【観劇記録】グロリア | 手上のコイン Blog

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ハイリンド×サスペンデッズ
『グロリア』

2010年10月14日(木)~24日(日)
下北沢「劇」小劇場

脚本・演出 早船聡(サスペンデッズ)

(サスペンデッズ
伊藤聡
佐藤銀平
佐野陽一
(ハイリンド)
井原農
枝元萌
多根周作
はざまみゆき



1945年より前の日本を想像するのは難しい。当時を知る人に話を聞いても、それって本当にあった話ですか?と耳を疑いたくなる。一体そこはどんな世界だったのか。でも実は現在だって同じなのだ。世界のどこかでは想像も出来ないようなことが起きている、らしい。終戦間際、日本軍は風船に爆弾をぶら下げて海岸から飛ばし、アメリカを爆撃しようとしたそうだ。至って真面目に。その風船を作っていたのは少女たちで、そのうちの1つがアメリカで1人の女性と5人の少年少女を殺した。この話は1944年の東京と1945年のオレゴン、それと2010年の日本が舞台です。
(チラシ、作家文章より)


個人的には戦争モノというのは苦手な部類に入ると思う。
決して悲惨な現実から目を逸らそうということではない。ただ、単純な事実として苦手なのだ。
それは戦争を知らない世代であるからかもしれない。その悲惨さに現実感が伴わない。
リアルに感じているつもりでも、やはり「つもり」の域を脱することは出来ないのだということを、ふとした瞬間に。
まるで水たまりを踏んだ時に飛んだ、泥の染みを見つけるように…。自分の足下に視線を落としたとたん、意識の表層に浮かび上がる。そいういうものがあるのだ。

芝居の構成としては、(若干)惚けたと思われている祖母が書いたという回顧緑を、その死の間際に立ち会う為に病院を訪れた主人公が手にするところから始まる。
祖母の記憶の中に鮮明に残される戦争の傷跡。

妻とは上手くいかずに離婚し、愛娘にはあまり逢うことも叶わず。経営している会社も倒産寸前。そんなどん底の気分の主人公の手元に渡った回顧緑には、戦時中の悲しい出来事、己のした行為のもたらした結果への悔恨。それと共に、懐かしく親しかった人々との苦しくも楽しい思い出が詰め込まれていた。

風船爆弾。

その名前は聞いたことがあるものの、その実態と、それが本当にアメリカ本土まで到達して、被害者を出していたことは初めて知った。聞いた瞬間に。そもそもそんなものが太平洋を渡って到達することなどないだろうと、私は想像したのだ。
主人公の祖母は、この風船爆弾を製造する工場に勤めていた。そして、何十年も後になって、その爆弾の一つが海を越えてたどり着いた大陸で人々の命を奪っていたことを知る。
爆弾で亡くなった人々にも。
兵隊になって戦争に行った人々も。空襲で死んだ人々も。
それぞれに、小さな幸せを大事にしながら生きていた。
…だれもが。

取り戻すことが出来ないものが多くあった時代。

いや。

今でも世界のそこここで、変わらずに続いている。
取り戻すことの出来ない出来事。
それでも。
その中にあるのだ。あったのだ。
日々というものが。

───いつか振り返れば。



誰しもにそれはあるのだろうと。
そう思わせるラストだった。


ハイリンドもサスペンデッズも初見だったので、いろいろなものに気を取られて、実は本当の意味では芝居を堪能出来なかった。あー。この役者さんはこういう芝居をするんだなーとか、演出とか、構成とか…。
最近いらんことが気になるよな。ちょっと反省して初心に還らねば。

そういえば劇場の写真を撮るのは忘れたのだが、何故か劇場近くのとあるお店を激写してきた。

芝居を観た方なら、何故か分かっていただけるかもしれないが。
なぜこんなものを…自分!(笑)