先週、当社の会長(私の父でもある)が大田市場内で同業の八百屋さん(30代後半くらいか)に罵倒された。
どうやら会長が車を停めた場所が、その八百屋さんの借りている場所だったらしく、それを咎められての事だった。
その駐車スペースは、当社の本社の目の前だったため、ほかのスタッフも荷の積み下ろしのために度々駐車をしていたようで、それに腹を据えかねた八百屋さんが、会長を罵倒したようだ。
会長いわく、「詫びているのに何十回もバカと罵られ、謝ってすむもんじゃねーと怒鳴られたので、どうしたら許してくれますか?と尋ねたら、てめえで考えろ!」と言われたそうだ。
たまたま、そのやり取りの直後に遭遇した私は、興奮する相手に当社が迷惑を掛けたことを詫びつつも、「それでも、バカはないんじゃないですか?」「うちの会長はバカじゃないです」「あなたにはバカに見えますか?でもバカじゃないです」とだけ言い続けた。
そのやり取りを10分ほど続けて、ようやく相手は「自分の言い方は酷すぎた、申し訳ない」と言ってくれた。
しかし、そのやり取りを知らずに帰った会長の心の傷は如何ばかりかと思うと、本当にやるせない気持ちになった。
当社の会長は若い頃から業界の組合の役員を務め、この大田市場の移転に尽力した功労者である、と私は思っている。
また、10年程前には全国の業界の理事長を務め、自分の会社よりも業界の発展を優先し、本当に尊敬すべき人物であるとも思っている。
確かに停めてはいけない場所に停めてしまったことは、誰であっても詫びるべきだが、何十回も「バカ呼ばわり」されるのは我慢のならないことだ。
心血を注いで移転を果たした大田市場の中で、そのキャリアの終盤とも言えるこの時期に、そんな思いをさせてしまったことは悔やんでも悔やみきれない。
しかし、こんな事態を引き起こした原因は、相手の八百屋さんではなく、大治や私自身にあると思っている。
かつては市場の移転や業界の発展に尽くした会長も、表舞台から退いて10年以上が経過し、八百屋さんからすれば、「ただの爺さん」に見えたのだろう。
少なくとも10年前であれば、そのオーラから、決してそのような態度を取られる事はなかっただろうが、残念ではあるが現在の姿を見て「舐められた」のかもしれない。
では、かつての功労者である会長が現役を退いてもなお、尊敬を集め続けるためには何が必要か。
それは、大治という会社が周囲の尊敬を集めるような企業になることだと私は思う。
現在、大河ドラマで取り上げられている吉田松陰だが、彼は明治維新のはるか手前で処刑されているにもかかわらず、なぜ今の世で高く評価されるのか?
それは、残された弟子が素晴らしかったからだと私は考えている。
吉田松陰のことはよく知らなくても、多くの活躍した弟子の功績を通して、「あんな人たちを育てた松蔭はすばらしい(のでは)」と思うのではないか。
同様に当社の会長のことをよく知らない人たちでも、大治という会社が素晴らしければ、「あの大治の会長だから」と尊敬を集め続けることができ、今回のようなトラブルも発生しなかったと思っている。
売上や利益を増やし、規模的に会社を発展させることも重要だが、その行いで周囲の尊敬を集めるような企業を本気で目指さなければならない。それが後を行く者の責務であると痛感した。
あのように嫌な思いをさせてしまった会長のためにも、大治を人に誇れる会社にしなければならないと心から思った。
二度と父が「バカ」と呼ばれないように。