後篇 第26 佛神擁護(ぶっしんおうご) #jodoshu #開宗850 | 法然上人御法語のブログ

後篇 第26 佛神擁護(ぶっしんおうご) #jodoshu #開宗850


後篇 第26 佛神擁護(ぶっしんおうご) 浄土宗略抄

 

 

弥陀(みだ)の本願(ほんがん)を深(ふか)く信(しん)じて、念佛(ねんぶつ)して、往生(おうじょう)を願(ねが)う人(ひと)をば、弥陀佛(みだぶつ)よりはじめ奉(たてまつ)りて、十方(じっぽう)の諸佛(しょぶつ)・菩薩(ぼさつ)、観音(かんのん)・勢至(せいし)、無数(むしゅ)の菩薩、この人(ひと)を囲繞(いにょう)して、行住座臥(ぎょうじゅうざが)、よるひるをもきらわず、影(かげ)の如(ごと)くにそいて、諸(もろもろ)の横悩(おうのう)をなす悪鬼(あっき)悪神(あくじん)のたよりをはらいのぞき給(たま)いて、現世(げんぜ)には横(よこ)さまなる煩(わずらい)なく安穏(あんのん)にして、命終(みょうじゅう)の時(とき)は極楽世界(ごくらくせかい)へむかえ給(たま)う也(なり)。されば、念佛(ねんぶつ)を信(しん)じて往生(おうじょう)をねがう人(ひと)は、ことさらに、悪魔(あくま)をはらわんために、万(よろず)の佛(ほとけ)・神(かみ)に祈(いのり)をもし、慎(つつしみ)をもする事(こと)は、なじかはあるべき。いわんや、佛(ほとけ)に帰(き)し、法(ほう)に帰(き)し、僧(そう)に帰(き)する人(ひと)には、一切(いっさい)の神王(しんのう)、恒沙(ごうじゃ)の鬼神(きじん)を眷属(けんぞく)として、常(つね)に此(こ)の人(ひと)をまもり給(たま)うといえり。然(しか)れば、かくの如(ごと)きの諸佛(しょぶつ)・諸神(しょしん)、囲繞(いにょう)して守(まも)り給(たま)わん上(うえ)は、又(また)いずれの佛(ほとけ)・神(かみ)かありて、なやまし、さまたぐる事(こと)あらん。