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友人の一京大喜さんが奥さんを連れて遊びにきました。
良いお話を聞きました~
先日ブログに書いた「愛されボタン」の話をしたら、一喜夫妻は愛されボタンだけでなく「怒りボタン」もシェアされてるそうです。
これを言ったら、これをやられたら、怒っちゃうよ~ってことを夫婦で伝え合ってるそうです。
一見怒りボタンなんてわざわざシェアしなくても分るような気がしますが、ところがどっこい分らないそうです。
相手に「嫌だよ~」と言っても、単にじゃれあってるだけで喜んでいる状態だと勘違いしちゃうことがあるそうです。
実際これはありますよね。
臨界点を超えた瞬間に怒りに変わる前に、冷静な時から「こういうことをされたり、言われたりすると嫌なんだよ」と言うことをシェアしておけば防げるそうです。

それと、「相手を思ってやったことに感謝されなかったり、ないがしろにされると怒りになるけど、相手だけとか自分だけと言う考え方を辞めて、お互いにと言う目的にすると喧嘩が無くなってくるんです」とおっしゃってました。
相手を思ってしたことじゃなくて、お互いを思ってしたことと書き換えるだけで、凄くトラブルが減るそうです。
分離した状態じゃなくて、いわゆるワンネスの状態ですね。

うーん。勉強になった!

それともうひとつ、良いことを聞きました。
「癒す」ことについてです。
過去の怒りを癒していくと、許すと言う状態になったりします。
許せるようになるのは、それは素晴らしいことなのですが、怒りの状態をマイナスだとすれば、許すという状態はプラスマイナス0だということになります。
この数値はパワーです。
怒りの状態というのは、マイナスであってもパワーにみなぎっています。
許す状態だと、怒りのパワーは無くなるのと同時にパワー自体もなくなります。

このパワーを0にしないで、プラスに転換する方法があるそうです。
それは「許す」を目標にしないで「愛する」にすることだそうです。

ちょっと文章だけだと上手に伝わらないのですが、このヒントを頂いて、一京さんと話していて僕の精神状態がどうなったかをお伝えしますね。

僕が中学生の頃、英会話の先生が大嫌いでした。
ある時、中学校のトイレに派手に落書きをされた事件がありました。
たまたまトイレの前を通った僕に、英語の先生が「オマエが落書きしたんだろ!!」と怒り心頭で僕に叫んできたのです。
濡れ衣を被せられた僕は、これ以降英語の先生が大嫌いになり、一切英語の勉強をすることをしなくなりました。
思いっきり反抗的に授業を放棄したら「おい!本田!ちゃんと勉強しろ!!」と注意されたので、英語の教科書を立てて、ひたすら数学の勉強をしていました。
「勉強しろと言ったから、してやってんだ。でも、英語の勉強をしろとは言わなかったから、数学の勉強をしてやるぜ。ケケケ」と言う感じでしたねぇ。
お陰で英語の成績はビリから数えた方が圧倒的に早くなったのと対照的に数学の成績は頭から数えた方が早くなりました。
英語の偏差値は30台になり、数学の偏差値は70台になったんですね。

まぁ怒りのエネルギーを英語に使わず数学に使ったことによって、一気に数学の成績は上がったわけですが(笑)

お陰で現在でも濡れ衣を被せるような人を見ると、超怒りモードになっていたわけです。

そんな話をしたら、一京さんが
「この英語の先生を許すだけでなく、愛して愛してやまない!と言う状態にすると、凄く良い方向にエネルギッシュに立ち向かえるんです」と言うので、自分なりにシナリオを考えてみました。

どんなシナリオかというと「相手の愛に気付く」ということです。

中学の英語の先生は凄く熱心な先生でした。
毎日テストを実行するんですね。
生徒からは凄く不評でしたが、本当に英語の上達を心から願ってやった行為なんだなぁと改めて考えると今の僕には理解できました。
だって、毎日採点しなければいけないので、先生としては凄く仕事が増えるわけです。
憎まれても、そんな手間をかけて生徒を成長させようとしたのは、「愛」があるからです。
彼の愛はとても大きく、学校を良くしようということも当然考えていたのです。

だからトイレに落書きをされるというのは、彼にとってまさに愛を注がなければいけない事態だったのでしょう。
そこに僕がたまたま通ったわけですが、日頃からイタズラばかりしていた僕を疑うのは仕方がなかったのでしょう。
たまたまトイレの落書きを注意したわけですが、それだけでなく日頃の素行も良くしてやりたいという、先生の愛だった訳です。

これも文章にするとちょっと伝わり難いのですが、相手の愛に気付くと、ああ自分は愛されていたんだなぁと気付きます。

そうすると、「この英語の先生、めちゃくちゃ良い先生だったんだな!」と感動レベルまで上がるわけです。

うーむ、凄いぞ!

そうするとね、今までの思考回路が変わるわけです。

ちょっと大人気無いのですが、交通取締りをしている警官を見ると怒りがこみ上げてくる自分がいました。
制限速度や路上駐車を守らないのは悪いとは思いつつも、実際問題小さな違反をしないと走れないというのが現状です。
法廷速度を守って走ろうものなら、後ろからパッシングの嵐です。
都内で原チャリが他の車の流れに反して30キロで走っていようものなら、返って危険だと思う人は少なくないでしょう。

そういった状況を考えずに、取り締まる警官に対して憎悪を抱いていたんですよね。

でもね、ああ交通事故を減らしたいという愛の元に、一生懸命働いているんだなぁと深く感じられるようになったんです。
そうすると、今までにっくき存在の警察官に対して深い感謝が沸くようになったんですよねー

これも文章にすると分り難いのですが、彼らを応援したくてウズウズする自分に変化したのに驚いたのです。

怒りを許しレベルだけじゃなくて、愛のレベルまでに到達させると、これが凄く良い方向へエネルギッシュになるという、大きな学びでした。

もう少しプロセスを噛み砕いて分りやすく説明できるようになったら、メルマガでも紹介したいと思います~

一京さん夫妻、ありがとうござます~

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