S24年『青い山脈』 | HONDAのブログ

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『青い山脈』は、1947年(昭和22年)6月9日から10月4日

の「朝日新聞」に連載された。

私の母は昭和5年6月生まれ(当時17歳になったばかり)

実家から和歌山師範学校に通うていたが、この新聞小説を

毎朝読んでから家を出たそうである。

物語は、東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる

騒動をさわやかに描いた青春小説である。『青い山脈』は、

日本国憲法が施行された翌月から連載され、民主主義を啓発

させることにも貢献した。『青い山脈』が連載された1947年

度(昭和22年度)には学校教育法に基づく学校は、中等教育

及び高等教育に関しては新制中学1年を除き、ほぼ皆無の状況

であり、旧制の学校が「従前の規定による学校として存続」

という状態であった。この小説は、従前の中等学校令

(昭和18年勅令第36号)に基づく旧制・高等女学校と高等学

校令(大正7年勅令第389号)に基づく旧制・高等学校という

中で書かれている。

作者の石坂洋次郎は、青森県立弘前高等女学校(現在の青森

県立弘前中央高等学校)の教員であった。当時疎開中の女子

学生達から聞いた学校生活をこの小説の題材にしたといわれ

ている。 この作品を原作として1949年(昭和24年)には

原節子主演の映画が製作され、大ヒットとなった。その3ヶ

月前に発表された同名の主題歌(西條八十作詞、服部良一

作曲)も高い人気を得た。

東宝と松竹が映画化権を争い、松竹が木下惠介監督を提示し

たことから東宝側は負けるのを覚悟したが最終的には東宝が

映画化権を獲得。しかし、東宝争議で企画審議会に加わって

いた組合が「プチブル作家の石坂がブルジョア新聞に連載し

た作品をなぜ東宝がやる必要があるのか」と猛反対していた。

今井は「戦時中抑圧されていた若い男女が一緒に町を歩く、

それを描くだけでも意味がある」と反論した。

今井は芸者の梅太郎役に杉村春子を推したが、最終的に

木暮実千代に落ち着いた。ロケ地は静岡県下田市他。

1989年に放送されたNHK『昭和の歌・心に残る歌200』

でも一位を獲得している。

この曲を歌った藤山一郎と作曲者の服部良一は共に国民栄誉

賞を受賞している(作詞の西條は国民栄誉賞創設以前に死去)

作曲者の服部良一は、著書の中で「神戸から省線に乗って、

京都に向かう途中のこと、日本晴のはるか彼方にくっきりと

描く六甲山脈の連峰をながめているうちににわかに曲想がわ

いてきた」と記している。

2011年10月から映画の原作者である石坂洋次郎ゆかりの地

 

 

にある横手駅(秋田県)の発車メロディとして使用されている。