いつものルールも守らずただ思いつくがままに書いてみよう。
書いてみよう。


どうして、物事はいつも楽しいことの後に悲しいことがやってくるんだろうか。
そして、どうしてバランスよく、悲しいことの後に、楽しいことがやってくると思えるんだろうか。
時間の流れがおかしいのか、人間の感覚が鈍いのか。はたまた、私の楽観的な部分がそう思わせるだけなのか。


面白いと思って観ていた映画に、
嫌悪するようなシーンや、セリフがある。

そんなのはよくあること。


どうして、このシチュエーションで、こんな展開になるのよ?
神様がいるとするならひどいわ、私をいじめているのね、きっと。これは、試練よ。


こんな気持ちになる人いない?


映画も、音楽も、なんでも、「これ私のことだ」と思えるようになってる。

物事はいつも偶発的。
それを、拾い集めて証拠のように握りながら熱弁しても意味がないのはわかっている。

しかし、感情が許さない。起きた出来事に感情はいつも、追いつけない。
怒りを感じるとなおさら、追いつけない、許せない。

そうなると

なんなんだね、君これは。

的な気持ちになる。


拾い集めるんだよ、人は。
そして、悲しみのヒロインになれる材料を無意識のうちに探してんのさ。



おしまい。










なんの話がしたいのか、さっぱりわからねえ。



私は今日、昼寝をした。
仕事をストップして、昼寝をした。
普段、昼寝なんかしない。昼寝なんかできない。
昼に眠るのは難しい。
まぶたが薄いから、まぶたの向こう側が明るいと眠れないのだ。

しかし、うちは本当に暗い。
アイマスクも常備されている。


だから、本当はその気になりゃ、まぶたの向こう側は暗くできるのである。



そう、私の心が許さないのである。
昼間に眠ることを、私の心はいつも許さない。

しかし、今日は喉がガラガラである。
気管支炎による後遺症により、喉がカスカスしている。するとどうなるか、私の心は荒む。するとどうなるか、頭が痛くなる。

だから寝るという選択肢を選んだ。
川口にも自宅謹慎を命じられた。


なんでも眠ることは、都合がいい。

どんなに悲しくても、どんなに怒っていても、
どんな気持ちでも、眠ればいいのである。
朝はくるのである。皮肉にもな。




昔、不眠症に悩んでいた時期があった。


眠れないことに焦り、
眠れないことに怒った。


朝を嫌悪した。夜も嫌悪した。いつも怒っていたし、いつも悲しかった。独りよがりだった。
眠るということにフォーカスを当てすぎた結果、不眠症は悪化した。


しかし、捉え方一つで物事の見方は変わる。



私は今でも2時間に一度は起きる。
トイレに行くか、何かを口に入れて食う。
これはやめたいと思っていたが、諸々に対して諦めた。



早く寝ることだけは、今でもこころがけている。


2時間に一度起きるのも諦め、
出来るだけお菓子を置かないようにする。


これだけしかできない。
2時間に一度起きても、寝ているのである。
人は、眠れないといいつつ、寝ているのである。



私が昔会った医者がそう言っていた。


「あのね〜眠れない、眠れないっていう人に限って眠ってるんですよね〜」


その時、とても辛かったはずなのに拍子抜けしたのを覚えてる。これだけ聞いたら、「なんて患者の!気持ちを考えない医者なんだ!」って思うかもしれない。しかし、受診した本人が「たしかに(笑)!」と思ってしまったほど。あのお医者は元気してるかなあ、私は今元気です。


最近、宇宙について興味があります。
最近、テレビ番組を一切見なくなりました。
(ただそういうモードなだけ)
Netflixを見ている時が一番幸せです。
親父のご飯が大好きです。
実家の犬たちが大好きです。
夜が好きです。
早い朝は苦手です。



そんな感じです。