今日は珍しく、夕食後にお腹が空いたというので、用意した食後のデザートのときに、
すぐに食べはじめて、すぐにこぼし始める。
いつまでも、「お皿近づけて」「身体を近づけて」と言うのに、ついにうんざりした。
お皿を自分に近づけず、身体をテーブルに近づけず、何も意識せずに食べ始めるのに、うんざりして、
今日はついにショックと悲しい気持ちを子どもに伝えてみた。そうしたら、子どもも反省して、今までもたくさん言わせて、ごめん、などと言う。気持ちは素直で、根は善良なのだ。
ごめんの気持ちがあれば此方も随分ゆるしやすいし、何より何度でもゆるせというイエス様の教えもあるし、そもそもわたしにゆるしを請うているつもりなら、別にとっくにゆるしている、とは伝えたものの。しかし。
ごめん、の気持ちだけでは、
人は前に進まない。そう思った。
夜寝て明日朝起きて、ケロリと忘れて同じことを繰り返すかも知れなかった。というか、3歳から約4年以上毎日、毎食のように言い続けているので、まず間違いなく99%そうなる。
再発防止。
わたしに指摘されない、ではなく、
こぼさずに工夫して食べられる人間になるために。
そこを意識して伝えたけど…どうだろう。ただなんか言われるから従っているだけ、にならないために。
どうすれば良いのか。
驚くほど言語理解力があると見せかけて、魚の名前の覚えは早いのに、こういうものごとの覚えはいつまでも覚えない。同級生の中でも、ぼんやりとしている。わたしがいろいろしすぎで、子どもにさせたり任せてこなかったり、なのかも知れない。そもそも何をどう教えるとかもわからない。
3歳頃まで、保護に入るまで、まったく怒らない親をやっていた。しかし、保護に入り、信仰に入り、病気になって感情のコントロールが難しくなり、怒りに泣き叫んだり、絶望で倒れ伏したり、波を子どもの前にも否応なしに晒してきた。急に激昂して叫ぶわたしに子どもの心も危うく死にかけた。しかし、この裁判の神様仕事によって、病気すらも御心のためであり、イエス様による世直し人間の救いそのために自分は迫害され倒れ伏していたのかと気づき、自己否定と罪悪感から解放され、しっかり立って二度と日常的に踏み潰されたり謗られない快適な生活のために、さあ仕事を探そう!と思い立ってからは、
最近また、ただ平坦に指摘だけする、その自分が戻ってきたが、今日も1,2秒で怒りは抑えて、コミュニケーションを取っていたつもりだったが(淡々と真顔なので、怒っていなくても怒っている?と勘違いされるような感情置き去り型人間の喋り方)
今日はただ指摘する、から一歩踏み込んで見ようと思った。
まず子どもに聞いてみた。
このまま改善せず、毎日同じことを言われ続けて、そのまま大人になり、つまり20歳になっても30歳になっても、同じような食べ方をする大人になるのか。
別にそれ自体は否定しない。人はできることできないことがあり、生まれつきにも、後天的にも、病気や障がいその他様々な環境要因などで、
成長したくともできない人だっている。
ただ、わたしは成長を願っている親であるので、少なくとも子どもには選択肢があると思った。なので成長した時と、しない時の行く末をそれぞれ説明し、子どもに1年後、2年後、はたまた将来、どうなりたいか、問うた。
そうしたら、成長したい、このままじゃ嫌だ、と返ってきたので、
じゃあこのまま寝て忘れて疲れて、明日また同じようなことをする自分なのか、
あるいは成長の助けになるような手段を提示して、まず、それを実行するかどうか、を選んでもらう。
紙に書いて貼っておく、ということや、周囲の協力で罰則などを決める、などの手段を提示して、あった。結局、紙にどうなりたいか「こぼさない」、と、その具体的なやり方「皿を近づける」 「身体を近づける」etc. を書くことにしたようで、テーブルに一緒に貼った。
子どもを奮起させるのも、大事なんだなと、今日の出来事から思った。毎日漫然と同じことを指摘し続けるのでは、お互い改善のない、成長のないやり方だった。相手が、物わかりの微妙な3歳4歳ならともかく、夏休みの宿題で絵日記を書くような年齢である。
尻を叩くとか火をつけるとかそういうことかもしれなかったが、子ども自身の変わりたい!成長したい!欲というかそういう気持ちを起こして決して消えない炎をつけなくては、と思う。まあ信仰に興味持って自分から聖書読んだりしているけれども。つくづく、父親のすることだと思う。でもまあ、子育ては小学生前と後で親に求められる役割が大きく変わると思う。若干わたしの得意分野に寄ってきたのか?しかし、未だに日々の世話…パンツ汚れを毎日2枚くらいは洗っているものの。その作業に得意不得意は無いか。感情の寄り添いは未だにできない。子どもの様子を見ていたり、他の大人のやり方を見ていたりすると、やはり満足にできていない気がして苦手意識がある。早く仕事して稼いでせめて物理的には満足させてやりたいが、それはきっと良くない考えで、子ども自身が将来的に自分の必要を稼げるように、ならなくてはならなかった。(別に教えてもいないのに昔から良いものを知っていて何かと高級嗜好、日々の食事はまだしも、よく、遠出してホテル行きたいなどと言ってここ数年のわたしを困らせてきた。)それでも、安心や共感を求める子どもとの、需要と供給の不一致や不協和音的なところを日々感じて気まずいものの。その辺は学校学童や教会、友達との間で補ってくれたらと思う。そこはもう、戻ってきたというか変わってきた気もするが、今日なんとなく自分を振り返っても、やはりどちらかというと、かなり機械人間だ。一方で、子どもは共感、コミュニケーション上手。友達ゼロのこの母にして、友達多し。いや、母コミュニケーション0点生、伸びしろだけは人一倍。別に何も諦めたりしているわけではない。まあ一応障がい者なので、なにか致命的な欠陥はあるに違いなかった。
ーーー
独身時代、大企業の管理職候補生から、せめて数字じゃなくて文字の翻訳がいいなあと、まったく別の業界に転職をしたか、これからするくらいの頃、社員で経験を積んで、いずれはフリーランスできたら良いなあ、と思う、そんな自分に、
その辺で出会った、というか紹介していただいた、フリーランスで自立している先輩社会人が、食事に誘って、わざわざ教えてくれた事があった。しかもごちそうになっていたと思う。本当に、人生に本当に必要なものは、カモネギのようにやってくる。神様の愛は、いつもそういうふうに我々に与えられるものであった。金銭を対価に得る情報や、自分の持つ何かを取引材料にして得るようなものは往々にして、人間にとっては、最も必要で重要なものではなかった。
「あのね、
努力するか、苦労するか、人生はどっちかなんだよ」
そんなようなことを、その人はいろいろな話の中でふと教えてくださった。むしろ、そこだけエネルギーが異なっていて、そこだけ浮いているように、ぼんやりした記憶の中で、唐突に、覚えている。
その時は20代なかば、勉強一本道ストレート街道まっしぐらで生きてきたわたしにとって、世間知らずのバカでその言葉の真意も、その地上の人間の社会的生活における真理もまったく理解できていなかった。わたしは努力せざるをえない環境で、努力を覚えこんで、持続不可能な努力をしていたところを、もう無理!と飛び出そうとしていた最中ということもあったと思う。体力が追いつかない。もう興味ない分野の資格勉強が嫌だ。などなど。当然、その後の人生のダウンサイズした努力も続かず、そもそも生活も持続可能性が全く無く、結婚出産も含めて、わたしは苦労の10年間を過ごしていたと思う。いつの間にかわたしの周りにも、努力を知らない、苦労が当たり前、の人たちが取り囲み、わたしは生き方も人生の価値観も考え方も何もかも違うところで、息ができずに這いつくばって身悶えをしていたのだろうと思う。3年前より、信仰に入ってからも、それは続いた。
努力は好きだし、向上心も高い方だと思う。成果や実力はどうあれ、性格的に、あるいは気持ち的には。日常生活でも常に改善点を探して、いつも問題解決をしたい人間である。停滞が当たり前で、変化を嫌う人たちの間では、いつも面倒くさい除け者扱いにされる内容的には暑苦しいタイプである。表面的にはかなりクールかも知れなかったが。
しかし、自己完結できる範囲ならまだしも、チームワークを必要とする場面や環境では、わたしは、いままで述べてきたとおりの、0点のコミュニケーションスキルで、まあそこまでいかずともかなりの苦手意識もあって常識も知らず、つまり円滑に持続可能な人間関係というものが、築けずに、社会生活に困難があり、障がい者にまでなってしまった。
しかし、今は、自分に持続可能な努力ができる仕事、苦労じゃなくて努力が認められる職場環境、それを一緒に探してくださるプロの助けもあるし、コミュニケーションについて教えてくださることもある。聖書は、まあ概論であって、時代や状況に沿った実践生活というか、個別具体的な詳細情報については、やっぱりその道のプロに頼るのが良い。
ありがたいと思う。生活保護の制度と同様、この就労移行支援所の仕組みも、また大勢の努力をしてきた人間が、一生懸命頭を使って、心を砕いて、時に悪と戦い、日本で実現してきた仕組みなんだろうと思う。現場で働く人たちもまた、すごい志と無私の視点で、常に利用者の人生に対する最適解を探している、努力をし続ける人たちだった。
わたしは、これから、良い仕事に就いて、再び努力に生きる人生の道へ、神様が呼び戻してくださっているように思える。実生活の物理的努力。信仰の精神的努力。もはや、先の見えない苦労ではなく、実りのある努力の世界へ。再び入れるのだ。
厳しい掃除のチェックはじめ、生活の努力も教えてくれ、特に勉強の努力、成果、結果に厳しく、効率的なやり方のアイデアや精神の持ち様を惜しみなく共有してくれた実父に感謝している。
努力に走り続ける、
それは誰もができることじゃない。努力することを、まず誰かに教わったり、あるいはそういう環境になければ、一度苦労の世界に足を踏み入れれば、たくさんの苦労にもがき苦しむ人の、脚を引っ張る出る杭を打つ、そういう力に呑まれて努力にエネルギーを注いで努力に生きる、そういう生き方から世界から人間関係から否応なしに遠ざかっていくのだ。
しかし、今自分は、
神様のために イエス様のために再びその世界に身を置くことを強く自覚している。
だから 周りからどう言われようが 何を思われようがどれだけ引きずり下ろす力があろうが、
力を振り絞って 再び 努力の世界へためらいなく飛び込むことができる。そこには 競争があり 自分が努力して上を目指せばより狭い上の場所に自分以外の人が入れないかもしれなかった。
しかし私は入る。それは自分のためではなく神様のためであると知っているからである。どんな人の意見があろうと。どんな 引き戻しがあろうと。これからどれだけ 嫉妬や僻み 妬みを受け 攻撃を受け あるいは 競争にさらされることになろうとも。
もう何をためらうことがあろうか。
ーーー
自分がしてきたもらった、与えられたことを、誰かにする、与えるのは当たり前で誰でもできることだ。むしろ二流三流の赤点回避の及第点だ。それくらいのことだ。それすらしないと地獄に住まうことになる。別にこの地上は天国じゃない。
特にここ数ヶ月は激昂したり良くない事が多かったものの、日常生活でも最低限、殴ったりすることなく、
勉強や生活習慣の改善で、知恵を絞って子どもに色々工夫して伝えたり、再発防止のやり方を伝授しているときに、わたしはこういうのあっただろうか、とふと、せいぜい言葉で言われるだけで、コンスタントに誰も「みて」くれる人のいない環境だったよなと、家庭に安全安心の揺るぎない人間関係がなかったと、頭によぎることはあったが、それでも、
そうか。
と。
自分がしてきてもらえなかったことを、与えられなかったことを、必要とする誰かにしていくことこそ、超一流の生き方であり、より神様であるイエス様の生き方に近づく人間の研鑽の道であると(無論、近づきつつも、それでも人間は神様でない、イエス様は別に実在し、人間は器になることはあれど別にイエス様にはなれない、という前提を忘れてはいけなかった。ただ教えを守れ真似しろということ。単にそのイメージのしやすさのための表現である。日本語表現的にも、勘違いされやすかったが、人間がイエス様のポジションに座るという話では無いのである。人間は人間。このわきまえが重要。これを忘れて神様のように考え振る舞うことは、別にゆるされてはいない)
ついに、
気付いた。
そうして病気になった2年前くらいから、特にここ数ヶ月の自分を恥じた。
一緒に準備することや、授業参観や、宿題のこと、文字を書く、日々の、今日どうだった、のコミュニケーション、それぞれ、
何ひとつとっても、自分には無かった、無かった、無かった、無かった、無かった、で
信仰と病気で自尊心も自己防衛機能も失って、ただ日常生活において、直接的あるいは霊的に攻撃されるがまま、感情も尊厳も奪われるがまま、で境界線も判断力も失って、短絡的に犠牲に犠牲を重ねてボロボロになって這いつくばっていた自分には、
それを平常心で続けることができずに、人前を憚らず感情を抑えられず、怒ったり泣いたりしていた。
親と子であっても、
人と人は、特性も、能力も、性格も、得意不得意も、すべて異なる。
子どもの60点のテストを見たときに、本当にわたしの子なのか?と疑問に思うほど、わたしはいつも当たり前に100点を取ってきた人間だったし、しかしそれが別に自慢に値するものではなく、大学では入学試験の時よりだいたい底辺の劣等生だったし(喋ったりしていると自分の頭脳レベルの低さがなんとなしにわかる) 、ただただ褒めてもらえなかった自分を認識する最悪の汚点、わたしを世間からの嫌われものにする邪魔な要素でしかなかった。
夏休みに、ひらがなを書く宿題を見てやると、文字を書くひとつとっても、書き順もはじめから覚えよく、先生に教わったとおりにして、また、ただお手本の真似で、すぐに大人みたいに書けたわたしと異なり、
子どもの手文字はのたうち回るようで、大きさもばらばらなら、自己流が多く、書き順も覚えていなかった。何を教わった数カ月間だったのか?という、そういう文字で、
目の前で一生懸命丁寧に書き順や書き方、文字の形の特徴を、見つけて説明しても、なかなかできない。すぐ忘れる。
その時に、思い出す、高校の家庭科の先生が、なんともないときにふと、
もしあなたたちに子どもができて、どうしても自分に照らし合わせて考えて、イライラしたり許せないことようながあっても、子どもはあなたじゃない、他人だから、別の人間だから、
そう言って聞かせてくれたのを覚えている。
人と人は、特性も、能力も、性格も、得意不得意も、すべて異なる。
肝心のミシン術などよりも、ずっとはっきりと、覚えている。魂が、必要かも知れない、そう認識したのかも知れない。
女性として生きている自覚は皆無で、むしろ性別はわたしにとって邪魔で自分の脚を引っ張る社会的にも不利な要素でしか無く、子どもを欲しがることはおろか、結婚願望すら無かったわたしが、過去生の因縁を引き摺ったまま子どもをもうけて、日々、性格的にも経験的にも不向きな子育てに向き合っている。
自分がしてきてもらえなかったことを、与えられなかったことを、誰かに与えるときに、その実存を認識するときに、そのことが具現化するときに、そのことが行為や言動のうちに、概念としてはっきりと存在するようになって、生活のうちに表出するときに、
その時にこそ、人間にではなく、
ああ、神様が!
神様が…、
わたしに、してくださってきたこと、与えてくださってきたもの、こと、
それらがはっきりするに違いなかった。
そういうことだったのである!
そうやって生きることこそが、わたしの自己実現であり、自己実現であり、何よりわたしを救いしイエス様、そして神様への最大の愛の応答、コミュニケーションになるに違いなかった!
そう、信仰者としてのわたしは3年前より常々、旧約聖書も新約聖書もミクロ的視点ではわたしというひとりの人間と神様との間に起こったことである、という視点で読めると思っているが、つまり、わたしはかつて楽園に何不自由無く住まわされ、罪を犯して楽園を追放され、イエス様の未だ来ない地上に、約束の地を求めて彷徨い歩き、信仰と出会い預言をし、イエス様に出会って新しい人間になり、擬似的な人の子としての受洗や、荒れ野の誘惑や、十字架の死と復活を繰り返し、神様の愛を注がれ続け、作り変えられ、この命そのもので福音を述べ伝えるものにされた、そういうことであったが、
それは、
わたしと神様の歴史が、あるいは今、神様との関係性の、その段階が、新旧聖書のどの段階なのか、モーセなのかダビデなのか、ヨナなのか、ヨブなのか、イエス様が来ているのかどうか、十字架の前のイエス様に付き従う弟子なのか、律法学者なのか、総督ピラトなのか、あるいは復活を経たイエス様とともに生きてはたらいている弟子なのか、などなど、そういう、それらが
すべて
わたしの生き方にすべて 表される ということであった。
わたしのこの人生のみならず、魂に刻まれた歴史の持つ、呪い、あるいは恵み、痛み苦しみ、大いなる愛、歪んでいるもの、有り得ないほどの祝福、
それらすべてが、誰の目にも明らかになるに違いなかった。
それらを、すべて転じて力としてくださるイエス様、イエス様との出会いがわたしを再び恵みに生きる道へと、父なる神様との和解へと、導いてくださったのだ。
アーメン!
誰にもしてもらえなかったことを、し続けられる、与え続けることのできる自分を、わたしはもう、その事実につまずかずに喜んで受け入れ、イエス様の愛とつながって、決して枯渇せずに、喜んで続けることができるものに、変えられたのだ!
何故なら、そこにこそ、その入力と出力の差分にこそ、わたしの魂に注がれてきた偉大な神様の愛を見いだせると、今日そのことに気付き、完全に理解したからだ。
神様の愛によって、イエス様によってわたしの罪をゆるし、和解して、わたしを再び受け入れてくださった、
わたしをがんじがらめにして霊的な攻撃の隙を作り、不自由にしようとする罪、を、すべて覆って未だに有り余るほどの、闇を照らす光、
イエス様の愛によって。