前篇 第23 一枚起請文(いちまいきしょうもん) #jodoshu #開宗850 | 法然上人御法語のブログ

前篇 第23 一枚起請文(いちまいきしょうもん) #jodoshu #開宗850


前篇 第23 一枚起請文(いちまいきしょうもん)


 

 

もろこし我(わ)が朝(ちょう)に、もろもろの智者達(ちしゃたち)の沙汰(さた)し申(もう)さるる、観念(かんねん)の念(ねん)にもあらず。又(また)学問(がくもん)をして、念(ねん)のこころをさとりて、申(もう)す念佛(ねんぶつ)にもあらず。ただ往生(おうじょう)極楽(ごくらく)のためには、南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)と申(もう)して、疑(うたがい)なく往生(おうじょう)するぞとおもいとりて申(もう)す外(ほか)には別(べつ)の仔細(しさい)候(そうら)わず。ただし三心(さんじん)・四修(ししゅ)と申(もう)すことの候(そうろ)うは、皆(みな)決定(けつじょう)して南無阿弥陀佛(なむあみだあぶつ)にて往生(おうじょう)するぞとおもううちにこもり候(そうろ)うなり。この外(ほか)に奥(おく)ふかきことを存(ぞん)ぜば、二尊(にそん)のあわれみにはずれ、本願(ほんがん)にもれ候(そうろ)うべし。念佛(ねんぶつ)を信(しん)ぜん人(ひと)は、たとい一代(いちだい)の法(ほう)をよくよく学(がく)すとも、一文(いちもん)不知(ふち)の愚鈍(ぐどん)の身(み)になして、尼(あま)入道(にゅうどう)の無智(むち)のともがらに同(おな)じうして、智者(ちしゃ)のふるまいをせずして、ただ一向(いっこう)に念佛(ねんぶつ)すべし。

為証以両手印(しょうのためにりょうしゅいんをもってす)
浄土宗(じょうどしゅう)の安心(あんじん)起行(きぎょう)、この一紙(いっし)に至極(しごく)せり。源空(げんくう)が所存(しょぞん)、此(こ)の外(ほか)に全(まった)く別義(べつぎ)を存(ぞん)ぜず。滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)をふせがんがために所存(しょぞん)をしるし畢(おわ)んぬ。
建暦(けんりゃく)二年正月(しょうがつ)二十三日
大師(だいし)在(ざい)御判(ごはん)