気づいたら言語大好きだった私。
2歳のころ兄の英会話教室に連れいていけと大騒ぎし、ついていってはニコニコしながら後ろで聞いていたらしいです。
(家族談。ちなみに兄がすぐに教室をやめて終了)
その後、中学で英語の授業が始まったときは心躍りました。
中高ではずっと英語が大好きだったし、得意でもありました。
そしてそのころ、地元とカナダの姉妹都市との交換留学にほんわりと憧れて、
いつか海外に行ってみたい
と思うようになっていました。
大学は「情報を伝える仕事、言葉を使う仕事がしたい」と言語文化学科へ。
ここで初めての壁にぶち当たります。
CNNニュースを題材にした授業、
違う言語かと思うくらい
英語がまっっったく聞き取れなかったのです。
「私が得意だと思っていた英語は、授業の英語なんだ!」と痛感。
それでも2年生のときに姉妹校への交換留学プログラムがあることを知り、迷いなく応募しました。
多くの学生は1年大学を休学して、
授業料無料期間(4カ月)の後
自費で留学を続けるのですが、
面接の結果交換留学に行けることになり、
大学3年の6~10月にネブラスカ州オマハへ!
「ネブラスカって何州?」
ってよくきかれるくらい日本ではマイナーな州。
アメリカのほぼど真ん中にあります。
ついに念願の海外!!!
心は夜中…の時差ボケの真っ最中、
日本の3割増しかと思うくらい
ギラギラと照り付けるまぶしい陽ざしの
オマハ空港に降り立つと、
ホストマザーが迎えに来てくれていました。
「ウェルカム!!」とハグしてもらった瞬間、
「あぁ~なんで私はたった4か月しかいられないんだろう!!もっと長くいたい!!」と早速思ったほどでした。
留学生は韓国人、日本人が多く、何をするにもみんなでワイワイと。
英語のテストではリスニングだけ異様に悪い「典型的な受験英語タイプ」だったけど、
ホストマザーが、自分の友達との遊びに私も一緒に連れて行ってくれたこと、
ネブラスカ大学の日本語の先生に頼んで日本語クラスに参加し、アメリカ人の知り合いも増えていったこと、
友達の運転でサウスダコタのマウントラッシュモアを見に行ったこと、
お酒を飲める年齢21歳の誕生日をオマハで迎えたこと、
ベーグル屋さんで初めて「何だって?」と聞き返されずに注文が通じたこと、、、
田舎なのでマイノリティーが少なく、
子どもにじーーーーーっと見られたり、
見知らぬ人にバカにされたりということはあったけど、
それを凌駕するくらい、
とにかくただただ楽しい毎日でした。
仲間の中で私が最初の帰国者だったことや、
同じクラスだった日本人と付き合い始めたこともあり、最後は帰りたくなくて空港で号泣。
その後、大学を卒業し地方公務員として働く傍ら、彼と超遠距離恋愛を続け
「いつかまたアメリカに行くんだ」
と思い続けていました。
そして彼がアメリカの大学院を修了し就職したタイミングで、入籍してアメリカに引っ越すことにしました。
念願のアメリカ生活再び!!!
と思ったのも束の間、、、
人生大変なのはそれからなのです。。。
人生大変な続きは→こちら