大学院でお世話になったゼミの恩師・髙木晴夫先生が、来年春でKBSを退職されるそうです。
昨日、先生自らメールで、ゼミ生・OBOGに連絡をくださいました。
私がKBSに通っていたのは、今から21年前!あらためてみると、もうずいぶんと昔のことです。
先生はそのときは助教授。40代の前半、若くて研究意欲旺盛な、それでいて飄々とされている、不思議な存在感でした。
その後もそんな雰囲気はずっとお持ちで、NHK「白熱教室」で脚光を浴びてもぜ~んぜん変わらずに、ご自身の研究と後進の指導に静かな情熱を注ぎ続けていらっしゃいます。
KBSを退職後も、法政大学大学院で教べんをふるわれるそうです。
先生のご功績と、私たち学生への温かいお心遣いに、あらためて深く感謝いたします。
高木先生、長い間おつかれさまでした。そして、本当にありがとうございました。
メールを見たあと、そんな感謝の気持ちとか、尊敬の念をあらためて感じた私でしたが、なんだか心に穴があいたような、サビシイ感覚が今もずっと続いています。
私は、卒業後も年に一度は学校に行っていました。
三越でキャリアを積むことに、いつも違和感を覚えていたのでしょう、先生には自分の悩みというか、不安感を吐露して、なにか新しい情報とか、考え方とかをいただいて、その都度少し気分を明るくして帰る・・・ということが、ず~っと続いていたのでした。
そうやって20年以上、日吉か三田の研究室に、先生を訪ねていました。
それが、来春以降はなくなってしまいます。
法政大学はたぶん市谷あたりにあるので、そちらをお訪ねすることは、もちろん可能でしょう。
でも、私のホームは、市谷では、ないのです。
この感覚は、自分の実家が差し押さえられたときの気持ちと似ています。
両親は健在で元気だけれど、「家」があった場所にその「家」がなくなる、ということは、「実家」の大事なパーツが欠けることだと感じました。
「ハウス」のある場所・「ハウス」そのものも、「ホーム」の不可欠要素なんですね。
髙木先生の研究室のある場所と、高木先生そのものの存在はセットなのです。
「その場所にいつも居る、あの人」という事実を持っていることで、なにかすごく安心な、心のよりどころが確保されている、そんな感じです。
それが、もうすぐなくなる・・・。
日吉に行っても先生はいらっしゃらないのだ。
なんだか、本当に淋しいです。今からそれを想像すると、涙が出てきてしまいます。
こんなに喪失感があるとは、自分でも思いませんでした。
ちょっとこの感覚について、セルフコーチングしてみます・・・。