今回はポール・ボウルズです。

最初は映画「シェルタリング・スカイ」を観て、そのあと小説を読みました。
なにしろ映画がカッコよかったもので。

ベルトルッチ最高。
あれ以来、ジョン・マルコビッチもしぶ~く好きです。


私が買った小説は、「天蓋の空」という邦題がついていて、
このなんとも素敵な響きがとても気に入りました。
行ったことないけど、タンジールの濃い青の空が目に浮かぶようです。


ポール・ボウルズの作品は「優雅な獲物」「遠い木霊」なんかも読んで、
かなり心地良いショックを味わいました。
高橋源一郎さんがクリスピーな文体と評していたのを読み、
原文で読んでもみました(意味を辿るのに必死でクリスピー感は味わえなかった)。
遠い遠い旅路の果ての、という風な景色が小説全体に漂っています。
物理的な遠さだけでなく、心と肉体との遠さ。

なんだかいろいろなことから遠ざかりたい、という人にオススメです。


奥さんのジェイン・ボウルズも好きで、
「2人の真面目なレイディ」には度肝を抜かれました。
まえにマリクレールにのってた詩にふかく感動したこともあります。
タイトル忘れてしまったけど、
鉄の椅子と老女がでてくるようなヤツでした。
読んだ当時はまだ若かったので、
いま読んだらもっと胸にくると思うのだけれど。


タ、タイトルがぁ・・・、思い出せません。

ご存じの方、誰かおせえてください。

もうミステリーの大家と言っても過言ではない、スコット・トゥローです。
「推定無罪」は映画にもなり、ハリソン・フォードら名優たちの共演でも話題になりました。
小説が素晴らしいので、それを損なわなかった珍しい映画として、私は高く評価してます。

「推定無罪」で被告の弁護をしたサンディ・スターンが、この「立証責任」の主役となっています。
映画ではラウル・ジュリアが演じていました。
素晴らしかったぁ。ラウル・ジュリア大好きなんです。
「蜘蛛女のキス」とは比べられないけど、どちらいいんですよねぇ。
映画を見て以来、
私のなかのサンディ・スターンはラウル・ジュリアになってしまっているので、
おのずと小説の内容にも深みが増してしまいます。

この小説はただのミステリーとか法廷ものとか法律ものとかとは違って、
生身の人間が主役だからです。
サンディの生き様や家族たち、法律家としての人生。
さまざまなものが絡み合う、その絡み具合が絶妙で、
読む人を唸らせます。ウム。

人生の残りを如何に生きるか?
これまでをふりかえり、
さらに、勇気を出して、前を向いて歩いて行く。
そんな勇敢なことができるか否か?
人の真価が問われるような気がしました。

そろそろ人生も後半戦かなぁ、
なんて感じてる人にオススメです。

私が初めて読んだカート・ヴォネガットの本が『青ひげ』でした。
なので、数ある名作のうちコノ本について書きたいと思います。

正直、自分でもビックリしたのですが、
この本を読んでホロリときてしまいました。
最後はまさに圧巻でした。

普段(他の作品やエッセイ)は、
我々みたいな人種のことを「黄色いチビども」とかなんとか書いているのに、
そういった差別的なオモシロ発言を乗り越えた、
高みが見えたような気さえしました。
ホントにいいのか、これで、ヴォネガット!!
泣きながら訴えたくなるようなエンディングです。

ちなみにウチのダンナは、
1度読んだだけのウロ覚えで、
たまに「サティーンデューララックス」とつぶやいたりします。
彼にはわすれえぬ響きであるようです。

あと『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』も良いですよね。
大好きで何度も読み返しています。
なんかちょっとイイ話読みたいな、というときにピッタリです。

今回はしぶいSFです。

マニアではないのですが、
小学生の頃に『見えない友達34人+1』を読んで、
それまで知らなかった世界をのぞき、
ひとり胸を高鳴らせたことをいまだに覚えています。


さてこの『世界の中心で愛を叫んだけもの』ですが、
タイトルに聞き覚えのある方は多いと思います。
ただし我が邦で話題になった、アノ小説とはだいぶ違うものです。
死にゆく幼い恋人を抱いて泣き叫びたいような人にはオススメできません。

どこまでもハードでクールな小説なのです。

早川書房からでている短編集のタイトルになっています。

いくつか特にすきな短編をあげると、


世界の中心で愛を叫んだけもの:
 イノセントな愛は怖くて哀しいっす。トルーマン・カポーティSF版という感じ。
101号線の決闘:
 コレが面白いっ!!バトルイズビューティフルな1編。
サンタ・クロース対スパイダー :
 パロディものでこんなに可笑しいのってはじめて。
少年と犬
 ふぅん、こんなのも書くんだぁ、オッサンやるねぇ、という感じ。


なにしろこの本、著者の前書きが面白い。
その無茶苦茶さが。
しかし文章がかなり美しい。
とくに波のレースを描写するシーンなんか、ハッとします。
そんなのも含めて、
私はこの本を読むと、どうしてもカポーティが浮かんでしまう。

SF作家では一番文章がウマイと思うのです。

いよいよ今日はミステリものでいきます。


ローレンス・ブロックは何シリーズか書いていますが、
なかでも、ずっと読んでいてどうしてもやめられないのが、
このマット・スカダーシリーズです。


まだいたいけな10代の頃、
父親が買ってきたのを読んだのがはじまりでした。

マットがまだ飲んでいたころ、
コーヒーにバーボンをたらして飲んでいるのがカッコよくて、
家で真似をして飲んでみました。
酔っ払いました。
AA集会というものがこの世にあることも、
この本で知りました。

ニューヨークという巨大な街でしのぎあう、
人々の暮らしを見てきました。
殺しにはさまざまな方法があり、
さまざまな追跡方法があることも学びました。
結局、足で稼ぐのだなぁ、と。
(その後、ジェフリー・ディーヴァーを読み始めて、
別の追跡方法を知りましたが)


この本を読んだことで、
私の男性をみる目に多少の変更が加えられたことは、
いなめません。

ある男たちのお話。
(それとそんな男たちからみた女の物語)
そういう本です。


ところで、
「砕かれた街」もスゴかったですね。

こたびは「雨月物語」でゆきまする。


序にあるとおり、
「雨は霽れ月がは朦朧の夜、窓下に編成して、以て梓氏に畀ふ。題して雨月物語と云ふ」
であります。


私は夜の散歩をよくします。
家の近所に理想的な交差点があり、そこにかかる歩道橋には理想的なベンチがあるので、
座って車の流れを目で追ったり、たまに夜空を見上げたりもします。
雨上がりには空気が澄んで、ことのほか気分のよいものです。
そして朧月がみえる夜には、何かが起こりそうな気配を感じます。

先日惜しくも亡くなられた忌野清志郎さんも永遠に歌いつづけるように、
雨上がりの夜空の月は特別な存在なのです。


雨月物語のなかで、
雨がやみ、月がでて、くるぞくるぞ、というワクワク感がたまらなく好きです。

義の心や、夫婦の想いの切なさや、おどろしさよりも、
その透明感のある文章の美しさがきわだって、物語が胸にせまってきます。

未読の「春雨物語」も楽しみです。

今日はサリンジャーでいきます。

サリンジャーといえば、2003年に村上春樹訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出版されました。
それまでの翻訳本は、野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』があったわけです。
私はこのどちらも愛読しています。
洋書も持っているので、これで3バージョンの「キャッチャー」が揃っているわけです。
スゴイですね~。
けっして飽きさせません。

で、今回は『ハプワース16,1924』(荒地出版社、原田敬一訳)です。
これは『ナインストーリーズ』などに登場するグラース家のシーモアが、語りに語る物語です。

文中でシーモア本人も嘆いているように、
ホントにどこまでも感情過多で、大袈裟な文語的表現には、
いいかげん涙がでてきます。

このシーモアの極端な言い草を読んでいると、
哲学者の下手クソな文章を読んでいるときに感じる切なさを思いだします。
私はだいたい哲学書をよむときには、涙を禁じえないのです。
その思考を志す熱い心に胸うたれ、
自分が人生をかけて気づいたこと、
そんな大切なことを、
よりによって苦手な(?)文章で表現しなければならないことに、
机の前でもだえ苦しむ哲学者の姿を、
つい想像してしまうからです。

シーモアもどこかで、
キルケゴールの文章について言及していたはずです。
詩人ではあるけれど哲学的な思考を好むシーモアなのでしょう。

ともかく、涙あり笑いありのサリンジャー。
シーモアの生き様を、とくとご覧あれ。

日本生まれのイギリス人作家であるカズオ イシグロも、
新作がでたら飛びついてしまう作家の一人です。

そのなかでも、今回は「充たされざる者」をとりあげたいと思います。

これまでのカズオイシグロ作品で、どれがイチバン好き?
と聞かれると、かなり、迷うところです。
とくに「わたしを離さないで」を読んでしまったら、です。

しかし敢えて、私はこの「充たされざる者」をあげたい。

このシュールな世界観、
やるせない人生の迷宮、
いいのかナ、笑っても?と、誰かに訊ねたくなるユーモア。
この本を読んでいる最中、何度くびをひねったか。
何回、「カワッテル・・・」とつぶやかずにはいられなかったか。
そんなモロモロがとにかく他の作家の本とは一線を画しています。

本の中に現れる世界の存在感。
これがものすごいです。
夢で行ったことのあるような街です、そこは。

特に、湖に近い巨大な団地を訪れるシーンが好きです。
あの造り。
すごく好きです。
団地を歩きまわる登場人物たちに、強風が何度も湖の方角から吹きつけてきますが、
この風の感じも、ちょっとほかでは得られないタッチです。
頭の中にあるはずの大事な記憶が、
この風で吹き飛んでいってしまいそうな、
不安感と、妙な安心感を同時にあおるのです。

とにかく何回も読んで、
その世界をウロつきまわりたくなる1冊です。

先日、古書店で入手し、
かなりハマってしまいました。
これはホントに面白い!!
今まであまり読んでこなかった旅行記ジャンルにも、俄然興味がわいてきました。

ご存じない方のために著者ご紹介(Wikipediaさんアリガトウ)です。

河口慧海(かわぐち えかい)1866年2月26日-1945年2月24日

黄檗宗の僧。仏教学者にして探検家。本名を定次郎という。僧名は慧海仁広。
中国や日本に伝承された漢訳仏典に疑問をおぼえたことが発端となって、インドの仏典の原初形態をとどめているというチベット語訳の大蔵経を入手しようとして、日本人で初めてチベットへの入境を果たした。


秘境チベットへ日本人で初めて潜入した際の大冒険を聞き書きで起こしてあるのが、
この「チベット旅行記」です。
まさにこれは、前人未到の潜入ルポですが、
さすが仏教者の求道心の深さ、一途さには心うたれます。
語りの軽妙さと、忌憚のない他の仏教者への言及など、
人柄をしのばせます。
心頭しちゃいますよね、こんな人いたら。

チベット国境に近い雪中の山中で、
凍った河をわたり、体を致命的に冷やしてしまい、
しかも白い雪に眼を焼かれ、
ようやく祈りの境地で困難を乗り越えるところがあります。

ここは村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」の
世界の終りの1シーンを思い起こさせます。
現実に、あんな夢読みの体験をしている人がいたなんて・・・。
と、感動します!!

冒険あり、笑いあり、涙あり、
で、変なアクション映画を観るより、
ずっとワクワクしますよ。

待ちに待った、村上春樹の新作『1Q84』です。


100万部超えたということで、巷でもかなり話題になってましたね。

売り切れ御免のせちがらい世の中ではありますが、
探しまわって辿り着いた神田の裏路地、
人々から忘れ去られたシブい本屋に、
キチンと上下巻揃って平積みされているのを見つけました。


すでに2回目読んでます。
だって、よくわからないんだモン!!

1Q84は、周知のように1Q84年を舞台にしたストーリーです。
1Q84年は、私たちが現実に過ごしてきた1984年とは少しだけ違う世界みたいです。
ズレているというか、別の世界が展開しているというか。
これはミステリーやファンタジーの世界とも違う、村上ワールドです。


読んでいて感じたのは、
一体、どれだけの人がホントの1984年を共有してるのだろうか?
ということです。
だって、ワタシの1984年とアナタの1984年は、まったく違うものですよね。
もしかしたらアナタの1984年は1Q84年かもしれないし、
ホントの1984年なんて、そもそもあるのか?ないのか?
なぁんて、だんだん居心地が悪くなってきます。


こんな気持ちになるのは、村上春樹の小説を読んだときくらいです。
そうやって居心地の悪い思いをさせて、何かを喚起しているのだと感じます。
示唆し、導く。
コレが怖いんですよね、ホント。


ストーリーについてはネタバレになるので書けませんが、
そんな居心地の悪い思い、
忘れていた幼いころの出来事、
痛ましい思い出、
心の奥があたたかくなるような言葉、
夜空の月、
忘れえぬ人々、
私たちをとりまくそうしたことどもに思いをよせて、
弔いのひとときを送りたい気分の人には是非オススメの本です。