「石坂洋次郎とその時代」 | HONDAのブログ

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最近 チャンネルNECOというCS放送で終戦後~S45年

あたりまで 大人気作家であった 石坂洋次郎原作ドラマを

たて続けに視聴した。先週は「山のかなたに」でした。

2000年あたりまで「あなたの思い出の曲」の

第一位 は たいてい「青い山脈」でした。

『青い山脈』は、1947年(昭和22年)6月から10月の

「朝日新聞」に連載された。敗戦が S20年8月 

たぶん小説を書きだしたのは S22年3月頃としたら

終戦から 1.5年 占領下であるが 復興しだした

日本ではなかったか?

私の母親は S5年6月生まれ S20年4月に 

和歌山師範学校に入り 空襲を避けるため 

海南市校舎の寄宿舎にいたそうだ、海南から和歌山

空襲を見たとき 日本は 「敗けるだろう」と漠然と思

うたそうです。終戦後 師範学校は 和歌山市内に

戻ったことにより 自宅の(現 紀の川市)から通う

ようになったそうです。

昭和22年6月(17歳になったばかり)で 朝日新聞に

毎日掲載される「青い山脈」が 待ち遠しかったと 

言うてました。映画は 2年後のS24年7月に公開 

そのときの主題歌が「青い山脈」・・この歌のどこが

印象的 と 母親に聞いたら2番の歌詞

「古い上着よさようなら、さみしい夢よ さようなら」

というところ

古い上着・・・・ 常に見ていた 軍服

さみしい夢 ・・ 夜になるとうなされる空襲警報

というように 聞こえたそうである。

とにかく S22 青い山脈~ S42 までの 20年

石坂洋次郎原作 というだけで 映画はヒットし 

ドラマの視聴率は稼げた (最近でいうと 東野圭吾

とか藤沢周平か)

S45年以降は「ぱたりとそれがなくなった」

(時代が変わったのである)

その終焉であった TVドラマ「石坂洋次郎劇場」

① 風と樹と空と1965 10

~1966  01   鰐淵晴子

② 山のかなたに1966 01 ~04 松原智恵子

③  青い山脈  1966 04 ~ 08 加賀まりこ

④ 雨の中に消えて1966 08~ 11  松原智恵子

⑤ 何処ヘ   1966 11 ~

~1967 02   勝呂 誉

⑥ あいつと私 1967 02 ~ 07  松原 智恵子

⑦ 続・風と樹と空と1967 07 ~ 10 鰐淵晴子

⑧ ある日私は 1967 10

         ~ 1968 04  松原智恵子

⑨ 花と果実  1968 05 ~ 10   和泉雅子

➉ 若い川の流れ1968 10

~ 1969 02  松原智恵子

⑪ 風の中を行く1969 02 ~ 05  吉永小百合

⑫ 台風とざくろ1969 07 ~ 10  松原智恵子

松原智恵子は いくつになっても 私の「きれいなお姉さん」

である。

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