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「自分の苦手な部分」を「苦手で良いんだ」と許してみる。

すると、その部分がムチャクチャ得意で好きだと言う人が現れ、助けてくれる。
俺が最も苦手とするビジネスモデルの詳細な設計や計画を、なんと2人の東大卒の友人達がサポートしてくれてるのだ。
あああ、俺じゃ絶対無理だぁぁぁぁぁというレベルの細やかさと速さで完成されていく。
まじでスゲー。
こんなミラクル、他力を使わないと実現できない。
 
そう、だから苦手なモノはドンドン手放せば良い。
ほんで、これ、どうやるか?
 
カンタンそーじゃん。苦手なモノを手放すって。
でも意外と出来ない。

代表的な理由は2つ
 
1つ目は、自分と言う存在を欠陥の無いオールマイティーな存在にしたいという願望。


まぁ教育の弊害だと思うんだけど、そつなく全ての教科において、好成績を収めるよう望まれてしまう。
苦手な科目は出来るだけ克服するようにと。
そしてオールマイティーにこなせると、親や先生からの評価が上がる。
結果、全部そつなくこなすと、自分は愛されてる存在だと認識してしまう。
しかしこれはクセモノで、苦手なものを放置すると、自分は愛されない存在だと思ってしまうから、苦手を放置できなくなってしまう。
子供にとって愛されない存在というのは生存本能に直結するるくらい、実は恐怖だったりするのだ。
だから、苦手なものは手放せない。
 
しかし、「苦手を放置=愛されない」と言うのは違う、単なる錯覚だと、大人になった今、改めて自分で自分を教育しなおしてみる。
オトナの特権は、自分で自分を再教育できることだ。
 
だいたい社会ってやつは、会社の中において、それぞれの得意分野や好きな分野でチームを組んで動いてるからだ。
計算が好きで得意な人は経理をすればいいし、対人関係が好きな人は営業をすればいい。
だから、算数が得意な子や国語が得意な子とかでチームを組んで回答を見せ合いっこしてチームの成績を上げて行くのが、実社会に即した教育方法だと思うんだな。
そして勉強は苦手だけど、ムードメーカーな奴は、チームのムードを上げることに徹したりすれば良いだけだ。
 

もう一つの理由

苦手なモノを人に依頼するのって、悪いなぁと思ってしまうからだ。
自分が苦手なモノは、世界中の皆が苦手なモノと錯覚してしまう。
投影と言って、自分が思ってる事は他人も同様に思ってると確信しちゃう。でも誤解なんだけど。
こんな面倒なモノを他人様に押しつけるなんて・・・と罪悪感にやられちゃう。
でも、その苦手な部分が好きで好きでタマラナイって人がいるのも事実。
そう、誤解なんだ。
 
こんなのジグソーパズルのようなもので、自分が凹んでる部分は、誰かが得意だったり好きだったりして出っ張ってる部分。
素直に苦手だと自覚すると、そこにピッタリのパーツの人が現れる。
「自分が苦手な部分は誰かの活躍する場所」とオトナの今、再教育してみようぜ!
 
そしたら夢の実現速度が想像を超えるスピードが出て、みんなで喜べるから、めちゃめちゃハッピーになれるんだぜ~♪
 
その為に、ユー苦手なコトは降参して手放しちゃいなYO!w
めちゃめちゃ楽しいぜぇ~♬


苦手を手放したら、他力が働きハッピーになったってエピソードがあったら、コメントに書いてね~
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