祝 村田涼太 ミドル級チャンプ | HONDAのブログ

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昨日 5ケ月前の疑惑の判定に決着つける KO勝ちで村田涼太が世界チャンピオンになりました。

戦前筆者はこの戦いに「いやな予感がありました」
1969年7月28日、WBC世界フェザー級王者ジョニー・ファメション(オーストラリア)へ挑戦した当時人気絶頂であったファイチング原田。王者の地元シドニーでの敵地開催。原田の圧倒的不利は否めない状況だったが、原田はこの試合で2R、11R、14Rと3度のダウンを奪ってみせる。中でも14Rに奪ったダウンは強烈で、このダウンで王者のファメションは半ば失神状態に陥っていた。誰の目からも10カウント以内に立ち上がれそうにないと思ったが、この試合のレフェリーを務めていた元世界フェザー級王者のウィリー・ペップは、あろうことかカウントを途中で放棄すると失神していたファメションを無理やり立たせ試合再開を促したのだった。続く15Rを王者は必死の防戦で逃げ切り勝敗は判定にもつれ込まれた。それでも3度のダウンを奪った原田の勝利は揺るぎないものと思われたが、ここでもレフェリーを務めたペップは両者の腕を上...げた。つまり、「引き分け」で王者の防衛ということだった。村田対エンダムの前回の戦いとよく似たスチュエーションであった そして 誰もが 再戦では原田が勝って悲願の3階級制覇すると思っていたが、1970年1月6日、東京体育館にてファメションに再挑戦するが14回1分9秒KO負け、ボクシングはやってみないとわからないと当時 中学3年だった 筆者は痛感したものだ。だからというわけではないが 世間はこの再戦は 村田が簡単に勝つだろうと思ってるところに落とし穴があるのじゃないか?とも思っていた。また 日本のボクシング五輪 金メダリストは 世界チャンプになれないというジンクスもある。しかし そうゆうことも杞憂に終わるほど圧倒的強さで 村田は勝利した。勝利した瞬間に 涙を流した 村田にも そういう不安があったのであろうことが想像される。ミドル級という 世界屈指の強者のそろう 階級で村田がどんな ボクシングを展開するか?ここからが始まりであろう。