「友達の作り方がわかりません」

「心が弱くて」

 

そんな感じの質問が多いので、参考になる話を紹介。

 

 

「心を強くする」とは「心をオープンにすること」だよ。

 

先月、そんな一言をロバートハリスさんから聞いた。

 

おおお!

そうだ。

俺が魅力的に感じる人は、大抵心がオープンな人だ。

 

格好つけて理論武装している人とかじゃない。

 

ざっくり言うと、カンタンに打ち解けられる人。

 

そして幸せそうだなと思う人は、みんな心がオープンだ。

 

「ハリスさん、来月は心をオープンにするってことを、もっと話してもらえませんか?」

 

と先月すかさず聞いた。

 

ってことで、昨夜、心をオープンにするって話を聞いたのだ。

 

俺ね、これハリスさんから聞きたかったのは、ハリスさんは最初から天真爛漫でハートがオープンだったわけじゃなくて、結構ディープな紆余曲折があって、なんかでっかいものを越えてきてるから、ハリスさんからこの話を聞き出せば、大抵の人に応用が出来ると思ったんだ。

 

青春時代は決してそんなにオープンじゃなくて、むしろ「強く見せたい」ってのがあったそうで。

文学を読みふけったりしたそうだけど、それは「かぶれる」って感じだったそうだ。

 

うんうん、俺も20代までは、心をオープンにするってより、何かにかぶれて何か自分と別のものに見せようとしていた。

素の自分ってより、何か特別な存在に見せかけようと躍起になってたんだよね。

強い人に見られたいとか、すごい人に見られたいとか。

 

「でもねー、ずっとそうしてると大人になれないんだよなー。青春はそれでいいんだけどさー。」

と笑いながらハリスさんが言ってて。

 

そうそう。

そうなんだよなー。

 

何より面倒くさい人間にしかならないし、自分と似た趣味嗜好以外の人を極端に排除しちゃう。

 

俺も同じで、このモードだと彼女も出来ないし、あまり深い友人も出来ない。

 

ハリスさんもそんな感じだったらしく、自分のコミュニティー以外の人を「わかっていない」って思ってたらしいけど、世界を旅しながら色んな人に出会っていくと「以外といいやつじゃん!」なんて思えたそうだ。

 

うんうん、でも、その思考になったのは何がキッカケっすか??と聞いてみた。

 

「泣くってことが出来るようになったんだよね。俺さー、弟2人亡くしてるじゃない。悲しいけど、悲しいって思わないようにしていた。」

 

「確か著書で”罪悪感って偽りの感情”って書いてましたよね?」

 

「そうそう、本当は弟を亡くして悲しいのに、なんで俺が救えなかったとか、自分を責めたりしながら罪を抱えていたんだよね。でもそれは罪悪感という偽りの感情でしょって指摘されてさ。本当は何を感じてるの?と聞かれて、あー弟を亡くして悲しいんだな。もう会えないんだなってのがわかって。それを感じないように罪悪感って気持ちで悲しさを直視しないようにしてたんだよね。」

 

「そういえば、先週西麻布で、今でも年に1~2回、亡くなった人たちのことを思って泣いたりしてると言ってましたよね。」

 

「そうそう、泣き終わると気持ちが軽くなるんだよね。色んな背負ってるものが流されるっていうのかな。泣かないと背負い続けるような感じでねー」

 

「どうやって泣きます?」

 

「必ず泣ける映画があってさ。自分の心境に近い映画を選ぶんだよ。例えば弟を亡くす映画とか、最近息子と離れたところで暮らしてるので、同じように離れた息子を思う映画とかさ。それにジンを飲むとなぜか泣けてね(笑)。家族が寝静まった後に、そっとジンを注いで映画を見て定期的に泣くんだよ」

 

ほー

ほーほーほー

 

確かに、悲しいって気持ちに蓋をすると、ハートが全然オープンにならないもんなー

 

ハリスさん続けて

「男の人ってさ、比較的怒ることは出来ても、泣くってことができないんだよ。社会が許さないからね。泣くとすごく心がオープンになってくるよね。反対に女の人は泣くってことが社会でオッケーじゃない。でも怒ることはダメって感じじゃない。だから女の人は怒ると心がオープンになるよね」

 

そんな話をさらっとしてたけど、本当にそうだなと思ったよ。

あと面白かったのが

 

「男の友情でさ、アイラブユーって何か言いにくいじゃない。変に勘違いされそうで(笑)。でも言われたことがあって嬉しかったんだよね。あ、変な意味じゃなくてね。」

 

「確かに、女の人には言いやすいけど、男の人に言うのはすごい抵抗ありますよね。いい友人を前にして表現したくても、せいぜい酔った時に、お前いいやつだよなーって言うくらいしか思いつかない」

 

「そうなんだよ!酔った時くらいでさ。でも言われて嬉しかったんだよねー」

 

 

「ハリスさんって、色んな職種の友人がいて、肩書きで態度を変えたりしないですよね。肩書きで判断材料にしていないじゃないっすか。何を基準に良い友人って定義付けていますか?」

 

「オープンでユーモアがあって縛られていない。いちど受け入れた友人をジャッジしない。 干渉しない。」

 

うんうん、支配したりされたりって嫌だもんね。

こんな人たちだと心をオープンでいることができるもんなー。

 

俺、世界を旅すると寂しさも感じたりする。

完全に自分はアウエイっていうのかな、そこに溶け込めない、あー自分は外人なんだなーって、なんか悲しさもある。

 

ハリスさんも同様だったらしく「でさ、俺、寂しがり屋って気づいたんだよ!人と関わらなくても大丈夫と思ってたけど、すっごい寂しがり屋でさ!」

と嬉しそうに語ってるのを見て、あー、俺も同じーって。

 

大事なのは、寂しさに蓋をするんじゃなくて、あー、人と関わりたいんだなーって本当の気持ちに気づけたことで。

泣くのを蓋したら「こんな寂しい思いをするなら、もう人と関わらない!」ってスネて終わりだもんな。

 

ここがハートをオープンにできるかどうかの大きな分岐点だよなーって思ったよ。

 

俺も若いころ、世界を旅した。

完全に自分探し君だったけど、自分探しって結局は「自分の居場所探し」だったんだよね。

自分がここにいて良いんだとか、居心地がいいんだとか。

 

世界中どこでも自宅のリビングくらいにハートをオープンにしてくつろげたら最高じゃん。

 

心をオープンにしていくと、世界中どこでも自宅のリビングみたいにくつろげて、世界中どこでも居心地の良い居場所になるなー。

それがわかってきたら、世界中で色んな友達が出来て楽しくなった。

 

なんか、自分の青春時代を重ねながら話を聞いて楽しかったよ。

 

 

そして6年ぶりくらいに、ボクシングの世界チャンピオン木村悠さんに再会。

なぜか同席していて!

「えーなんでここにいるんですか!?」

「ハリスさんのファンなんです!」

「マジっすか!今度飯いきましょう!」

 

世界チャンピオンがハリスさんの話に何度も頷いてるのをみて、なんか良い話聞けそうだと思ったぜ。

近いうちに、紹介できそうだぜ!

 

 

ってことで、今から和平さんを偲ぶ会に名古屋へ行ってきます。

このタイミングで昨夜の話だもんなー。