晃一です

先日のメルマガに対して、たくさんの励ましのメッセージを
頂きました。
みなさんから、いっぱい元気をもらいました。
最低でも月1回はメルマガを発行し続けたいと思うようになりました。
(もちろん、それ以上書く時もあるかと思います)
この場をお借りしてお礼いたします。
ありがとうございました。
また、これからもよろしくです。


さて、そもそも、僕がなぜセミリタイヤをしたいと思ったのか?
メルマガで書いたことって無かったですよね。

個人的なことなので、書かない方が良いかなって思っていたのですが、
今の僕が一番伝えたいことの原点なので、今回は書いてみたいと思います。

1996年9月(当時24歳)から1998年1月(26歳)まで
オーストラリアを中心に海外をフラフラしてきました。

オーストラリアを旅行中、出会った陽気なイタリアンガールに
「今コーイチは日本でどんな仕事をしているの?」
と聞かれ
「全部の仕事を辞めてきたよ。仕事してたら、1週間以上の休みを
取ることなんてできないから辞めるしかないのさ。」
と答えると

イ 「え?そうなの?私は2ヶ月の休みを取って来てるのだけど・・・
   日本ではそう言うの無理なの?」

僕 「ははは、そんな事したらどこの会社でもボスがクビだって言うよ。」

イ 「じゃぁ、あなたは何の為に働いてるの?」

僕 「生活する為だよ。生活費とか、食費とか、自動車とかもろもろ、、、」

イ 「生活の為?ちょっと待って、じゃぁコーイチは何で、そんなに良い
   腕時計をしてるの?私なんか$6で買った腕時計よ。」

僕 「良いと言っても、$300の時計だけど。。。日本じゃ安いほうかな。
   時計なんてどうでもいいじゃん。それよりキミは何の為に働いてるの?」

イ 「そんなの人生を楽しむ為に決まってるじゃない。その時計を買う為に
   働くなら、その時間を遊びに使った方がいいわ、そう思わない?」


    ( ゚д゚)  ズガーン    ズガーン    ズガーン


この会話で、僕の価値観が変わってしまいました。
これだけ豊かな国に生まれたのに、働く目的が、生活の為だったのです。
確かに当時は旅をしていて、遊ぶ為に貯金して、散財してきたわけですが、
今回の旅行は、僕の人生の中で限られたチャンスで、もう二度と体験
できないと決めてきたのです。

独身で、何も責任を持たなくて自由にやれるのは今しかない。
遊ぶことを最優先事項にできるのは人生で今しかない。

その後は日本でがむしゃらに働いて、まだ見ぬ彼女の気を引くために
カッコイイ車を買って、まだ見ぬ奥さんの為に良い家を建てて、
まだ見ぬ子供の為に十分な教育費を持って、安定した老後をおくる為に、
しこたま貯金しなくっちゃ。その為には、うんとうんと働かなくっちゃ。

        よりよい生活=よりたくさん働く

そんな公式がバッチリ頭の中にありました。

つまり、人生の優先順位が「働くこと」になっていました。

「遊ぶこと、自由なこと、楽しむこと」を人生の最優先に持ってくるなんて

  選 択 肢 に あ り ま せ ん で し た 。

だって、周りにそんな人生を送ってる人なんて、いなかったんだもん。
みんなみんな、真面目に働くことが当たり前だと思っていたんだもん。
小学校5年から高校3年まで満員電車に乗って通学してたけど、
大人になっても退職するまで満員電車に乗ると思っていたんだもん。
満員電車のつり革につかまる時、隣の人より良い腕時計して
チラっと見せびらかしてみたいと思っていたんだもん。
皆が仕事している時に、仕事しないなんてズル休みみたいで
悪いと思っていたんだもん。


イタリア人と話をする前まで、日本で当たり前だと思っていたことに、
疑問を持ち始めました。


あとね、日本での仕事のコトをイタリア人に話せなかった理由がありました。
僕、世界旅行へ行く前は、旅行資金をフリーターして貯金していました。
でも日本だと、フリーターって恥ずかしいという文化が刷り込まれていません?

 世 界 の 中 心 で フ リ ー タ ー と 叫 ぶ

         そんなの恥ずかしくってできねぇやぃ

だからイタリア娘の前で、自分の仕事がフリーターって言えませんでした。


だけどね、オーストラリアには自由な人達がいっぱいいました。
1年で2~3回転職する人がいました。
なんで転職するかって言うと、

暑い時期は涼しい場所、寒い時期は暖かい場所に住みたいから、
それに合わせて住居も職場を変えるというなんともオキラクなもんでした。

もうね、徹底して、自分を喜ばせることが最優先で、
仕事はその後なんですよね。

フツーに職場を変える人達を見て、フリーターでも良いじゃんって
思えるようになっちゃいました。

この自由な人達に、「日本ではリストラが多くて社会問題となってるんだ」
って言うと「それは奥さんと子供と話せる時間が増えて良いんじゃない?」
って真顔で答えていました。


あと、とにかく衝撃的だったのは、老後をみんな楽しんでいること。
50代後半にもなると、家を売って、そのお金でキャンピングカーを
買って、夫婦であちこちを旅するんです。
お気に入りのビーチがあると、そこにキャンピングカーを止めて
1ヶ月も滞在するんです。
キャンプ場では、80代後半でも元気に歌を歌ったり、楽器を
演奏してる夫婦がいました。
昔、チャーミグリーンのCMで、おじいちゃん・おばあちゃんが
仲良く手をつなぐのがありましたけど、もうあの世界。


日本だと老後ってあまり明るいイメージが無かったのですが、
この光景をみて、僕もしてみたい、あぁ理想だなって思いました。


僕も歳を重ねたら、こういう生活をしたいな。
でもその前に、自分の両親がこういう生活を楽しんでいないと、
妙な罪悪感で楽しめないだろうな。

そう思いながら、帰国しました。

帰国し、父の会社を手伝い、
「僕が働くから、お母さんと旅行楽しんできたら?」
と言っても、父はせっせと働くんですよね。
僕が働けば働くほど、一緒になって働いてしまう。

まぁ子供の僕が言うのもナンですけど、一緒に働けるのが
嬉しかったと思うんです。

確かに仕事の楽しみってのはあると思います。
でも仕事以外の楽しみもあると思うんです。

もっと自分を自由に、自由な時間を楽しむ。
これが僕が考えるもっとも贅沢な生き方だと思うんです。
自由な時間があることを前提に、仕事をしたり遊んだ方が精神的に
ゆとりがあって、実はもっと良い仕事ができたり、
もっと人生を楽しむことができる。
僕はそう考えてるんですよね。


それでね、僕は思い切って、父の会社での仕事を手放したんです。
幸いインターネットが上手に稼動し、優秀なスタッフに囲まれて
いたので、僕が抜けても売り上げを落とすことはないだろうなって
思ったんです。

僕が先にリタイアしてみようって思ったんです。

僕が走るのを辞めたら、父も走る速度を落とすんじゃないかなって
思ったんです。


父は昨日から母と犬を連れて、1ヶ月軽井沢へ行ってます。
僕の両親が、毎夏軽井沢で1ヶ月過ごすというのは、今年で3年目に
なるんですが、ようやくこういう生活を楽しめるようになっています。

父は軽井沢ではのんびりした生活を楽しみながらも、
「こういうアイディアが思いついたぞ」
と嬉々として仕事の話をしています。


イタリア人やオーストラリア人が、自由なスピリットを僕に伝えて
くれました。
彼らが伝えてくれなければ、僕は人生でそんな選択肢があるなんて
思ってもいなかったので、今とは全く違う生活をしていたと思います。


僕がメルマガでセミリタイアってキーワードを配信し始めたのは、
こういう選択肢もあるよ、ってことを伝えたいんです。
イタリア人やオーストラリア人が僕に伝えてくれたように。

ただ、僕がセミリタイヤするまで、色んな壁に当たりました。
日本人独特の考え方に縛られて、経済面や感情面で色々直面しました。
そんな体験も、これからテーマにしていきますね。

というわけで、このメルマガはこれからも続きます。
応援していただき、ありがとうございます!

では、これからもよろしくです。