「東京五輪 (柔道)」 | HONDAのブログ

HONDAのブログ

ブログの説明を入力します。

無観客での 東京五輪が開催されて前半が終了しました。

昨日の男子GOLFの 3位決定の「プレーオフ」は蛇足で

あったと思うのは 私だkrだろうか?

前半戦 連日メダルラッシュに沸いた 「JUDO」ですが、

9個のメダル獲得で 競技発祥国の面目を保っているように

見えるが、 S39年の前回の 東京五輪では「柔道」が

競技として正式採用され 五輪前年の S38年 村田英雄

の 歌う「柔道一代」の 歌謡もヒットし 大いに盛り上がって

いたように思う それだけに 五輪本番で 無差別級(ヘビー

級)で オランダのヘーシンクに 日本の神永が 一本負けし

たときの近所の「おっさん達」の 落胆の大きさは 9歳のガキ

にもひしひし伝わりました。だから「結局」ヘビー級で 勝てな

ければ 他の金メダルも かすんで見えてしまうのはこの時の

 記憶によるものだろうと思う。 美空ひばりの 歌謡「柔」は

 東京五輪後の発売だが 村田の「柔道一代」は 五輪に向

けての応援歌なら、美空の「柔」は 敗れた日本柔道の 

鎮魂歌だったかもしれない。

 

 

今回も メーンエベントだった 100kg超級(ヘビー級)では

銅メダルもとれなかったのは 「画竜点睛を欠く」という こと

であり 最終の団体戦でも「世界王者のリネールには日本

王者のウルフが完敗」したことも 最後はしりすぼみに終わ

ってしまい 競技としての「JUDO」はよかったけれど「格闘

 柔道」では惨敗(私個人の印象)結果だったように思う。

S39年の 五輪柔道を思いだすと S36年の 「柔道世界

選手権」で 優勝した S9年生まれ 30歳の ヘーシンク打

倒に燃えていた日本柔道 「神永を出すのか?猪熊で行くの

か?」結局 S39年4月の 全日本柔道選手権 優勝(神永)

 2位(坂口) 3位(猪熊)の結果から 神永が 2位の坂口

征二を 仮装ヘーシンクに見立てて稽古を重ねて 五輪の 

無差別級に臨んだものの ヘーシンクのパワーの前に 完敗

であった。

日本柔道は S43年の「メキシコ五輪」に臨むことになったが

(S43年 時点では)

S9年生まれ  ヘーシンク 34歳(東京五輪 C)

S15年生まれ W・ルスカ 28歳(ミュンヘン五輪C)

S11年生まれ 神永    32歳

S13年生まれ 猪熊    30歳

S17年生まれ 坂口    26歳(S40年 日本C)

S14年生まれ 松永    29歳(S41年 日本C)

この 6人が 金メダル候補であったが、 「メキシコでの柔道

」は開催競技から外れたことにより、

ヘーシンク・神永・猪熊は 第一線から引退 S47年開催の

「ミュンヘンに向けて」となったが、目標を失った「坂口征二」が

S42年2月に 「プロレス転向」により 空中分解 結局

「無差別級」の 金メダルは S51年の モントリオールで

神永の弟子である 上村春樹が ようやくの「金メダル」獲得

であった。

(余談になるが)

この モントリオールで五輪 2連覇を狙っていたはずの 

36歳ルスカが S51年 1月に突如プロレス転向 A猪木と

2月に対戦したが、 当時のアマチア柔道家では(お金)には

縁がなかったということか。 ルスカには 猪木と(フェイクな)

プロレスをやるより。 S43年の「メキシコ五輪決着戦」として

 「ガチの柔道ジャケットマッチ」を 坂口とやってほしかったと

今となっては思う ばかりある。