ウォルト・ホイットマン、詩人にして予言者そして人間の極致(模範) 最終稿 | 日本人よ速やかに新人類に変貌せよ!

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革命家足立啓司がゴーピ・クリシュナの遺志を継いで運営するクンダリーニ・リサーチ・ファンデーション日本支部からの情報発信。

  コスモス:新人類の到来

 マリナッチは、その著となるホイットマンの伝記の中で、彼のことを率直に未来の預言者と名付けている。曰く。

 

 ホイットマンは自著の序文の中で大胆にも予言している。「将来、聖職者(神父、牧師、僧侶等)は存在しないだろう。と言うのも、宗教が従来の役割をもはや果たせなくなってしまったから。代わってコスモスや預言者達の一群が登場してくるんだ。」コスモスとは、ホイットマンの造語で、賢く天啓に導かれる人類のグループを意味する。ホイットマンによれば、コスモスの言動が、他の人間の模範となりインスピレーションとか気付きをもたらしてくれるという。

 

 ホイットマンは、その著書<Democratic Vista;民主主義の展望>の中で、民主主義と宗教を一つのものとして扱っている。彼は言う。

 

 未来のアメリカの男女は、人間性において精神的にそして物質的に全く刷新され再構築されているだろう。・・・宗教には常に横やりが入ってきたが、かりそめにも教会と信条によってなんとかその体裁は保ってきた。しかし、本当は違う。宗教は個々の魂に属す。だから、その魂が偉大ならば聖書は変わるだろう。新しい解釈が生まれるはずだ。教会との関係性からすっかり解き放たれた個々の魂だけが宗教を考えることができる。そこからしか始まらない。

 

 偉大な教師達は何も新しいことは説かない。時代を超越して同じ簡単な原理が繰り返される。なぜなら、想像を絶する約束の天命に人類を導くのがその原理だからだ。

 善良な白髪の詩人、ホイットマンは言う。

 

 この地上を愛(いと)おしんで欲しい。そして太陽と動物達も・・・。金持ちは嫌え。窮している人々にはすべからく施すべきだ。馬鹿とか気ちがい呼ばわりされている人々のために立ち上がろう。君の収入や労苦が他の人々のために還元されることを喜んで欲しい。暴君は憎もう。神について自分の主張を言い張るのはやめよう。忍耐と寛容。これらは、他の人々と一緒に生きていくうえでとても大事な姿勢だ。自分が知らないこと、未知、そして他人には、まず敬意をもって接しよう。教育が無くても元気な人々、若者、母親、こういった人達ともこだわりなく接していくべきだ。僕の<草の葉>を、家の外でも読んで欲しい、口ずさんで欲しい。春夏秋冬あらゆる季節で、あらゆる君の人生の折々で・・・。以前、学校で習ったこと、教会で聞かされたこと、本で知ったこと、それらは全部再検討して欲しい。君の魂を侮辱するものは一切拒絶しよう。さあ、そうするなら君の身体が、一つの偉大な詩になるんだ。」

 

 ゴーピ・クリシュナが解説した悟った人間の意識の特徴。それらが、ホイットマンの著作には溢れている。例えば不老不死を信じていたこと。死に対して恐怖が無かったこと。他者への慈悲心。物質を至上としない態度。自分の仕事に最大級の能力をふるった。実は、同様な人間性を表した言わば天才達は他にもいる。作曲家のブラームス、ベートーベンがそうだ。アインシュタインやラーマクリシュナもその部類に入るだろう。すでにこのような偉大な人物、魂は数多くこの世に存在した。言い換えれば<未来を先取りした人間>と定義できようか。ではここで、こういった天才達の業績を可能にした何か一貫性のある原因が共通にあったとは仮定できないだろうか。それは、仮説として、研究の余地を、展望を、開いてくれる。今後未来、この仮説をテーマにして一生を賭けて追及しようと努める真摯な研究者達がきっと輩出してくるに違いない。

 

 「要するに僕が生涯を通して自分の生き様とし、著作にもそれを僕の人生哲学として表現してきたことを、あなたは知りたいのですね。よろしい。ではそれを話しましょう。まずは僕の人生観。それは神の存在を謙虚に受け入れそして感謝することでした。雑で何だかやりにくいこの時代だけど僕は善に対する沢山のインスピレーションを

受け取った。だから僕は俗世から離れて、その俗世の毒から我が身をいつも遠のかせることができた。

                 ウォルト・ホイットマン

 

 Interviews and Reminiscences(インタビューと回想)

 1892年刊より抜粋、作者は不明。

 

 おお、稀有(けう)の詩人よ!あなたの輝かしいメッセージを私達は心に留めておくでしょう。

 

 ウォルト・ホイットマンの稿はこれで終わります。アメリカも捨てたもんじゃない。100年以上も前にこんな時代を先取りした新人類を生み出していた。80年代の初め僕はカリフォルニアに渡った。精神性に覚醒したヒッピーとして、どうしてもカウンターカルチャー(物質至上主義文化に対する精神文化)の首都カリフォルニアを訪れたかった。

 UCBバークレー校のEnglish Extensionに入講してヴィザを取得して晴れてアメリカに足を踏んだ。

 いやぁ楽しかった、バークレー生活は。沢山のアシュラムを訪ねた。精神性を求める沢山のアメリカ人に出会った。でも全体としてアメリカ社会は病んでいるように思えた。その後、ボストンの東海岸に移ったけれども同じ印象を受けた。「この社会で生きるのは疲れる。」

 そして僕は決意したんです。ダライ・ラマが拠点を置かれるインドのダラムサーラに行こう!と。

 その後の僕のインド修行は充実でした。チベット仏教の理解を深めクンダリーニもいっそう自分の中で覚醒していきました。

  

 さぁ、次のブログからはまた新たな視点、新たな題材からクンダリーニを捉えていきます。乞うご期待!

 

ホモ・ノブス/足立啓司