封印された東京の謎に へぇ! | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

封印された東京の謎に へぇ!

都知事には異論があるけど、都議選の結果が予想通りだったからまあいいことにしよう。でも石丸くんはよく分からない。問題指摘能力はありそうだが、解決能力はどうなんだろう。ネットで遊んでる印象も否めないような。

2024.7.9(火)

図書館で手に取った 封印された東京の謎、この写真は知っている。 ひばり号、これは昭和26年に渋谷駅東側、7階建ての東急東横店の屋上から山手線を跨いだ西側の4階建て、玉電ビル屋上に行って戻るという運行で話題になったが、玉電ビルの改築に伴ってわずか2年で営業を終了したという都内最初で最後のロープウェイ。ロープウェイではなく、当時は 空中ケーブルカー と呼んだそうだが、渋谷の街が実にしょぼいのが可笑しい。

そんなことを何で知っていたかというと、トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~ ですな、2002年に深夜枠で始まり、翌年にはゴールデンタイムに出世、ムダ知識をプレゼンターが紹介し、タモリを会長とする品評会メンバーの へぇ の数を競ったもの。プレゼンターとして登場した八嶋智人がブレイクした番組でもあった。ググってみて、中でも印象的だったこれが放映されたのは2003年7月9日と分ったが、21年も前の今日の話だった。

はい、この本もそんなムダ知識を満載しており、中でも個人的に 最高へぇ だったのは、桜の名所として知られる 播磨坂、あの文京区、茗荷谷駅近くの片側2車線+桜並木の広い道路がほんの数百mで途切れるのは関東大震災後の復興事業で計画された環状3号線の一部だったからという雑学、知らなかった。ごく一部だけできて予算の問題で中断、戦後に再開しようとしてもGHQの反対でだめ、東京オリンピックのために環七や環八が整備されてもまた積み残されたのがこの3号線や2号線だった。マッカーサー(が反対した)道路とも呼ばれる2号線は少し通じたが、3号線はもう無理だろう。

 

もう一つ触れるなら 池袋駅の成り立ち かな。今では池袋は1日の乗降客が新宿、渋谷に次ぐ265万人で世界第3位なのにその4分の3は乗換えだけで街に出ないから駅袋なんて言われたりするが、そもそも何も無いところだったのだ。1885年に山手線の前身である品川線が品川から赤羽まで開通した時の駅は渋谷、新宿、板橋、少し遅れて目黒と目白だけだった。その後、上野からの高崎線とこの品川線をつなぐ迂回路を作る際も当初考えた雑司ヶ谷や目白での接続が諸事情で不可、苦し紛れで何も無い野っ原だった池袋に駅を設けることになったんだと。その後開業した今の西武池袋線も東武東上線も当初は池袋より賑わっていた大塚か巣鴨を起点にしようと目論んだのに、これも諸事情で池袋に変更されてしまったと。世が世なら大塚や巣鴨がもっと賑わう街になってたかも、という話だった。それを思えば駅袋上等、かな。