5月21日更新分・月光の下の波しぶき【石頭FBノート】 | 手上のコイン Blog

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五月天の石頭がFBのノートに書いている日記を、ちょこちょこ翻訳しております。おかしいところがあれば、ご指摘くだされば幸いです。

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月光の下の波しぶき

ずっと一晩中寝返りを打っていた。
何か心配事があったわけではない、うっかり食べ物にあたったか、もしくは何か胃腸のウィルスに感染したのか、一晩中具合が悪く、吐いては下す。内蔵全部を空っぽにしようとしているみたいにそれは夜明けまで続いた。
締め切ったカーテンの隙間から、はからずも日の光が漏れ入ってくる。いつもなら僕はカーテンを開け、この朝の序奏を愉しむのだが、前夜の不快感は序奏を騒音へと変えていて、ただ枕に頭をうずめその全てを閉め出したかった。

ホテルの部屋に帰ってからは、ベッドとトイレを往復するだけだった。危険な時はこの二つが危うく役割を交換してしまいそうになり、恐くて眠ることもできない。ただ腹の中がのたうつ音を数え、これは月光の下の波しぶきで、BGMにドビュッシーのピアノの音が流れているのだと想像する。そうしてようやく、絶え間無い不快感を和らげることができた。

それは僕に、何年も前の、長男がサルモネラ菌に感染して二週間病院にいた時の記憶を呼び起こした。
十幾日の間、食べることもできずおむつもとれていなかった彼は、ただ大声で泣き叫び、ベビーベッドの中で怒って跳ねたり、ぐずったりして腹が減ったと主張した。泣くと彼の顔は涙と鼻水でいっぱいになり、自分はといえば彼に何をしてやることも出来ず、このとき初めて親になることの難しさを痛感したのだった。

この初めての経験から、僕らは口に入れるものに更に慎重になった。ただどんなに気をつけたところで不測の事態は起きるもので、それが今日僕の身に起きたのだ。
ずっと気がかりだったのは、奥さんが心配することと次の演出のことだ。僕が弱ってベッドに横になっている時、彼女の眼差しは長男が病院にいたあの時のように無力で助けてくれる者もなく、そして僕が出来ることといえば、コンサートまでには良くなるさと彼女に気休めを言うことだけだった。
一日の絶食が効果を発揮し、初日の演出はうまくいった。だが夕食の打ち上げでつい食い意地を張ってしまった。自分はもう治ったものと思っていたのだが、結局それは一夜の月下美人のように一時的なものだった。

相馬さんの振る舞う料理はこのように純粋だと言ったのは誰だったか。
飾らず、手を加え過ぎず、自然な素材の味を味わうことができる。それは海であり、草原であり、森林の中の小川であり、農家が手塩にかけた春夏秋冬である。
だからつい余分に食べていた。そしてこの余分が、また一晩寝返りを打たせることになったのだ。

昨夜の晩ご飯の後はまだなにも口にしていない、今夜のコンサートもうまくいった。ただ相馬さんのもてなしには確かに抗いがたい、せめて、もう今夜の料理はあんなに魅力的ではありませんように、あるいは自分の平常心がもうそんなに簡単に揺らいだりしませんように。






今回、直訳が逆に難し過ぎて意訳・とりあえずの訳が多いのでそういう感じと思って読んで下さいませ(^_^;)
定力とかそうそう訳せんわい。
定力=禪定する能力、禪定とは禪那と定を合わせた言葉で禪那は修業者が集中して特定の何かを意識から追い出すこと。
まぁ無念無想の境地を保つ力、ですかね。