現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代にも活きる日蓮大聖人の言葉と精神

現代社会は、科学の発達により利便性が向上しました。しかし、生活面の向上が精神面の向上に必ずしもつながっていないと思います。鎌倉時代の混乱期に、人々を絶対に幸福にしたいと願い行動した日蓮大聖人の言葉と精神を、平易な言葉で伝えていきます。

 

「宗教は怖い」といいながら…⁉

  今年の4月12日の「名字の言」に、ある宗教社会学者の宗教感について書いてある記事を読みました。なるほどと思うところがありましたので、紹介いたします。……宗教社会学者の友人が「日本人は『宗教嫌いの迷信好き』の傾向が強いように思う」と語っていた。困ったときに願掛けをしたり、易や占いを信じたりする人は多いが、”生きる軸”として真剣に宗教を信奉する人は少ない、と ▼ 見回せば「科学的根拠のない怪しい商法や勧誘を信じてしまう人はたくさんいる」とも案じていた。確かに、「特殊な○○」とか「すぐに効果がでる△△」といった、うたい文句を鵜吞みにして、後悔する人が少なからずいる。 ▼1930年7月、インドの詩聖タゴールが、ドイツにある物理学者アインシュタインの私邸を訪れた。タゴールは対談した際、こんな趣旨の話をしている。”信仰で大切なのは現実世界から遊離・超越したそんざいなどではない”と(森本達夫訳『人間の宗教』第三文明社)▼真の宗教とは、現実を離れて、人間を離れた理論ではない。誰もが実践できる、生活に根差した”生きた哲学”であるーー 二人の対談を読み、その思いを強くした▼ 仏典に説かれる「仏」とは、「目覚めた人」の意味を持つ。迷信などに惑わされないことも一つの”目覚め”。そして、現実に幸福の価値を生み出す、仏法哲学と実践に目覚めた人々の連帯こそ、地域・社会の希望となる。(誠)……以上です。確かに、日本人は宗教アレルギーというものがあるかもしれませんね。一昔前には、オウム真理教なる宗教集団が、富士山山麓にあるサティアンという施設に、信者達が共同生活をし、修行と称して、ヨガや空中浮遊などをしている画像を見たことがあります。信者が大集団生活という段階で、現実社会から遊離していると想像されました。その上更に、自分たちの布教活動に合わない相手を”ポアする”として、暴力や薬物等で制裁を加えたり、拉致や殺害したりということもニュースで大きく取り上げられました。また、ある教団では、信者に多額の供養を要請したり、霊験があると称して物品を高額で販売したりというニュースも流れました。大なり小なり、こういうことが、マスコミに報道されると、「宗教は怖い」とか「宗教は嫌い」という声が出ることは当然だと思います。一方で、年末・年始には、自分の宗旨に全く関係なく、普段は行かない神社やお寺に初詣をしたりします。そして、そこでおみくじや絵馬を書いて祈願したりします。「宗教心がないといえばない、あるといえばある」、そんな中途半端な、また、あやふやでいい加減なとことが多々見受けられます。恐らく宗教心の深いキリスト教圏やイスラム教圏の人々から見れば、不思議な存在かもしれませんね。恐らくそこには、「宗教を観る正しい眼」「正邪を判断する客観的な基準」そして「宗教を現実の社会に役立てる手段」という、理論的な思考や実践がないからでしょう。そのために、行き当たりばったりに、占いを信じたり、易判断に頼ったりという短絡的ものに走るのだと思います。しかし、実はそこにこそ大きな「落とし穴」があるのです。


生活に根差した”生きた哲学”

  これらのことを踏まえて、”日蓮大聖人の仏法はどうであろうか…⁉”と顧みる必要があります。「人の振り見て我が振り直せ」ですね。批判することも、されることもよくあることです。そこで大事なことは、根拠・論拠を示して、相手を納得させるだけの力があるかです。日蓮大聖人は、「三三蔵祈雨事」という御書の中で、「日蓮、仏法をこころみるに 道理と証文とにはすぎず。また、道理・証文よりも現証にはすぎず」といわれています。この御文の、道理とは理証のことであり、証文とは文証のことです。このように常に「文証・理証・現証」と大事にしました。そしてなにより、この御文に明らかなように、大聖人が、一番重視されたのが現証です。それは、本来、現実の生活の中で苦悩する人間を救うために仏法があるからです。つまり、「真の宗教とは、現実を離れて、人間を離れた理論ではない。誰もが実践できる、生活に根差した”生きた哲学”である」ということを示しています。更に日蓮大聖人は、『唱法華題目抄』に、「但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」と明確に言われています。通力とは神通力のことで、超人的な能力をいい、利根とは、勝れた五根(眼根、耳根、鼻根、舌根、身根)を持つことをいいます。占い、加持祈祷、霊媒、坐禅等々で、超人的な能力を得て、予知的なことを語ることです。しかし、超能力的な力を持っているから勝れた人であるとはいえません。ましてや仏法の正邪ということについては、人よりも秀た感覚や能力を持っているかどうかということで判断してはならないとということです。科学的な根拠に基づいて、いつでもどこでもだれでも正しい判断と理論の展開が出来なければ、普遍性があるとは言えません。日蓮仏が、八百年経った今も厳然として現代に活きているのは、この普遍性があるからです。また、「檀越某御返事」には、「御(おん)みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ、『一切世間の治生産業(ちせいさんぎょう)は皆実相と相違背(あいいはい)せず』とは此れなり。」とあります。これを通解すると「主君に仕えることが法華経の修行であると思いなさい。『あらゆる一般世間の生活を支える営(いとな)み、なりわいは、すべて実相(妙法)と相反することはない』と、経文に説かれているのはこのことである。」ということです。つまり、仕事も、生活も全て仏法であり、現実世界と仏法とは切っても切り離せない存在であることを示しています。逆に言えば、「拝んでいれば何とかなる」という安易な姿勢は認めてはいません。「しっかりと題目を唱えていけば、仕事も生活の良い方に回転していく。でも、それだけではなく、仕事も人一倍しっかりやりなさい」というということをご教示されています。一方で、特権的な高僧に対しては経文を引いて、痛烈な批判をしています。難しいので訳して示します。――人里離れた閑静な場所にいて、粗末な衣をまとい、自分は真実の道を行じていると思って、他の人間を軽んじ賎しめるものがあるであろう。彼らは自己の利益や名利を貪り、執着し、そのために在家の人々に法を説く。(その本質を見破れない)世間の人から尊敬されることは、あたかも六種の自在の通力を持った聖者のようである。しかし(その内面は)悪心を抱き、常に世俗の欲望にとらわれている。そして、自分が人里離れた閑静な場所にいるということをタテにして、(現実社会の中で人々のため、正法を弘めている)私達の悪口を好んで並べたてるのである――と明快に喝破されています。見た目立派な高僧たちは、現実の人間社会から離れて、高邁な説法をしているけど、結局自分では何も生産的な活動もしないで、人から金や権力を求め、それでいて、他人を貶めていく、全く役に立たないどころか害になる存在であると言い切っているのです。実は、この経文は、釈尊の法華経の説法の中にあるものです。つまり、既に二,三千年前にはそのような高僧がいたことになります。そして、将来的にも、そのような見かけは高邁であるが、特に妙法の信心をする人に対して、人を見下し、危害を加えようとする輩が一杯出てくるから、気を付けなさいという、教訓であり予言の経文といえます。

 

結論:日蓮大聖人は、「どうして南無妙法蓮華経に辿り着いたのか」という原点に簡単に振り返ってみます。それは、「何故、災難・不幸は起こるのか。それ等を防いで幸福になる方法は何か。仏教典や宗派はたくさんある、しかし真実の釈迦の教えは一つのはず。では、それはいったい何なのか?」という疑問にたいしての解決の方法を求めて、諸寺院を尋ね、あらゆる経文を読破し、仏道修行に励みました。つまり、出発点そのものが、「人間の現実社会にある問題解決」にありました。だから、現世からそして民衆から離れた処でするような宗教とは一線を画しています。八万法蔵といわれる一切経を読破しました。その結果、経典には、高低浅深があること知りました。そして、それらの浅深高低を見極めるために、日蓮大聖人は、「経文に明らかならんを用いよ、文証無からんをば捨てよとなり」と、経文上に明確な根拠のある教義を用いるべきであり、いかなる高僧や論師の言葉であろうとも、経典によらない教えを用いてはならないと戒められています。十界論、五重相対、三証、教法流布の先後等の理論や原理から判断して、法華経が最強の教えであり、しかも末法においては、妙法を唱えることが最良の手段であるとの結論を得ましました。そして「現実を離れて、人間を離れた理論ではない、そして、老若男女、貴賤、人種、職種問わず、誰もが実践できる修行」として、御本尊に向かって南無妙法蓮華経の題目を唱える実践法を示しました。そこには、宗教の怪しさも、恐れも、まやかしもありません。非常に合理的で、科学的で、客観性の高いものです。たくさんの経典や論書を調査・分析し、高低浅深を定め、しかも民衆の理解度や受け入れ態勢(機根)なども解析して得た、民衆に合った、民衆の幸福形成のための妙法といえるのです。

 

 難事や危機に直面した時こそ「不動心」!

 今、将棋界の話題を席巻するのは、若手俊英の藤井聡太さんです。まだまだ若いのに、既に八冠達成です。つまり、日本プロ将棋界のすべてのタイトルを総なめし、将棋界の頂点に君臨しているということです。将棋界でかつて名人と言われた人は何人かいますが、その中の一人で、聖教新聞の「名字の言」という欄で、大山名人を話題にした記事が載っていました。なるほどなと思いましたので、紹介します。…将棋界の15世名人・大山康晴氏は「不動心」を重んじた。「『場合、場合に自分で考えるベストの一手を指すべし』が、私の不動心」と自著で述べている(『不動心論』KKロングセラーズ)▼物事が万事順調に進む以上に、難事や危機に直面した時こそ”ベストを尽くす”姿勢が求められる。そこにこそ不動心の真価も発揮されよう▼ある壮年部は大学生時代に病を患った。未来に希望を持てず、落胆していた時、学会員である友人に折伏され、入会を決意した。彼はその意思を両親にも話した。じっと話を聞いていた父が言った。「一生涯やり抜けるか」。「やります」と彼が答えると、両親は「分かった」と快諾した。▼その後、彼は病を克服したが、就職した会社が倒産、病気の再発と試練が続いた。それでも心乱されることなく、唱題根本に全てを勝ち越えた。後年、両親は「お前の姿に、この信仰の凄さを教わったよ」と入会した▼池田先生は語った。「どんなことがあっても決して動じない信念がある。信条がある。目的がある。これなくして人間としての真髄はありません」。”動じない”とは、苦境にあって”それでも自分を信じる”という心の強さだろう。信心は、その心を鍛え上げる確かな道である。…以上です。私は、将棋のことは詳しくありませんが、常に変化している局面に対して、冷静に対処し続け、勝機をつかんでいくものだと思います。先ほどの藤井聡太さんも、過去の対戦データが全て頭の中にあり、定石も奇策も全て頭に入っているというのを読んだことがあります。ただ、それだけでは、勝利をし続けることは難しいということでした。大山名人もそうだったに違いありません。きっと、新進気鋭の若い挑戦者に当たれば当たるほど、彼らは過去のデータにはとらわれない、新しい斬新な発想の打ち方で向かってきたと思います。その時は、きっと差し込まれ、窮地に陥ったことも何度もあったと思います。しかし、そういう時ほど、冷静に見極め、大胆な切り返しをし、難局をしのいでいったのではなないでしょうか。まさに『場合、場合に自分で考えるベストの一手を指すべし』の”不動心”だったのだと思います。自分がそれまでに経験し培ってきた中で、最善の結果を生み出す方法、そしてファイナルアンサーと言える決断こそ、”不動心”と言えるものです。すまり、それまでに究極の戦いをし続け、対応した経験の多さ、強さこそが、その人の”不動心”の深さ、大きさを形成していくのではないでしょうか。

 

 どんなことがあっても決して動じない、”それでも自分を信じる”信念こそが大事!

 昨年11月に逝去された、池田大作名誉会長が、三国志の蜀の軍師、「諸葛孔明」を通して、次のように語られたことがあります。…「ひとたび戦いを起こしたからには、断じて勝たねばならない。孔明は、戦いに臨む指導者の姿勢に厳しかった。すなわち自分に厳しかった。「一人でも犠牲者が出るならば、それは、すべて私(孔明)の責任である」(前掲『諸葛孔明語録』参照)とも言っている。絶対に、犠牲者を出さない! 落伍者を出さない! 断じて一人も不幸にしない!――孔明の指揮は、この覚悟と責任感に貫かれていた。また戦いにあたつて、指導者は、次の四つに心を砕くべきだと論じている。 (1)敵の意表を衝いて、勝ちを制する。 (2)計画は周到に、緻密に行う。 (3)静かに、落ち着いて事を運ぶ。 (4)全軍の心を一つに団結させる。何事にも、前兆がある。なかんずく敗北には、必ず前兆があり、原因があるものだ。孔明は、敗北する組織の前兆として、次の点を挙げている。 (1)指導者が弱くなる。これは決定的である。指導者に勝利への執念があるか。わが命を燃やしゆく覚悟で、同志を激励していけるか。幹部の戦う心に、勝敗の一切がかかっているといっても過言ではない。 (2)皆が「私心」をもって「徒党」を組むようになる。皆が私心で動くようになれば、組織は目的を見失ってしまう。 (3)「各々が利害によつて派閥を」つくる。戸田先生は、組織において、派閥をつくる者を絶対に許さなかった。厳しく叱り、その″傲慢な命″を切っていかれた。 (4)「心がねじけて人にへつらうような」人間が上の立場につく。つまり、人にへつらい、おべっかを使う人間が上の立場につき、それに対し、周囲が恐れて何も言えないような雰囲気ができる。このような傾向は敗北の前兆と言うのである。…ということです。これらは、いうなれば、百戦錬磨の諸葛孔明の信念であり、不動心とも言えます。戦いに勝つにも負けるにも、それぞれに条件があり、ただ、力や数、勢いに任せての戦いではなく、状況を見極めて、万事を遂行するということです。敵情視察をして分析し、地形や気象状況を考慮し、人心の機微を伺い、必要な道具や制度を整えて、食糧や兵站を供給しました。まさに、”備えあれば憂いなし”の状態で、戦に臨めば、必ず勝利するというのが、不動の信念だったと思います。それは、”絶対勝利”からの逆算からうまれた、”不動心”だったと思います。ですから、魏呉蜀の三国の中で、一番弱小だった蜀も、不動の諸葛孔明の采配があったからこそ、他国に伍して闘い続けられたのです。その証拠に諸葛孔明の死後、その”不動心”が揺らぎ、敗因となる4つが国内に充満し、国力は弱まり、結局あっという間に魏によって攻め滅ばされました。これをもって思うに、孔明の”不動心”とは何とすごいことでしょうか…!三国志に「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」という言葉があります。 中国の三国時代、蜀の将軍・馬謖が軍律に背いて街亭の一戦に敗れたとき、諸葛孔明は親友の子であり、将来を嘱望されていたにもかかわらず、軍法に従って馬謖を斬ったという故事によります。水源でもある街亭という重要な拠点を守るように命令されたが、「自分の考えの方が正しい」と思った馬謖が軍令に反して祁山に登って布陣したために、結果的に孤立して大敗し、蜀軍の劣勢につながっていきました。有能でかわいがっていた馬謖でした。しかし、軍令違反という罪を犯したことにより、私情には忍びがたいものがあるが、全体の規律を守るため、法秩序を厳正に行いました。いうなれば、孔明の”不動心”の表れと言えます。

 

結論:日蓮大聖人も”不動心”の人でした。何度も命を狙われ、流罪にも遭い、常に幕府から弾圧を受けました。それでも、「末法の民衆を救済するために」という”不動心”で、南無妙法蓮華経を弘めました。今、一番重大なことは、日本の国に、自分も含めて本当の意味で、信念の人がいないとうことです。懸命な思いで、日本の国を、社会を、人々を、隣人を心から守ろうという、また、絶対しあわせにさせてあげようという理念をもった人がいないということです。強い信念をもち、その信じきり、念じきる人が、信念の持ち主であるといわれます。しかし、よく信念、信念と口にするけれども、感情的で、観念的で、自己中心的で、偏頗で傲慢な思想を、信念をいう人がいますが、それは本当の信念の持ち主はいえません。政治家にあっても、教育者にあっても、経済家にあっても、世の指導者たちは、立派なことを言います。しかし、いざ自分が、困難にぶつかった時に、理論で相手を納得させ、実践で示し、そして民主を満足させるような決果を出せるような指導者はどれだけいるでしょうか。鎌倉時代もそうでした。「日蓮がなんだ、南無妙法蓮華経なんて」と批判し、さも自分自身が偉いように批判し、批判することで、自分をずっと上の方にみえる錯覚をするというのが、古来より日本民族の姿なのです。では、批判するならば、あなたは、どんな原理をもっているか、人々を救う理念をもっているか、信念があるかと聞けば、人をうなずかせるような考えはなんにも出てこないのです。日蓮仏法には信念があります。絶対正しい仏法であるという証拠には、五重の相対とか、三重秘伝とか、文証、理証、現証とかの、厳然たる価値判断の規準をもち、正義を唱え、信念をもって弘教をしてきました。ですから、開目抄で「智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。」という不動心を抱いて、弘教にあたられました。どんなに迫害されようとも、どんなに謗られようとも、「あなたの考えは”ここが間違いだ”」と、誰か智者に、明確な証拠をもって証明されない限り、私は自信をもって進んでいく。弟子門下の人たちも迷うことなく信じ切っていきなさい」と教えられています。これこそが大聖人の信念であり”不動心”と言えます。
したがって、なんの原理をもたず、人々を救う理念をもたずして、小賢しくとやかくいう人は多くいますが、そういう人は、ひきょうな人と言えます。そういう類の人々が、今の日本中に大勢おります。しかし、今世界には、南無妙法蓮華経と唱えている人が幾百万と増えている現実を見ると、海外では、日蓮大聖人の”不動心”に賛同して受け入れているのは確かです。

そして、日蓮大聖人の不動心の”南無妙法蓮華経” の題目を唱えながら、自分や家族、身近の人の安穏、世界の平和、そして先祖の供養などの祈りを捧げていくことは十分にできます。

 

”できないこと”より、”できること”を見つめよう!

 今年の3月の聖教新聞の「名字の言」というコラムに、とても勇気づけられる記事が載っていました。それは、生きづらい世にあって”自分らしく生きる”ために、そして”自分らしく生きている”ということを身をもって示してくれた内容で、自分の胸に共感と納得を沸かせるものだったので、ここで紹介したいと思います。……プロのミュージシャンとして活躍する全盲の壮年部員がいる。1歳の時、転落事故で脳を損傷。視力を失い、運動中枢や言語中枢も深刻なダメージを受けた。しかし、家族の懸命な支えもあり、奇跡的な成長を遂げた。 医者からは当初、「立つことも歩くこともできない」と告げられた。だが、治療、リハビリ、マッサージが功を奏し、立てた!そして歩けた!「しゃべるのも無理」とも言われていた。ところが4歳の頃、唱題する父のひざに座って「ナンミョウー」と一緒に声を発するように。以来、徐々に言葉を話すようになっていく。 ある日、母が口ずさむ学会歌を、おもちゃの鍵盤で見事に再現した。その才を誰よりも喜び、たたえ、伸ばすために応援してきた両親の愛情に包まれ、ぐんぐん上達。今、各地のステージでキーボードを弾きながら熱唱する彼が言う。「僕の音楽で、どれだけの人をえがおのできるか。これからが勝負!」 改めて、宿命さえ使命に転じていける信仰の力を実感した。そして、人間の底知れぬ可能性についても。 誰もが、その人にしかない使命を開花できる。信じ、祈り、励まし合う存在があれば、”できないこと”より”できること”をみつめ、自分らしく挑戦を重ねていくならば。…以上です。実に奇跡的な内容で、本当に驚かされます。普通であれば、自分の宿業(しゅくごう)や宿命に、泣き寝入りしたり、逃避したり、投げやりになったりしそうです。しかし、この人この家族は、南無妙法蓮華経と唱え続けながら、その宿命に真っ向から立ち向かっていき、現在も進み続け、更に他人をも”笑顔にすること”を考えています。”できないこ”とをなげくより、”できること”を探して、伸ばして、実践して、他の人に勇気や感動をも与えるという、それこそ奇跡ではなく、”信仰の実証”を示していると言えます。

 

”宿命”を”使命”に変える、宿命転換の信心…‼

 日蓮大聖人は、「末法の世に生まれ苦悩にあえぐ衆生(しゅじょう=全民衆)を救う」という誓願を立てて、出家し修行し、一切経を読破しました。仏教典の高下浅深を見極め、幸不幸を左右する原因は何かを探し求め、たどり着いたのが法華経です。そして、不幸を幸福に、宿命を転換していく根本の法こそ、南無妙法蓮華経であり、その妙法を唱えていけば必ず成仏する(皆が幸福境涯を得る)ことができると説きました。しかし、私たち末法に生まれた衆生は、生命そのものが濁り汚れているから、残念ながらそれ(自分の中に仏性があること)を素直に受け入れることができない、そしてさらに妙法を実践している人を迫害する傾向にあると言われています。せっかく自分の宿業を乗り越えられる妙法という”良薬”があるのに、”苦くて不味い”からといって、退けたり疑ったりして、服薬を拒否してしまっているのです。ですから、その症状は、一向に改善されないばかりか、さらに重篤な方向に進行してしまうのです。そのことに、気づくことができない  ”末法の衆生の”悲哀があります。法華経の譬え話の中に、「良医の譬え」というものがあります。譬えの概要次のようなものです。…聡明で薬の処方に精通し、百人にも及ぶ子供をもつ良医がいました。ある時、良医が所用で遠方へ出かけている間に、子供たちが誤って毒藥を服して苦しんでいました。悶絶する子供の中には、苦しみに堪えかねて本心を失う者までいました。良医が帰宅すると、子供たちは大いに喜んで、毒病を治して欲しいと願い出ます。良医は薬を調合し、「此の大良藥は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。速やかに苦悩を除いて、復衆の患無けん」と言って、子供たちに色形、香り、味のいずれもすばらしい大良藥を与えました。すると、本心が残っていた子供はすぐに良藥を服して快復しましたが、本心を失った子供は、毒気のせいで良藥を良藥でないと思い込み、服用しませんでした。未だに苦しむ子供を不憫に思った良医は、薬を飲ませようと、方便を設けます。すなわち、子供に、「自分は老いて死期が近い。この大良藥を、今、ここに留め置いておくから、お前たちは、これを取って必ず服用しなさい(趣意)」と告げて、家を出て、他国に至ってから使者を遣わし、父は死んだと子供たちに告げさせたのです。訃報を聞いた子供たちは、「もし父が生きていたら私共を憐れみ、救ってくれるが、今やその父は遠く他国で亡くなってしまった。私共は孤独で頼るところがない」と深い悲しみに嘆きました。そして父の慈愛と力を思い起こした子供たちは、ついに本心を取り戻して大良藥を服し、快復したのです。その後、良医は帰宅したのでした。…この譬えでは、良医とは仏、毒薬を服した子供は一切衆生に譬えられます。まず、良医が遠く他国へ出かけることは、仏が過去世に、様々な名前で出現して衆生を導いていたことを指します。次に、良医が一度家に帰って大良藥を子供に与えることは、仏が娑婆世界に出現して毒病に喘ぐ衆生に法華経を説くという、現在の化導に当たります。また、本心を失って良薬を服そうとしない子を治療しようと、良医が他国に出かけ使者を遣わし亡くなったと告げさせたことは、仏が入滅することを現わします。すなわち、仏の存在に慣れてしまい、仏法を尊重しない衆生を覚醒させるため、常住ではあるけれども、敢えて滅に非ざる滅(涅槃)を示されるのです。最後に、良医が帰宅することは、方便による滅の相を現わしながらも、未来永劫に亘り衆生を教化する様相を表わしています。このように良医病子の譬えとは、仏が久遠以来、実は常住でありながら、出現したり入滅したりして、大慈悲をもって衆生を導き利益してきたことを表わす譬えなのです。末法今次には、このたとえは次のように置き換えられます。末法の良医とは日蓮大聖人です。そして良薬が南無妙法蓮華経です。南無妙法蓮華経と唱えれば、どんなに重い宿業も軽くし、更には業病も消してしまう効能があると断言されています。医者や科学的な方法でも処方できない宿業という難病を、なんと有り難いことか、この妙法が必ずや救いきってくれると断言されています。但し、すがるのでは無く、”信”じて、”行”じなければ無理ですが…。

 

結論:日蓮大聖人は、自身も佐渡流罪をはじめ数々の困難苦難に遭いました。そしてそれは、一般世間の罪ではなく、”過去世に法華経を誹謗した行為によるものであであり、その罪を消すために今難を受けているのです”と「佐渡御書」の中で言われています。同じく佐渡で書かれた「開目抄」には「過去の因を知らんと欲せば現在のかを見よ 未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」と言われています。仏法は、全て”原因と結果”で繋がっています。そして、生命も、過去・現在・未来とつながっているものと捉えています。ですから、現在の自分の容姿も、貧富も、貴賤も、病気も、障害も、才能も全て過去世の行いの積み重ね(宿業)であり、その中で法華誹謗の罪は特に重く、したがって、受ける罰も深く重いものとなると言われています。しかし、妙法を信授し南無妙法蓮華経と唱えていけば「衆罪は霜露の如く、慧日は能く消除す」と教えられています。いろいろな苦しみはあろうけど、南無妙法蓮華経という太陽の光で、霜が解けるように消えてしまうという意味です。過去世の法華誹謗の罪で受けた罪であるから本当はもっと重く長く受けるところを、妙法の功力によって軽く転じて受けているということです。これは「転重軽受法門」という御書に書れています。「地獄の苦しみぱっと消えて」とも言われています。先に紹介した壮年は、自分では分からないけれど、自身の過去世の法華誹謗の行為のために盲目・身体の不自由という罪障を受けて現れた(宿命)と言えます。しかし、真剣に南無妙法蓮華経と唱えて宿命を転換して、今では音楽を通して人を励まし喜ばせることが楽しみ(使命)となったと言えます。これこそ妙法の良薬の実証と言えます。