自分を信じるコーチング HONESTLY SPEAKING・・・

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自分を、チームを、会社を良くしたい!責任感から頑張っているけどなんだか空回り・・・「顔がコワイ」「眉間にしわよってますよ」なんて言われたりして・・・そんなアナタ、しごとでも人生でも『ごきげん♪』になれる、コーチのブログです。どうぞお立ち寄りください!

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突然の熱38度超えと、気管支ダイレクトな痰詰まり感(咳しても痰が出そうにない深さ)に今までにない違和感を覚え、コロナ抗原検査キット出動させたら表示は「positive 」。
その晩に時々お世話になっていて、そこの日本語スタッフさんとwhat’s up でつながっているクリニックにメッセージ。ネット上ではそこでコロナ外来やってないとのことだったので聞くと、「大丈夫。明日来てください」と。心強い!

翌朝9:00過ぎ、すでにクリニックは”スタッフさんたちで”混雑状態笑。
インドでは、いつもお客よりスタッフの数(というか密度?)が多い印象で、クリニックでも同じ。
名前を言ったら、はいはいこちらです、と椅子に座らされ、熱測って、問診票書いて、体重測って(薬の処方量の参考にするらしい)、まだ来てないドクター(妖艶美人のインド女医)にそれらのデータを送信してとりあえずの薬を出してもらう。

その後、ベッドに移動。
まずは腰掛けて、血圧測定→採血
PCR検査 唾液と鼻粘膜ダブル。でも結果は明日だって。そこはインドだ…

横になってから背中起こした状態で、吸引約5分→「朝ごはん食べた?」「yes」→とりあえずの薬を飲む→頭から不織布をかぶって温スチーム治療(咳出ると言ったので、それでだと思うけど、どっちかというと肌に良さげ笑。それを言ったらインド人たちも笑ってた)

ちなみに、以前にも、朝ごはんの有無を聞かれて、軽く食べたよと言ったら、
「薬飲むからもっと食べてください。サンドイッチとかクッキーあるよ」と言われたことがある。
 
さらに、このスチームは約10分くらい。その間、スタッフさんはつきっきりで、
「マダム、熱くありませんか?」
「ご気分はどうですか?」とか、優しく聞いてくれる…泣

とにかく、誰かがいつも様子を見ててくれるわけ。それが面倒な時もあるけど、体調が悪くて不安な時は、結構ありがたい。不安が減るのは、万病の元・ストレス軽減の第一歩。

支払いのための保険証(海外保険なのでキャッシュレス)とパスポート提出を求められて、出す。まもなく返却、安心。

スチーム終了と同時に、選べる飲み物サービスが来る。お水、コーヒー、紅茶、牛乳などあり、温かいチャイをオーダー。
飲んでホッコリしていると、
「尿検査してください」とカップ持ってこられる。なるほどね、だから飲み物か。
で、トイレで採尿。

PCRだけでなく、採血と採尿で他の原因を究明しているそう。以前に謎の湿疹で来た際も同じで、結局原因は接触性のアレルギーだったことがわかったっけ。

その後、ドクター到着。相変わらず妖艶(マスカラ、青色だし)。話すと優しくて気さくで、素敵なお医者さんです!
ここから診察。
喉の具合を診て、背中を聴診。
で、「あなたの喉真っ赤。そして気管の痰量半端ないです。肺炎一歩手前です。ステロイド注射するよー。」

具合悪くなったのも、ほんとに急激に、数時間で気管支くるしくなったのだ。喉の痛みも鼻水もなく、ダイレクトに気管支。今までこんなことなかった。マジでヤバイのか、わたし⁇

で、またベッドへ。横になったら、「お尻に注射します」とのことで、パンツ半分下げられて筋肉注射完了。

その後は待合室のソファに移動し、ドクター見立て後の処方箋説明。
コロナかどうかまだわからない状態だからか、種類多くて8種。
胃薬、整腸剤、とんぷく はいずこも同じか。あとは、
抗生剤
抗アレルギー薬
タミフル
ステロイド飲み薬
ステロイド吸引薬(気管支に直接届くやつ)
以上。

一応、コロナ陽性でも投薬は同じかきくた、同じだそうで。

結果は翌日まで待ち、3日後に再診ね、ということで帰宅。

この間、小一時間。
常にスタッフがついててくれて、ほんとに手厚い対偶。
謎の湿疹の時も、結局大したことなかったけど手厚さは同じだったなあ。
他の病院でも、マッサージでも、だいたいこんな感じの胃を印象なのだ。

これがインドクオリティー。

これを書いているのはまさに翌日の午後、検査結果は「positive 」。
クリニックのお薬のおかげで熱は36.5度以下をキープ、頭痛もなく、体も痛くなく、気管支の違和感と咳も大幅に改善。手持ちの機械計測での酸素飽和度97。
調べたら、ステロイド注射は日本ではコロナ中等症の人に対して施されてる様子で、肺への影響を考慮してくれたのかなと思って助かった感じがしている。
ステロイド治療は怖いみたいな先入観があるのでネット検索しまくったけど、1週間くらいの短期間なら副作用も少なそうだし、吸引器まで用意されたのは、なんだか面白くて。

結果をSNSで日本語スタッフさんとやりとりした際、薬の不安、帰国日程の相談などきめ細かく対応してくれて、それも不安軽減につながっている。

言い方どうかと思いつつ、
印象としては、インドのクリニックって、
田舎のおばさんち
って感じ。
面倒見の良い気さくなおばさんと、近所の親切すぎる人たちがかわるがわる様子を見に来てくれて、欲しいものないか、大丈夫かときいてはかえっていく、みたいな。

ほっこりした。病気なのに。








猿之助の事件をきっかけに、家族という地獄について書きたい。

まだ伝聞情報しかないのに、今回の「事件」について書こうと思うのは、伝わってくる断片からだけで、猿之助と父親,母親、3人の家族が置かれていた(作り上げていたのだが、それは意図的ではなくて、構成員たちにしたら、その場に居させられていたと感じているのではないかと思う)状況、彼らの関係性を、温かい地獄のようだと感じたからだ。


それは、私の「家族」だった構成員たちとの経験を彷彿とさせるものでもある。あの狭く濃密な関係性、客観的な正しさでは測れない絶望的な基準と価値観がまかり通る場所。

「家族」という閉鎖空間は、社会の中で功績をあげ信頼を得ている人間をも瞬時に無力化することさえ出来る恐ろしい力を持つ場であり、それを地獄だったと感じるためには、そこから離脱しない限り不可能であると、経験者としては思うのである。


ちなみに、私個人の経験は、生き死にに直接関わるようなものではなかった。構成員たちに振り回され、経済的,精神的に酷く追い詰められただけである。ただ、その追い詰められる過程が、100%巻き込まれたという受け身とは言い難く、行きたくないのに自ら巻き込まれに行った感覚だった。コーチとして学びを深める過程で、それはマインドコントロールの一つの姿であり、毒親の呪いによるものだったとわかった。わかった後でその呪いを解くことに、十年近くかかった。家族の恐ろしさ、影響力の濃さを思い知らされた。


さて、猿之助の事件のこと。

メディアでは、猿之助が起こした心中事件⁉︎のような捉え方をされているように思う。だからレポーターやコメンテーターたちは、

「人気と実力を兼ね備えた大役者が、何故?」

「名前入りの興行のさなかに、何故?」

「歌舞伎界の将来を見据え、若手を育てる意欲に満ちた代表者なのに、なぜ?」

と,ショックを隠せず、理解に苦しむコメントしか出していない。


そうなのだ、左脳で,理性で考えきれたら誰でも、多分猿之助本人でも、こんな結果にはならなかったのだ。


猿之助の家族の事件を借りて、私の考えるところを以下に書く。私の経験も多分に踏まえたものだ。


この事件は、猿之助が主導したのではなく、彼は結果的に巻き込まれにいったのだと思う。巻き込まれた、のではなく、巻き込まれに行った、ところがミソだ。


親の言葉の前に,子供は無力になる。親からの刷り込みによって、時として子供の思考は止まる。社会的に成功している立派な大人であっても、刷り込み者の前で、刷り込まれた人間は簡単に思考停止してしまう。

一人息子は、老人の自殺念慮に負けて、それを許してしまったのではないか。そして、責任感が強いからこそ、自らもそこに巻き込まれて行ったのではないか。そこに、理性的な考察はなく、スイッチを入れられた者の、悲しい慣れがあったのでなかろうか。




おそらく、彼ら家族は共依存状態だったのだろう。

自死したかったのは、父親か母親のどちらか、もしくは二人。夫婦も互いに共依存だっただろうから、どちらかが死にたい願望を持ちながら、それを止めるもう1人がいる。死にたいと必死に訴える相手と、受け止めるしかない片割れが長い年月を経て、死にたい話以外のことに関心を向けなくなる。

2人は死にたい(当人と死にたい話に付き合う相棒)願望で繋がった協働者となり、もう1人に、2人の共通見解・願望を訴える。

もう1人の構成員・猿之助は、彼らの一人息子である。


子供は、物心つく前から,その親の言動行動の影響を受ける。子供への親の期待,在って欲しい姿やなって欲しい職業などを刷り込んでいく。この刷り込みは時に、親のジェンダーや嗜好の価値観(偏向かもしれない)と子供の生来のそれが不一致だった場合、悲劇を生む。上西充子の言う『呪いの言葉』が、子供の心に刷り込まれるのだ。


ましてや、猿之助の家は歌舞伎役者の名門である。一人息子が親から刷り込まれるものはどれほどのものか,想像がつかない。


職業選択の自由云々の話は置いといて、

親の言葉を絶対なものとしてきた子供にとって、それと自分が大切にする価値観とが不一致だとしたら、まず自分の価値観を「ワガママ」として一旦脇に置く、ということは意外に簡単なことである。というより、一旦脇に置くことに,あまりにも慣れてしまうのだ。


チャルデイーニが書いたように、カルトにハマるプロセスで起きる、他者から決まった働きかけが、当人にその思考を停止させるスイッチとなる現象とほぼ同じことなのではないかと思う。


猿之助は子供の頃から良く訓練された歌舞伎者として、親の言うことは絶対であり、そこに自分の「ワガママ」を差し挟むことは禁忌であると刷り込まれ、いつの間にかそれをあたかも自分の考えであるかのように思い込んでしまったのだろう。


親の「呪いの言葉」を刷り込まれたら、どんなに理性的かつ明晰な左脳を持った人でも、そのスイッチを入れられた瞬間に、我が思考は停止してしまうのである。


もちろん、人間年を重ね経験を重ねる過程で、知恵もつき、言葉も持っていくわけで、思考停止のスイッチが作動する頻度は減っていく。


子供が成人し、親が健康で、子供も健全な時期はきっと、まあまあ平穏にすぎて行ったのかと思う。


ただ、親も老いる。老化に伴う親の変化は、どんな子供にとってもショッキングなものだ。介護が必要となった老親とは、関係が逆転する感覚も含めて、子にとってはなかなか受け入れ難いものであり、親にどう接して良いか,戸惑いの沼に陥る人も少なくない。


そんなマイナスな変化の中、絶対者である親たちが、死にたいと言い始めた。

呪文のように死への訴えは続く。

一人息子である彼には、その苦しみを共有できるきょうだいもいない。


親の言葉は絶対だ。

自死願望は自分の価値観と合わないことだが、それは自分のワガママかもしれない。


誰にも相談が、できない


自分の理性的思考は、停止した。


死にゆく老親を止められない。止めることは悪いこと(自分のワガママ)だ。


老人たちが断崖めがけて走らせようとしている車に、自分は乗るべきなのか?

乗りたくはない。

車を止めなければ!でも止めてはいけないのかもしれない。

どうする?

車を見送るのか?見送れない。それは無責任だ。

どうしよう?

理性思考は停止している。

他者へ助けを求めることすら、忘れている(取るべき選択肢に、初めから入っていない)


そして、猿之助本人も服薬した。たぶん、どっちつかずの状態で。


ここまで、敬称略。



あくまでも、個人の考えです。何もわからない中で、個人の経験から推測しました。


根拠があるとすれば、私が毒親の呪いの経験者であり、程度の差はあれど、家族という名の地獄を垣間見たことがあるからかな、と。


猿之助さんがさまざまな意味で回復され、再起されることを心から心から、祈っています。











2月には2回にわたり、某企業様のマネジャー研修を担当させていただきました。

ご縁があって、昨年4月の新入社員研修、新年の若手社員研修を経てのもの。

会社を担う従業員の方々、職位によって課題やお悩みは様々で、いろいろとお話しを伺って、課題を抽出し、それを補うための研修メニューを提案し、人事の方のOKをいただいて、実施に至ります。

 

今回はマネジャー層30名に向けて。

全員が親会社からの出向者ではないプロパーであり、昇格試験を経て今の職位に就いた方々で、会社からの期待も大きい大切な社員さんたちです。

ただ、会社からの期待が大きいために全てが彼らの肩に掛かってきている状態で、文字通りのプレイングマネジャーとしてご自身の仕事を持ちながら部下を指導し、チームの目標を達成しなければならない毎日。しかも今までこれといった武器や智慧のインプットがなされておらず、すべて自己流でこなさざるを得なかった、という皆さんでした。

 

私が提供できるものの中から今回のみなさんにとってワークするだろうと思ったのは、考え方・知見の注入とそれを使ってのケースディスカッション。

システムコーチングからの智慧も駆使して場を作りつつ、講義→ケースのグループ討議→クラス全体討議→ケースディスカッションで得られた智慧を明日から現場で使うためのワーク と言う流れで組み立てました。

 

ケースは、大学教員時代に授業で使うために、KBS時代のクラスメートの会社で起きたことをモチーフにして書いたもの(フィクションです)。係長に昇格したのに自覚が全くない主人公が、部下に退職を決意させるまでの物語です。

 

あらためてケースを読み直し(自分が書いたモノですけど新鮮でした笑)、主人公の目線、部下の目線、上司の目線、その他もろもろ分析をし直し、授業計画書をイチから作り直し・・・ケースディスカッションをリードするための準備を、ケースメソッドインストラクティングの基本に則って、全てやり直しました。

 

その学びの、なんと多かったことか!!

 

ケースメソッドは、ハーバードビジネススクールで構築されたものですが、その根幹にあるのは「カウンセリングマインド」です。

ビジネススクールで教えるものは、経営管理の仕方です。企業は経済合理性の体系であると同時に、従業員たちの感情と信念の体系でもある、とHBSの先生は考えました。企業経営は意思決定→実行の繰り返しであり、その実行には、メンバーがお互いに励まし合い、共に考え、議論を重ねて意思決定し、決定した道を信じて意思決定者と従業員が協働して実行する・・・。人間たちが協働して目的達成のために頑張るのだから、経営管理者(マネジメント層)にはそれに応える精神・カウンセリングマインドが重要だ、ということなのです。

ケースメソッドは、実働の代替としてケースを読み込むことで問題の場面に立ち会う擬似的体験学習=一種のイメトレともいえます。イメトレをよりビビッドに体験できれば、ディスカッションの参加者同士の議論の場がアクティブになり学びは深まります。そのためにディスカッションリーダーには、議論の参加者たちが相互に切磋琢磨出来る状態を維持していくことが求められるのです。

 

だからこそ、ケースの読み込みも、そこから参加者に何を学び取ってもらうべきか、どんな智慧を結晶として持ち帰ってもらうか、逆算するように入念に考え、授業の流れを組み立てなければなりません。

久しぶりにものすごく考えました。ものすごく入れ込みました。

 

そしてあらためて、KBS時代のさまざまな授業の思い出がよみがえり、どのクラスも本当に「凄かったなあ」と思いました。なにが「凄かった」のかって、私たち学生の気合いと勉強量もですが(あんなに勉強したこと、人生でないですから・・・)、やはり先生方の授業の精度の高さ、準備の深さです!

私が自身が書いた短いケースを分析してケースディスカッション授業化するだけでこれだけの時間を費やしたことを考えると、先生方はご自身の研究をしながら、毎日の授業準備に時間と精力を傾けていらしたわけで、その重さというか濃さというか、圧というか・・・パワーはいかばかりかと推察すると、そりゃあKBSの授業料がハンパなく高いの、頷けるわなあ(って今更か・・・)と思います。

 

先生方、今更ですが本当に、ありがとうございました。 ぶっちゃけ30年ちかく経ってますけど、あの体験はいまでも鮮やかすぎる色を以て、私に迫ってきてます。

 

そんな感慨に浸ったことでさらにモチベーションが爆上がりだった私は、おかげさまで相当な熱量をもってマネジャー研修を納めることができました。

参加者の皆さんのほとんどから、多くの学びがあったとうれしい感想をいただきました。

 

いやいや、学びがあったのは私もなんです。本当にありがたいことです。

 

この仕事についていることに、こころから感謝した2月でした。

 

ありがとう、ありがとうございます!!