1970年6月、日本映画の転換点「ダイニチ映配」五社協定崩壊 | HONDAのブログ

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1970年6月、映画の転換点「ダイニチ映配」五社協定崩壊

高専に入学して最初のGW 私は「映画」というと ゴジラ

ぐらいしか知らなかったが、GWが明けて 寮に帰ると 

同級生でいっぱしの「映画評論家」みたいなのがいて 

(日本映画はアカンな)とか(日活と大映が合併するらしい)

とかを聞いたような気がする 今思うと、、経営が いきず

まった(日活)と(大映)が苦肉の上 末期的業務提携した。

その年の5月 のGW封切り映画は

<日活>

「女番長 野良猫ロック」

• 長谷部安春 監督

• 和田アキ子, 梶芽衣子, 和田浩治, 范文雀, 久万里由香, 

十勝花子, 島津ゆう子, 大橋由香, 柳美樹, 島敏光, 富田

ジョージ, ケン・サンダース, 中丸忠雄, 睦五郎, 藤竜也,

「青春喜劇 ハレンチ学園」

永井豪の同名漫画をもとに、現代の断絶を徹底的にカリカ

チュアライズした喜劇。

• 丹野雄二 監督

• 小松方正, 藤村俊二, 由利徹, 大泉滉, 宍戸錠, うつみ宮土理,

 上田吉二郎, 左卜全, 雷門ケン坊, 大谷潤, 渡辺史郎, 児島美ゆき,

<大映>

「あぶく銭」

• 森一生 監督

• 勝新太郎, 天知茂, 野川由美子, 藤岡琢也, 高城丈二, 水野久美,

 酒井修, 成田三樹夫, 北城真記子, 水上保広, 五味龍太郎, 丘夏子

「高校生番長」

• 帯盛迪彦 監督

• 南美川洋子, 小倉一郎, 篠田三郎, 三笠すみれ, 別府正英, 

若倉慶, 関幸四郎, 小野川公三郎, 成瀬亜紀子, 八並映子, 

山本一彦, 稲妻竜二, 夏川圭一, 笠原玲子, 田武謙三

と全くの不入りであり 経営的にいきず待った末の決断だった。

(売りは)「裕次郎 と 勝新 が 同時に見られる」とい

うものだった。

<東映>

「捨て身のならず者」

• 降旗康男 監督

• 高倉健, 浜美枝, 宍戸錠,

「でんきくらげ」

• 増村保造 監督

• 渥美マリ, 川津祐介, 永井智雄, 玉川良一, 西村晃, 真山知子,

<東宝>

「無頼漢」

• 篠田正浩 監督

• 仲代達矢, 岩下志麻, 小沢昭一, 丹波哲郎, 渡辺文雄, 

米倉斉加年,

「不思議な仲間」

• 児玉進 監督

• 夏木陽介, 林与一, ジュディ・オング, 団令子, 中山麻理,

<松竹>

「喜劇 度胸一番」

• 井上梅次 監督

• 財津一郎, 岡田茉莉子, 中川加奈, 伴淳三郎, 久里千春,

「満願旅行」

• 瀬川昌治 監督

• フランキー堺, ミヤコ蝶々, 団令子, 森田健作, 香山美子,

 <洋画>

「雨の訪問者」(フランス)

• ルネ・クレマン 監督

• チャールズ・ブロンソン, , ジル・アイアランド,

「夜の刑事」(イタリア)

• ロモロ・グェッリエリ 監督

• フランコ・ネロ, フロリンダ・ボルカン,

ダイニチ配給 の お盆 映画は石原慎太郎原作の

『スパルタ教育くたばれ親父』(日活)、往年の日活の

スター、石原裕次郎と、大映の看板女優・若尾文子が夢

の共演を果たすシナジー効果も生み出している。因みに

本作品の同時上映は、勝新太郎主演の『座頭市あばれ火祭り』

で、発足間もない1970年のお盆興行において、勝新・裕次郎

という双方の社を支えたスターの顔合わせを、早くも実現さ

せていたことになる。ダイニチ映配時代の間にも両者の経営は

ますます悪化していった。

1971年になると、大映は、永田の方針として映画の自社内製に

こだわり続けた一方で、全盛期の収益は主に株式配当や永田の

政治活動に充当されており、映像事業強化や多角化による

経営基盤の強化に積極的に資本を投入しなかった、大映にはそれ

に代わって安定的に収益を生み出す手段もなく、資金面で窮する

たびに本社や撮影所などを含む自社関係の敷地や資産を切り売り

してどうにかしのぐという、苦しい選択肢しか残されていなかっ

たのである。

一方、日活では6月に堀久作社長が退陣し、息子の堀雅彦が社長に

就任する。この余波で、堀久作の片腕だった壺田が日活常務を解任

され、ダイニチ映配に取り残されることになる。壺田が社長に就任

したばかりの出来事だった。

8月に日活制作の『八月の濡れた砂』『不良少女 魔子』が公開。

これをもって日活は映画製作を中断、ダイニチ映配から離脱する。

 これによって配給網が成り立たなくなったダイニチ映配は、

同月に崩壊。日活は、暗黒時代の映画界でとにかく会社を生き残

らせるため、同年11月から成人映画路線「日活ロマンポルノ」を

スタートさせた。

一方、大映は、10月に大映配給株式会社による単独配給を再開。

関根恵子が大映で主演した最終作『成熟』など、その後の作品

は大映単独で配給している。永田雅一に代わり、息子である副

社長の永田秀雅から全従業員に解雇通告がなされ業務全面停止

12月末に倒産となった。

東宝も翌1972年に自社での映画製作を大幅縮小。専属俳優の

解雇を実施し、ほぼ外部からの調達に切り替えた。

東映のみ(任侠映画で収益を出し) 松竹は(寅さんで)しの

いでいた。このようにして大映こそ、破産という形で五社協定

もろとも崩壊したものの、自社専属俳優体制の脱却、経営の

多角化などの変化を通じて、自社の興行網を維持した上で斜陽の

時代を乗り切っていった。