昭和38年の考察④「戦後からの脱却」 | HONDAのブログ

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昭和38年の 6月に 黒部第四ダムが 完成し

新幹線の 最終テスト運転で 200km/Hが

コンスタントにでることが判明 名神高速道路

が 完成に近くなるとの ニュース

巷には 舟木一夫 の 「高校3年生」が毎日

流れていました。 今までの 美空ひばり や

三橋美智也 とは テンポの違う 「高校3年生」

は 子供にも広く歌われていたように記憶してます。

それと 東京オリンピックから正式競技となる

「柔道」が やたら はやりまして TVで 「姿三四郎」

なんかをやってました。 村田英雄の柔道一代

なんて歌 や 猛烈社員と言われだした サラリーマン

に向けてなのか 畠山みどり「出世街道」なんてのも

ヒットしてました。後でわかることですが 仁義なき戦い

の 主人公 「美能幸三」の 広島抗争事件の幕が

切っておとされます。

 9月には 戦後 「警察=やくざ」なんて構図となっていた 

国家警察が重い腰をあげて

暴力取締の「頂上作戦」を実施開始したのもこの年です。

 

長い間 「巨人X西鉄」で争われていた プロ野球の

日本シリーズも 西鉄がでてくるのはこの年が最後です。

 

11月に アメリカで J/Fケネデーが暗殺を 初の

衛星生放送が伝えました。

 

そして いろんな疑惑が沸点に達していたあの「力道山」

が やくざに 刺殺されます。当時の日本プロレス3役

コミッショナーに 自民党副総裁 大野伴睦 、副会長に

山口組三代目 田岡一雄 、 右翼の児玉誉士夫 という

最強(最悪)の 布陣でしたから S39年という 輝く

オリンピックの年を前に 力道山が消えるということは

歴史の 必然やったかもしれません。

 

そうして S38年の大晦日 紅白歌合戦は視聴率80%

という (もう2度とそんな数字はでない)視聴率で

美空ひばりの 哀愁出船 で幕をとじました。

(うそか ほんまかは 定かでないが この時新婚だった

 ひばりの 夫 小林旭 が TVで聞いていて 高音の

 半音が 歌いそこねてる と ひばりに言うたことが

 離婚の引き金やった?という 伝説もあります)

とにかく S39年に向け 18年におよぶ 

戦後は終わりました。

 

そして S39年の東京オリンピックと呼応するように

日本は 「高度成長」に突入していくのです。