内山高志は一体何に負けたのか? | HONDAのブログ

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いつかこんな日が来るとはわかっていても、実際に来てみるとショックはあまりに大きかった。騒然とする会場をあとにするファンは一様にうつむいていた。涙ぐむ者がいた。中にはやりきれない思いから心ない悪態をつく者もいた。

 あの内山高志が負けた─―。

 27日、東京・大田区総合体育館で行われたWBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチの12度目の防衛戦で、スーパー王者の内山がランキング1位、暫定王者のジェスレル・コラレス(パナマ)に2回KO負けを喫した。2010年にタイトルを獲得してから6年3カ月。絶対王者が無残にも3度キャンバスに沈み、あっけなくベルトを手放した。

 いったい何が起こったのか。悪夢のような陥落劇をリポートする。

 初回の攻防で「これはまずい」とだれもが感じたのではないだろうか。挑戦者のコラレスはサウスポースタイルでスタンスが広く、かつスピードがあっていかにもやりづらそうなタイプだ。内山はコラレスのスピードについていけず、あっさりと侵入を許してしまう。

 ラウンド終盤には左右のフックを浴びて、早くもロープ際に後退。重厚で多彩なジャブとステップワークを武器に、常に自分の距離をキープしてきた内山が、今までに見せたことのない姿だった。

 コラレスの公開練習を視察した際の、佐々木修平トレーナーの言葉が頭をよぎる。

 「(コラレスは)スピードがあって、才能はあると思う。けっこう瞬発力があるので、いきなり踏み込んで打つパンチには気を付けたい」。

 このあと「もちろん内山さんなら大丈夫でしょう」と付け加えるのを忘れなかったが、若きトレーナーの一抹の不安は、不幸にも現実のものとなった。

 2回に入っても、荒っぽくパンチを振りまわす挑戦者が優勢だった。「やり返そうとした」という内山が前がかりになる。そこにコラレスの左カウンターがドンピシャのタイミングで決まったのだからたまらない。

 キャンバスに崩れ落ちた内山は立ち上がろうとするが、一度バランスを崩し、まるでスローモーションを見ているかのような動きでゆっくりと立ち上がる。ダメージは深刻だ。





 試合再開後、コラレスのアタックを浴びて今度はもつれるようにして2度目のダウン。WBAは1つのラウンドで3度ダウンすると自動的に負けになる3ノックダウンルール。これであとがなくなった。


 残り1分強。アリーナは騒然。リングの上で、内山の必死のサバイバルが始まった。それは絶壁に渡されたロープの上を、強風にあおられながら綱渡りをするようなものだった。コラレスの猛攻を辛うじてしのいでいた内山だったが、最後は下がりながら再び左を浴びてロープ際にバッタリ。KOタイムは2分59秒だった。

 内山の敗因を分析するのは簡単ではない。36歳という年齢からくる衰えがあったのかもしれない。ガードが不用意に下がるという悪いクセを指摘する声もあるのかもしれない。あるいは本人は否定したが、モチベーションの低下ということも考えられるだろう。確実に言えることは、今回のコラレス戦は、これまでと少し違った経緯をたどって実現したということだった。

2度も大物との対戦が決定直前で流れた。

 かねてアメリカ進出を希望していたものの、ビッグマッチがなかなか実現しない内山に対し、ファンやメディアの間で「内山を海外に行かせないのはかわいそうだ」といった声が大きくなったのは2年ほど前だった。こうした声に後押しされ、11度目の防衛戦が発表された昨年11月、陣営が2016年のアメリカ進出を記者会見で明言。試合を中継してきたテレビ東京も全面バックアップを約束し「いよいよ内山もラスベガスの檜舞台に立つのか」というムードが作られた。

 昨年大みそかのV11戦が終わると、陣営はアメリカ進出に向けて動き出した。そして内山も納得の実力者、前WBA世界フェザー級スーパー王者のニコラス・ウォータース(ジャマイカ)と「ほぼ決まり」という段階にこぎつけた。しかし最終的に米国のテレビ局が首を縦に振らず、話が暗礁に乗り上げるうちに、WBAから正規王者ハビエル・フォルトゥナ(ドミニカ共和国)との対戦をオーダーされ、交渉の相手が変更。ところがこれも折り合いがつかず、一度は膨らんだ夢がはかなくもしぼんだ。

 V12戦の相手に落ち着いたコラレスは、暫定王者の肩書きを持つとはいえ、ウォータースやフォルトゥナに比べると格下の感は否めない。期待が大きかっただけに、今回のマッチメークは「がっかり」という印象が強かったのだ。コラレス戦が決まった直後、普段はあまりマイナスなことを口にしない内山が、次のように語っていたのが印象深い。

 「フォルトゥナとやるイメージが強かったので、だいぶイメージトレーニングはしていました。その前はウォータースでほぼ決まりという話も聞いていた。こうなるとは思っていなかったので、モチベーションが下がった部分はありますね」

長期政権の王者が負けるのは早いラウンドが多い。

 一方、古今東西のチャレンジャーがそうだったように、メディアを含むチャンピオンの周囲が「軽い相手」と見たコラレスは、虎視眈々と内山の首を狙い、地球の裏側で周到な準備を重ねていた。トレーナーのフアン・モスケラ氏が試合後打ち明けた。

 「内山はリーチがあるハードパンチャーだ。長い距離で戦ってはいけないと考えた。だから最初から、こちらから攻めていかないといけない。その作戦が当たったんだ。作戦通りの結果になり、トレーナーとしてうれしく思うよ」

 コラレスは19勝のうちKO勝ちはわずかに7つ。ニックネームはスペイン語で「インビシブレ」。“見えない”という意味だ。つまりは対戦相手が「見えない」と感じるほどディフェンスがいいということで、内山陣営も挑戦者をディフェンシブな選手、つかまえづらい選手、と分析していた。その裏をかいた先制攻撃。コラレス陣営にしてみればしてやったりであり、内山の強打を恐れず果敢に攻めた勇気と実行力は称賛に値した。

 思えば長期政権を築いた世界チャンピオンが敗れる時は、早いラウンドで敗れることが多い。WBC世界スーパーフライ級王者だった徳山昌守は、2004年のV9戦で川嶋勝重に1回TKO負け。WBC世界バンタム級王者の長谷川穂積は'10年、11度目の防衛戦でフェルナンド・モンティエル(メキシコ)に4回TKOで王座から陥落した。2人とも類まれな実力を持ちながら、アゴが弱いという点でも共通している。

 両選手とも痛恨の1敗を喫したあと再起し、徳山はベルトを奪い返し、長谷川は2階級制覇を達成した。連続防衛がストップしたとき、徳山と長谷川はともに29歳だった。試合後「今はまだ終わったばかりで何も考えられない」と声を絞り出した36歳の“前”スーパー王者は、どのような決断を下すのだろうか。

(「ボクシング拳坤一擲」渋谷淳 = 文)