今から約20年前、雑誌で、長崎県の端島(軍艦島)の特集記事を見つけたの。

 軍艦島デジタルミュージアム(動画3分40秒)



坂本道徳さん(現:NPO軍艦島を世界遺産にする会・理事長)が、当時の生活を振り返って、インタビューに答えてたの。

もう、一気にテンションが上がっちゃって。

私が幼い頃、AC(公共広告機構)のテレビCM。

当時のCM(動画1分)



軍艦島があって、役目を終えて人が消えた後の寂しさ。

いつか、自分の街も、ああなるのかと強烈な印象があったの。

全盛期の夕張と、軍艦島、聞いた話と坂本さんのインタビューがぴったり重なって

「私たち(夕張)と同じだー!!!」って感動して、といっても話が通じる人なんていないから、雑誌を切り抜いて、夕張の風間健介さんへ郵送した。



「見て!見て!見てよー!」って、無邪気な感動を伝えたかっただけなんだけど。

そしたら、直後、雑誌情報から長崎の坂本道徳さんに連絡をとって、風間さんは軽自動車に撮影機材を積み込んだの。

知人から旅費の寄付をもらって、長崎まで走っていってしまった。

私以上に、記事を読んで衝動に駆られたらしいの。

夕張から端島まで、函館→青森(フェリー)以外は陸路1800kmよ!

当時は一般人の立ち入りが規制されていたんだけど、同行の取材で風間さんは写真を撮りまくったの。

老朽化して危険。一言聞いて想像がついたわ。

「ビルから剥がれたベランダが、空から降ってきた」

それからの、風間さんと坂本さんの交流の中で「軍艦島を世界遺産にする」というアイデアが生まれて、実現に向かうことになったの。

炭鉱関係では、北海道と長崎の連携が始まり、ローカルの北海道新聞なんか風間さんが提案して特集を組んだりして、軍艦島の事を知る人が増えていったのよ。

それから15年以上経ったずっと後に、風間さんと最後に会った時に言われたの。

「あなたがいなければ、軍艦島は世界遺産になっていない。あなたから始まった」と。

気づいていたわ。でも、面と向かってはっきり言われたときには、ものすごい感動があったわ。

遅かれ早かれ「世界遺産」というアイデアには行き着くと思うの。誰かが行動するはずよ。

でも、20年前、雑誌の記事を見て感動して、間髪入れずに、北海道の風間さんへ郵送した事。

何か考え事なんかして、1週間、1ヶ月と郵送が遅れていたら、体調不良や、他の所用があったりして、風間さんと坂本さんは会えていないかもしれない。

記事を見て満足して、何もしなければ、北海道と長崎が連携する事も無かった。

世界遺産登録決定、2015年7月15日


このタイムラインでは、私が風間さんに情報を送り、坂本さんとつながってアイデアが生まれ、動き出した長崎に北海道も賛同し、大勢の人たちの熱い思いが繋がっていったの。

インターネット上に広がるように。今のタイムラインの中では、最初にクリックしたのが私だったの。

人々は、必要以上の贅沢をし、お金さえ出せば電気や燃料は当たり前に買えるという感覚。でも縁の下には、熱い思いで支えている人が沢山いるのよ。

今の言葉なら「循環」

私もその一人だったから、「知って欲しい」

これが「オーダー」だったの。

軍艦島が有名になり、「炭鉱というものがあった」多くの人が知ることになったの。

「オーダーが通ったのよ」

引き寄せの法則とも言うわ。

私利私欲ではなく、純粋に内面から、無垢な衝動、純粋な想いには、凄いエネルギーがあるのね。

「直感」それは、とても大切なものなのよ!

※この記事は、故人・写真家・風間健介氏の話を元にしています。

NPO軍艦島を世界遺産にする会、理事長・坂本道徳 様より 2021.12.25 エピソード紹介の承認をいただきました。ありがとうございます。