精神面の向上に必ずしもつながっていないと思います。鎌倉時代の混乱期に、人々を絶対に幸福にしたいと願い行動した日蓮大聖人の言葉と精神を、平易な言葉で伝えていきます。

 

「人間は、世の中の波にもまれて成長していく…!」

 2023年の暮れの聖教新聞に、同年11月に亡くなられた池田名誉会長が寄稿していた「HEROES(ヒーローズ)」という記事が載っていました。それは、ルーシー・モード・モンゴメリー女史の記事でした。そうです。世界中で子供たちに愛されている「赤毛のアン」の作者です。私も、「赤毛のアン」の小説が大好きで読みました。アンが成長してからの「アンの青春」やその後のシリーズも読みました。どれも味があって興味深く読みました。主人公のアンは、孤児院から引き取られた少女でしたが、彼女が逆境を乗り越えながら成長していく姿が、面白おかしく書かれていて、ついアンを応援したくなります。アンは実在の少女ではありませんが、モンゴメリーさんの生い立ちと重なるものがあります。つまり、自分の生い立ちをモチーフにアンの物語を書いたと言えます。モンゴメリーさんは、赤毛のアンの舞台と同じ、カナダのプリンスエドワード島で1874年に生まれました。彼女は、2歳になる前に母親と死別し、父親の仕事の関係で、祖父母の家に預けられました。これが彼女の運命を変えることになりました。文筆に長じた祖父、詩人の大叔父、物語の話し上手な大叔母達に接し作家になることを夢見ました。小さいころから読み書きを覚え、文章を書き続けていました。そして、自分の作品を新聞社や雑誌社に何度も投稿し続けました。時に詩や散文が新聞に載ることはあっても、原稿は送り返される日々。それでも、くじけず書き続けました。進学して教員免許を取得し、教壇に立ちながらもたくさんの作品を投稿し続けました。働きながら作家として活動する苦労は難くありません。時には、早起きして出勤前に執筆したり、時には、寒い冬にかじかむ手で懸命にペンをふるったりと。机に向かえないほど疲労に襲われた日もあったと言います。しかし、「どんなに失望しても決してあきらめない」「いつか目的を達成することができる」と自分を信じて書き続けました。「勝ちとることがむずかしければむずかしいほど、勝利はいっそう甘味であり、永久だと、私は信じている」という強い信念をもって、出版社から原稿を突き返されても、文壇の道で地位を確立するために、寸暇を惜しんで執筆に挑みました。1902年に故郷のプリンスエドワード島に戻ると文筆活動に没頭しました。長編小説にも取り組みました。そんな中で、1年半かけて書き上げたのが「赤毛のアン」です。プリンスエドワード島を舞台に、孤児院から引き取られた少女アンの成長を描き、世界中から愛された小説。しかし、当初は、5つの出版社に原稿を持ち込んだけれど、どこからも採用されませんでした。逆に「この作品を出版する十分な理由が見いだせない」との評価を受けました。モンゴメリーは深く落ち込み、目に入らないようにその原稿を家の箱の中にしまい込んでしまうほどでした。それから2年ほどしたある日、忘れていたその原稿を見つけ出し、読み返し、そして内容は悪くないと確信し、別の出版社へ原稿を送りました。その結果原稿が採用され出版されることになったのです。完成から3年後のことでした。出版後は、瞬く間にベストセラーになり、一躍大人気作家の仲間入りを果たすことができました。しかし、その後家族との死別や出版社との長い法廷闘争などにも直面しました。裁判に関しては、世間からは勝訴は難しいと言われながらも、「不正とごまかしに対して黙ってはいられない」「私は闘争心を盛り上げて、彼らの脅しなどには目もくれず、とことんまで闘う決意をしたのです」と、10年の歳月を闘い勝利をつかみ取ったのです。モンゴメリーは自叙伝の「険しい道」で、「長い長い苦労と努力の末、私はついに『険しい道』を登り詰めたのです。たやすい登攀(とうはん)ではありませんでした。しかし、一番苦しい闘いの最中といえども、高峰を踏破しようとするものにだけ体験できる喜びと痛快な瞬間があるのです」「私と同じように、うんざりするような人生という道程を苦しもながら今もなお歩き続けている人々を励ますことができるかもしれない。私もその苦しい道程を歩き抜いて、今日の私があるのだから」とあります。あの不憫な中にも、元気よく明るく、常に夢をもってはつらつと前に進んでいくアンの姿には、そのような筆者の苦しい道程に裏打ちされていたのだ考えると、感慨深いものがありますね。

 

大きな障害は、勝利の前兆だ…!

 池田大作創価学会名誉会長は、度々モンゴメリーや彼女の作品に光を当ててきました。そして自分のスピーチやエッセイにも取り上げています。例えば、2003年9月5日海外代表協議会でのスピーチでは、「アンの言葉」と通して、このようにスピーチをしています。「『わたしはね、小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになった』 大きな障害は勝利の前兆ーーいい言葉である。状況が厳しければ厳しいほど、強きで人生を行きぬいて行くことだ。勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。御書には『わざわいも転じて幸いとなるべし』と仰せである。皆様には『祈りとして叶わざるなし』の妙法がある」と。また、2006年2月14日の女子部・婦人部合同協議会では、「『どんな子にも何かしらいいところがあるのよ』『教師のつとめは、その長所を見つけて、伸ばしてあげることよ』 人材育成において大切なのは、一人ひとりの長所を見つけ、それをほめ讃えて行くことだ。伸ばしていくことである。『アンの青春』の中で、アンが歌う詩の一節に、こうあった。『朝ごとに、すべては新しく始まり 朝ごとに、世界は新しく生まれ変わる』 また、この続きには『今日は新しく生まれ変わる好機』とある。どうか皆さまは、同志とともに、一日また一日、生まれ変わっていくように、新鮮な息吹で前進していただきたい。人と比較する必要はない。あくまでも、自分らしく、粘り強く進めばよい。また、途中の姿で一喜一憂することはない。最後に勝てばよいのである。そして、絶対勝っていけるのが、妙法である」と述べられました。さらに「誓いの青年に贈る」と題した随筆では、モンゴメリーの『人間は成長しなくちゃ』『人間は世の中の波にもまれて成長していくんだもの』という言葉を引用し、次のように青年たちを鼓舞しました。「私は深く信じる。艱難に負けず、創価の旗を掲げ成長してゆく、君たち、貴女(あなた)たちがいれば、この地球は、もっともっと美しくなると。誓いの青年(きみ)よ!最愛の弟子たちよ!断じて、勝利又勝利の歴史を飾りゆけ!」と。モンゴメリーの不撓不屈の闘い、そして尽きることのない創作意欲からほとばしった”魂の言葉”は、100年後の現代の人々をも鼓舞してくれています。80年前の日蓮大聖人の御聖訓もまた同様に、現代の私達に、否、末法未来万年の人々に勇気と希望と絶対幸福をもたらす言葉が散りばめられています。

 

結論:『逆境を乗り越えてきた英雄たち』といえば、日本では日蓮大聖人もそうであります。

このブログでも書きましたが、内村鑑三の著書「代表的日本人」の中の5人のうちの一人に挙げられているほどです。日蓮大聖人は、自身の高名として、二度の法難と二度の流罪を上げられています。しかもそれは、世間の法を犯したからではなく、日本の苦しんでいる民衆を救わんとして、妙法を弘めたためです。また、自身が厳しい法難に遭っていた時には、その弟子や門下も同様に厳しい状態に追いやられたことも事実です。自身が伊豆や佐渡に流されたときに門下も厳しい弾圧あっているだろうと思いやり、門下に励ましや鼓舞するような手紙や書簡を送って、激励しました。例えば、佐渡の地で著された「開目抄」では、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と、門下一同を強く、戒めまた鼓舞しました。自身が監視下の下命をも狙われ飢えにも苦しむ様な中で、門下に対して、「今は厳しい状態に置かれているかもしれない。でも、必ず現状は改善され、良い方向に向かって行くことは間違いない妙法を信じて疑ってはいけない。」と力強く励まされています。

「佐渡御書」では、「鉄は炎い打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。…後生の三悪を脱れんずるなるべし。」 鉄は真っ赤に焼き鍛え打てば、鉄の鋼となり、やがては鋭く光り輝く真剣に生まれ変わる。それと同様に、立派な人は、人にいろいろと悪口を言われ罵られても、それをバネに人格が磨かれ、鍛え抜かれ、みんなから仰がれるような人になると教えられています。”楽して儲けよう”、”勉強しないでよい成績を取ろう”、”自分は泥をかぶらないで、偉そうにおもわれよう”などという、夢のような話はあり得ません。過去の偉人たちの多くは、正義のために逮捕されたり、拘留されたりという、人権を無視されるような経験を積んでいます。何の苦労もしないで、トップになった人はいません。もしいたとしても、そのような坊ちゃん育ちの苦労知らずの人は、後でしっぺ返しが来て、苦労することは間違いありません。同じ苦労をするなら、大聖人が門下の四条金吾に与えた手紙のように「ただ世間の留難来るとも とりあえ給うべからず。 賢人・聖人もこのことはのがれず。ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなえ給え。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて 南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。」と泰然としても、苦労や困難に立ち向かってい行きたいものです。どうせ逃れられない苦難困難であれば、ある意味開き直り、時には女房と酒を飲みながら、苦しい時には苦しいと楽しい時には楽しいと、悲しい時には悲しいと、素直にその思いを全てぶつけ、南無妙法蓮華経と御本尊に向かって唱えていきなさい。そうすれば必ず難局は乗り越えられ、それこそが一番の喜びになるのです。何とありがたい大聖人の励ましか‼