【観劇記録】バイバイ・ブラックバード | 手上のコイン Blog

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演劇集団キャラメルボックス25th②スプリングツアー
『バイ・バイ・ブラックバード』

脚本・演出 成井豊+真柴あずき


■東京公演
5月13日(木)~6月6日(日) サンシャイン劇場

■神戸公演
6月12日(土)~20日(日) 新神戸オリエンタル劇場
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■Cast


大内厚雄
實川貴美子
多田直人
西川浩幸
大森美紀子
坂口理恵
岡田さつき
前田綾
小多田直樹
井上麻美子
鍛治本大樹
林貴子
森めぐみ

有馬自由(扉座)


■Story


2010年6月、世界各地で新種の熱病が流行。
その後遺症で、数百万の人々が記憶を失った。
ナツカの場合は、11年分の記憶。
その結果、彼女の心は16歳の頃に戻ってしまった。
ナツカは、記憶喪失者が再教育を受ける学校に通い始める。
そこには、他に4人の16歳がいた……。



東京公演は終了していますが、まだギリギリ神戸で上演中です。




扉座の有馬自由さんをゲストに迎えるということで、実は客演目当てにとても楽しみにしていたんだったりして。

ということを除いても、今回はあらすじの時点でちょっと面白そうだったし、チラシを見たときに行きたいな~と。素直に思ったのだけれどね。

今回は思っていた以上に『密度』のある芝居でした。登場人物それぞれのエピソードが多く盛り込まれているのだけれど、それが煩いことは無い。
説明セリフもかなり多いのに気にならない…のは、わかりきった部分や想像で補いたい部分には余計な説明が無いからだろう。
あれだけのものを一つの芝居の要素として盛り込まれても、生理的な流れに逆らったところが少ないので、上演時間が短くすら思える。


ま、要するに。
単純に言ってしまえば面白い!のだ。


新作でもあるし、キャラメルボックス的には新しい試みが多いらしいのだけれど、別に演劇として見て珍しい手法が使われているわけでもないので。
その点ではほとんど個人的な趣味で『これは好き』とか『これは嫌い』と振り分けることが出来る程度ですかね。
ただ、多分、ダンスシーンも含めてパフォーマンスが3シーン入ることによって、密度のある内容でも、息苦しさを感じさせることのない構成として。愉しめる。今回はそれが上手く成立していた。


東京千秋楽の一言挨拶で大内さんが明かしていたところによると、このパフォーマンス。彼がプロデュース・脚本・構成・振り付け。出演。ついでに選曲もしたダンス公演『Blue is near water』を観た演出家が「こういうのもいいじゃないか」と、取り入れた結果らしい。
…まあ。そういう気配は最初観た時から感じていたけれど。
(私は大内さんの創るもの好きなんで)


今回のキャラメルボックスは、ストーリー展開ではなく描かれる人たち、一人ひとりを楽しむ芝居だなと感じた。
といっても、変に小難しく哲学にはしったり、人間心理を抉るような後味の微妙な話というわけでもない。


ただ、人間はお互い違うのだということ。当たり前のそのことが、面白くも切ない。
考え方も価値観も、生まれも、環境も。
違った人間同士がこの世界には満ちていて。
上手くやろうともがいたり。時に背を向けたり。
矛盾したり、思いもかけないところで人を傷つけたり。

不協和音を奏でながら、それでもお互いに手を繋ごうと必死に何かを探している。
それは、普段はなかなかはっきりと目には見えなかったりもする。


それを炙り出すのが、『記憶』を失ったそれぞれの記憶年齢16歳と、それを取り巻く人々だ。


私たちの思う『繋がり』とは何だろう。『絆』とは何だろう。
それは記憶の上に成り立っている。
何故なら、親愛の情というものは、その人に纏わる思い出を想起することによって、初めて心の表層まで浮かび上がってくるものだからだ。

忘れられた側も、ただ『記憶がない』ことは受け入れられるのかもしれない。けれど、人間が本当に忘れられたくないのはその向こうにあるものだ。


物語の中の記憶障害を起こした患者が、一部でも記憶を取り戻す可能性は、僅か0.1%。
1000人に一人に過ぎない。
奇跡とまではいかないが、もしかしたらと希望を抱くのはさほど現実的とは考えられない。

ではそれならば、記憶のある時点からやり直せばいいのだろうか……?
しかし時間は、容赦なく過ぎているのだ。
周囲は刻々と変化している。自分の置かれた状況も。
数年程度ならば何とか適応することも可能かもしれないが、一気に何十年も失ってしまった人はどうだろう。
それだけで、途方に暮れてしまいはしないだろうか。


彼らは、そこから立ち上がっていこうともがいてゆく。
もがいた挙句に繋ごうとした手を失うことになろうとも。
時に記憶を取り戻そうと後ろを振り向き、壊すことも越えることも出来ない壁に何度も額を打ちつけながら。
失ってしまった『自分』を探しながら。


それでも今の自分を、
どう生きていくのか。


それは記憶を失くした彼らだけではない。誰もがそれを悩みながら生きている。
だからこそ。
特殊な環境に置かれているのかもしれない彼らにも、すんなりと共感することが出来る。
過去ではなく今を生きるからこそ新しく生まれる痛みすらも。
受け止めて生きてゆく。生きてゆかなくてはならない。
それは、記憶を失った者も。忘れられた者も同じことだ。



劇中にこんなセリフが出てくる。
『2つに1つしかないのか?第3の道は考えられないのか?』
現実は、そんなに簡単ではない。
第3の道だって、時に他の2つの道よりも険しいかもしれない。

でも。
優しい台詞だなぁと思う。
少しでも、幸せな方向に向かってと。


諭すように。
願うように。
祈るように。


そういう人の想いが、芝居全体を包んでいる。
だから、切ない。
そういう芝居でもあった。



人が人を大切に想うからこそ。
切なさが生まれるのだ。