(前編の続き)
 



別れる方向に落ち着いた。

それで、いつ?

最終的には、

「2018年3月31日付けで恋人関係を解消する」と二人で合意。

残り時間は半年を切り、その後は、以前と変わらないノリだけど。

何でもかんでも楽しんでやろうと、本気で生きてるって実感した貴重な時間を過ごせたの。

2人は年度末に死ぬと決めた。余命宣告を自らしたのよ。

その日がきたら一緒に死んで、翌日は生まれ変わるけど、別々に、全く違う人生に向かって歩きだすと。

そういうストーリーを作ったの。


どうしようもない事はあるけど、ソフトランディングの方法として紹介してみました。

この後、一切連絡を取らなかったのだけど、疫病騒動の闇を知ってから、新薬の治験データなど公式資料をLINEしたの。

良く情報を取るようにメッセージしたけど、既読はついても、返信は来なかったの。

その後しばらくして、「注射打ったら死ぬよ!」と、今度はキツいサイトのリンクも送ったけど、既読スルー。

もしかしたら、そのまま行っても、疫病騒動で価値観が真っ二つに割れていたかもしれない。

私はというと、実は救われたの。

植物も動物も、生命は次に命を託して死んでいく。それが出来ないなら、生きてる意味もないし、生命として出来損ない。

存在価値の自己否定がずっとつきまとって、どんなに逃げようとしても追ってくる。

生きる価値なんてないと、ずっと自分ですり込んで来てしまったの。

別れてしばらく後、私は、

「人間の寿命は誰もわからないから、自分で寿命を決めて良い」という考え方を採用した。

私は、自分の寿命を90年と決めたの。

前半生・第一の人生は0~45歳、家庭を持つことを夢見た人生。

比較して、不安を持ち、世の中に振り回されてきたの。

後半生・第二の人生は46~90歳、途中で事故や病気で死ぬ事もあるし、体力が無くなって仕事も無くなり、ノタレ死にするかもしれないけど、天寿を全うすれば90歳が寿命。

そういう設定に決めてしまったのね。

だから、46歳の今は、第二の人生、生まれたばかりの新生児よ。

世間が常識でプレシャーをかけてきても、効かないわ。

常識、比較の世界、婚活やマッチングアプに登録した日には、私は超最悪スペック、最底辺なんだから。

今更、比較の世界に戻る気も無いし、心が自由になって、楽しいの!

良いことも、悪いこともね!


「絶対、うまく行くには、どうすればよいの~?」

という問いがありがちだから、答えるわね!


この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

一休宗純 (禅僧)

後になってみないと、わからないの。。。

やっぱり一休さん!マイブームよ!