4月30日更新分・蝶の翅【石頭FBノート】 | 手上のコイン Blog

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五月天の石頭がFBのノートに書いてる日記を、ちょこちょこ翻訳しております。おかしいところがあれば、ご指摘下されば幸いですm(_ _)m



【石頭FBノート】蝶翼 '170430


蝶の翅 4月30日更新

突然身の回りに、貴女に関する多くのニュースが出現した。まるで暴風がトタン屋根を捲り上げたかのように無礼で暴力的に。
バラバラになった残骸の中には、どれだけ本来の貴女があるのだろう。また、かき集めればどれくらいの真相が掴めるのだろう?
僕は蝶の翅を拾い上げるような気持ちで、時間をかけその全てを集めた。もしかするとその一切はムダな事なのかもしれないが、確実にそれは、われわれが目を見開いてしっかりと見つめるだけの価値をもっている。
僕は貴女が残そうとしたのは、一つの耐え難い真実の世界であると思う。その世界は立て直そうにもとても骨が折れる上に、壁の継ぎ目からは臭いを放つ屍水が流れ出しているため、人々は目を反らし、距離を置こうとさえする。

僕は貴女を知らない。ただそういった無惨に干からびた情報の中から、わずかながらはっきりと解るのは、貴女の容貌だけだ。
ああいった配慮がなされたシルエットの中に僕が見たのは、その血肉に如何なる意味をも持たせぬよう害(そこな)われた一対の両の目で、見るからに無害な生命体も、結局は悪魔になったかのように、貴女の善良さも陰影も欲望も、貴女の一切を浸食していた。
僕はじっとその悲しき両目を見つめた。無邪気に自分の力で何かを変えることができると思っていたが、底なしの冷たい拒絶にあって、たとえ強烈な太陽が空に昇っていても、僕はむしろ片隅に縮こまってしまう。その冷気が心に突き刺さるせいばかりではない、自分の無能さを恥じているためだ。

多くの人がこのような結末を悲しみ、その真相の全てを解き明かそうとする。僕には、これが貴女の望んだものであるかどうかはわからない。
けれど確実にわかるのは、貴女はこの世界を良くしたいと思ってた。そして貴女が使った方法はみんなに真相を訴えるということだった。
貴女はあるいは烈士になったのかもしれない。しかし、誰も生まれながらにして烈士である者などいない。いや、どんな者でもこの世界で烈士になどしてはならないのだ。

涙を拭いて、貴女が遺したものに目を通さなくては。もしもあのような残酷さが、やりきれなさが、苦しみが、寄生するように僕を蝕み出すとしても。
僕も、貴女が伝えようとしていたものを微かにでも感じたい。たとえ最後に、僕が貴女と共鳴することが出来なかったとしても、僕もまた、貴女が創り出したような悲劇の人が再び生まれて欲しくないと思う。






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さて、この文章、当のニュースが何なのか分からないと理解出来ないと思うので、日本語の記事も見つけたので貼っておきます。

http://a.excite.co.jp/News/economy_g/20170429/Jpcna_CNA_20170429_201704290005.html

何せニュースがニュースなので、報じる記事によっては名前が伏せられていたり、顔にはモザイクがかかっていたりもします。

…が、中には彼女の生前のインタビューを振り返ったものもあります。
我的痛苦不能和解 專訪林奕含
さわりだけ抜粋してみます。


「當你在閱讀中遇到痛苦,我希望你不要認為『幸好是小說』而放下它, 我希望你與思琪同情共感 。」

「あなたがこれを読んで辛いと感じたなら、私はあなたに『小説で良かった』と思い、ただ閉じてしまわないで欲しいのです。私はあなたに、思琪に共感して欲しいのです。」


「我希望任何人看了,能感受和思琪一樣的痛苦,我不希望任何人覺得被救贖。我要做的不是救贖誰,更不是救贖我自己,
寫作中我沒有抱著『我寫完就可以好起來,越寫越昇華』的動機。 寫時我感到很多痛苦,第一次書寫完成、來回校稿的後來是抱著不懷好意與惡意在寫。」

「私は、みんなに読んで貰い、 思琪と同じ痛みを感じて欲しい。私は、誰にも救われたなどと思って欲しくないんです。
私は誰かを救う為に書いた訳ではありません。まして自分自身を救う為でもありません。執筆していて『これを書き終われば物事が良くなる、昇華されていくんだ。』というような動機を抱いた事などないのです。執筆の時に、私はとても多くの苦しみを感じました。最初に書き上げ、校正をしているときには、よからぬ事を考え悪意をもって書いていたのです。」


「我希望看的人都可以很痛苦,我是個惡意的作者。房思琪發生這件事的重量是,即使只有一個人,那個重量就算把它平分給地球上每一個人所受的苦,每一個人都會無法承受。」

「私はこれを読んだ人にも強い苦しみを感じて欲しいのです。私は悪意の作家です。 房思琪の身に起きた事の重大さは、一人のものであっても、その重さはたとえ地球上の全ての人に均等に分けたとしても、誰も耐える事の出来ない苦しみなのです。」