【観劇記録】幽霊たち | 手上のコイン Blog

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パルコ・プロデュース公演
『幽霊たち』

2011年6月14日(火)~7月30日(日)

原作:ポール・オースター
翻訳:柴田元幸
構成・演出:白井晃

■Cast

佐々木蔵之介
市川実日子

有川マコト
細見大輔
斉藤悠
原金太郎

奥田瑛二


■Story

私立探偵ブルーは奇妙な依頼を受けた。
変装したホワイトから、ブラックを見張るように、と。
真向かいの部屋から、ブルーは見張り続ける。だが、ブラックの日常に何も変化もない。
彼は、ただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。
ブルーは空想の世界に彷徨う。
ブラックの正体やホワイトの目的を推理して。次第に不安と焦燥と疑惑に駆られるブルー…。80年代アメリカ文学の代表的作品。


…というのは、小説のあらすじですが。全体にさほどいじっていない構成なので、このままと思ってもらって問題ありません。

余談だけど。(いや、本当に余談)観劇した回に着物…はいいけれど、もの凄く髪の毛盛って、赤ん坊の頭大の髷を頭の頂に乗っけているお客さんがいて、結構びっくり。
 いや、PARCOは傾斜がそこそこあるから全く見えなくはなかったろうけど。後ろの人……可哀想に。
というか、大きさを見て赤ん坊の頭くらいあるな~という想像をしてしまったため、赤ん坊の頭が、赤ん坊の頭が……と想像をしてしまって、かなり不気味でございました。こわ……(笑)

閑話休題。

関係ない話は置いておいて。芝居の話に戻りますが。
なんというか。
スタイリッシュ、と単純に言ってしまうには少し抵抗がある。まあ、でもそうなんですけど。
主役のブルー(佐々木蔵之介さん)と、ブラック(奥田瑛二さん)だけでなく。
メインではない他の役者さんが黒子としても、何役かの登場人物としても、いろんなパフォーマンスのシーンで、パーツ・パーツとしてきっちりと機能していないと物語そのものが成立しえない。
緻密に練られた一つのパズルのように。

原作を読んでも多少難解な印象は否めないけれど。とりあえず物語を知らずに舞台を観る方が楽しめるかもな、と思う。
集中が必要な作品だと思うのに、先がわかっているとどうしても集中力を削がれたので……。←こいつです(笑)

とにかく、パフォーマンスが面白かったのが一番の印象。そして、蔵之介さんは実は生の舞台は初めて拝見したのだけれど、声音の自然な変化とか、やはり上手かったなぁ……。
相変わらず、有川さんはチャーミング(笑)
いや、なんか…好きなんだよね~。
細見さんが、役以外の部分であんなに気配消して舞台全体と同化してるというのが、いい意外性だった。←ほめてる。
いや、自分の役の時はいつもの細見さんだったけど(笑)

小説を一読した時に思ったのは、これはアイデンティティーを失った男と、失いかけた男の物語だということ。
彼我の境目の揺らぎ。
自分は自分であるということの、あやふやさ。

かつて、学生だった頃に思ったことはないだろうか。いや、それを卒業しても時にはその想いに捉えられる人もいるかもしれない。
自分を他者と識別するものがどれだけあるのかと。
もし明日、自分と誰かが入れ替わったとしても。
いや、例え自分がいなくなったとしても。
世界は変わるのだろうか。
全体というものの中で、自分は何者であるだろうかと。

そもそもの定義がおかしいということに気づかない限り、その疑問はついて回るかもしれない。

かつて街を歩いていた幽霊たちと、
今そこに立っている己を
同一に感じることがあるかもしれない。
名前のない『色』で呼ばれる彼らのストーリーは、
そんな想いの創り出す、幻想の中の物語なのだと思う。