写真家・風間健介(かざま けんすけ)
(1960ー2017)
(動画10分)
とにかく、凄い人でした。
何が凄いかって、昭和から平成にかけて「個の生き方を貫いた」人だったの。
歴史の片隅で埋もれてしまうから、私はどうしても紹介したかったの。
私が小学生の頃、友達の家の近くに、風間さんのアトリエがあって名前は知っていた。
炭鉱写真というジャンルの中では有名な「写真家」
大人になって私は、自分探し、ルーツを巡る心の旅を始めたんだけど、風間さんとは、インターネットを介して連絡を取ってから交流を持つようになったの。
今から20年ほど前、「北海道炭鉱遺産保存会・グループ炭抗夫」というのがあって、その情報をもらうため。
夕張の炭鉱では1635人の殉職者が記録にあるけれど、そのほかに、初期の、開拓時代に強制労働させられた囚人や朝鮮人、騙されて移住して労働させられた人など、無数の殉職者がいて、その上に私たちが暮らしているの。
「廃墟ブーム」で、荒廃した建物が、廃墟マニアの遊び場として荒らされる中で、背景にある歴史を軽く見てほしくない。そんな思いはビンビン伝わってきたわ。
フォトグラファーの集まりみたいだったけど、風間さんはカリスマ性があったの。
「写真」は日本では芸術としての認知が低くて、好きな写真を撮ってるだけじゃ生活は出来ない。
だから、フォトグラファー、写真屋として、カタログ写真、ロケ写真、報道写真、結婚式の写真を生業にしながら、片隅で自分の世界の写真を撮っていくしかない。
そんな現状で、職業・写真屋ではなく、「芸術・写真家、アーティスト」にこだわった人。
芸術作品として、自分の写真を販売する。その収入だけで生活した人。
「俺は写真屋じゃなく、写真家だ」会うたびに聞かされたわ。
もう、とんでもないのよ。
一時期、チャンスが来て海外から仕事のオファーがあったけど、当時はネットが無く、国際電話だったから、英語が通じなくて話しがまとまらず終わってしまったと言っていたわ。
私は、北海道夕張のアトリエに2回、埼玉に移住したあと狭山のアトリエに1回、あとはSNSでの交流をして、北海道や夕張に関する裏情報をずいぶんもらっていたの。
裏情報って、地元の著名人の不祥事もみ消し、スマホが普及しはじめた事でそれを買うために貧困層の少女売春(援助交際)が横行してるとか。
上手いことやってる人、弱みにつけ込んで買ってる人、泣かされてる人、権力者と繋がっていてメディアも手が出せないとか、怒りと愚痴ばかりなんだけど。
田舎でも、素朴で良い面ばかりじゃないなぁって、当事者情報で、私の視界もある意味、広げてくれたの。
写真を売ったお金だけで生活できるかって?出来ないでしょ普通。
実は、長年居住していた夕張のアトリエは「不法占拠」で、北海道炭鉱汽船株式会社(北炭)の持ち物だったの。
何度となく北炭職員が立ち退き交渉にいったけど、話がつかずナアナア。
当時は大らかだったと思うけど、法的な強制退去の手続きはされず、北炭が泣き寝入りみたいな形で、家賃は払わず住み続けた。
この話は、北炭社員だった私の父から直接聞いた当事者情報。
わざわざ持ち出しているのは、常識では眉をしかめる、非常識すぎる風間さんのふてぶてしさから、見える事や学ぶ事があると思うからなの。
貧乏なアーティストが「自分の写真を売った収入だけで生活する」
この信念のためには、どう思われてもかまわないって風間さんのスタンス、北海道での地元メディアでの活躍、知名度、作品の評価、多くの彼の支持者、その関係の中で、北炭側も強制執行など出来ず、黙認みたいにずるずるになった。
「場」が共振して、結果的には黙認は、心のどこかで認めてくれていたのよ。
そして、多くの作品が世の中に出た。
埼玉に移住した時も、賛同者が格安家賃で部屋を提供してたみたいだし、本人のパワーが周囲を巻き込んで、生かされてるのでもあり、迷惑かけながら、何かを提供していたの。
これから来る「個の時代」なら活躍の方向は広かったかもしれないけど、昭和から平成にかけての常識の中でバイトする事無く「芸術家」を貫いた人がいたって事が凄いのよ。
ただ、純粋な少年が、そのまま大人になった人だったから、一般の人とはコミュニケーションが苦手だったかも。一言でいえば「人の話を聞かない」
私も、だんだん疲れてきて、距離を置くようになり、年賀状も書かなくなって。
その後、千葉県の館山に移住したのだけど、ブログでは体調不良を訴えていたの。
2017年6月3日の風間さん最後のブログ記事は、まだネット上にあるわ。
2017年6月17日、自宅で死亡しているのを発見された。
享年56歳。孤独死。
多くの人が、自分をどこかごまかしながら、会社で出世し、死に際に「本当は○○になりたかった」と後悔する時代に、我を通した。
路上ミュージシャンや売れない芸人が一切バイトしない。そんなこだわり。そんな生き方をした人が日本にいる。
私にとっては、あまりに、強烈な人でした。
不屈の魂を持つ、風間健介さんに会えた事を感謝します。