今度は江戸狛犬図鑑で遊ぶ⑮山王日枝神社 | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

今度は江戸狛犬図鑑で遊ぶ⑮山王日枝神社

蓮舫も石丸も何だかなあってとこがあるけど、これほどのコイケ大勝とはね。刑事告発はどうなった?

2024.7.8(月)

赤坂山王日枝神社 と言えば太田道灌が江戸城築城に際して川越の仙波日枝神社を勧請したもの、さらに元を辿れば比叡の日吉大社で主祭神は大山咋神、神使は猿 だ。稲荷神の狐程には徹底されていなくても八幡神社の鳩、熊野神社の烏、天神の牛など眷属は色々、従って、烏天狗だらけだった高尾山薬王院と同様に狛犬はあまり期待できない。

実際、これは初めて東側の本来の参道から男坂で拝殿に向かっても狛犬は見当たらず、

神門 を護るのは普通に随身、なのだが、

その裏に回ると 神猿 像、神猿は「まさる」と読み、古色が見えるこの像は昭和になって寄進された新しいもの。

拝殿を護るのも神猿のと母なのだ。

ところが、拝殿の北側に2社並んだお社、左の 山王稲荷神社、右の 八坂神社&猿田彦神社 の左右には1組、

1820年生まれとそこそこ古い狛犬がおわす。この山王稲荷の方の社殿は唯一戦災を免れたものだったりもするのだが、そもそも江戸城内から遷座してきた日枝神社よりこの地での歴史は長いそうで、猿に遠慮する必要は無さそうだ。

但し、この狛犬は元々は神田明神境内の摂社のものが流れてきたそうで少々有難味が薄れる。

実は日枝神社としても少々外れた場所、外濠通りに面した 裏参道 の大鳥居を護る大型の一組があったのだが、

これは胸を張って足を踏ん張る明治以降の「護国型」だった。

これについては資料が見つからないけど、茂みに隠れて部分的にしか見えない銘板の読めるとこはあんまり古めかしくない人名だけで、彫りも新しそうだから昭和もので間違いない。どうせなら神猿とすべきだったんじゃないだろうか。

それではと、兜町にある 日本橋日枝神社、言わば出先機関である御旅所に行くとこれだ。

運気上昇を謳って上向き? 護国型っぽいこちらも昭和9年に奉納された新しいもの。やはり日枝神社にシブい狛犬を期待してはいけないのだった。

一方、どこにも説明が無くて分からないのが、何故赤坂では神猿も山王稲荷の狛犬も赤いマント、兜町では青いマントを着用しているかってこと。彫りの具合などが分かりにくいんですけど...。

因みに護国型の正面、外濠通りを挟んだお向かいには 中国銀行

中国風狛犬で張り合っていた。阿吽の区別は無い。

山王日枝神社と言えばついつい外濠通りに面して目立ち、駅から便利な上にエスカレータまである山王橋ルートを誰もが使うから、本来の参道がややなおざり。