縄文以来の? 大宮、氷川神社② | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

縄文以来の? 大宮、氷川神社②

犬散歩も含めるとこの日は2万歩にあと一息、たっぷり歩いた。

2024.6.4(火)

楼門 の手前は中の島に宗像神社を祀る 神池、これはかつてあった広大な見沼の名残りとされている。縄文海進の頃、この辺りは大宮台地の半島状の突端で、南側はすぐ海だった。それが海の後退とともに湿地帯となり、江戸時代に新田開発されたのが所謂見沼たんぼだ。

昨日触れた通り、拝殿の背後はぐるりと環状盛土遺構で緑が濃いのだが、ぐるっと回っても高い塀に囲まれておりよく判らない。唯一、拝殿の左側に奥に入る鬱蒼とした小路があって、その先にある 蛇の池 が神池の水源となっている湧水池。上記の通り半島の突端で、湧水があってというあたりが集落を作って神聖な祭祀の場とした所以とも。

一方、昨日掲載した立派な楼門や拝殿は明治以降の国家神道政策の賜物であってそれ以前は形式が大きく異なり、元々は今の本殿の位置に 男体社女体社簸王子社 の三社が並ぶ珍しい形式だったそうだ。現在の主祭神の須佐之男命、稲田姫命、大己貴命は江戸末期の神主による氷川大宮縁起に基づくものだが、それぞれの祭神にも諸説がある有様、古過ぎて判らないのだ。

拝殿の右手に左、門客人神社、右、御嶽神社 と並ぶ内、御嶽神社にはかつての女体社の社殿が、

三之鳥居を抜けて間もなくの右手の 天津神社 にはかつての簸王子社の社殿が転用されているけど、何だかなあ、明治政府の国家神道政策の横暴を感じる。ともあれ、稲田姫命の両親を祀ると言う摂社の門客人神社他、祭神、社名とも一味違う歴史が感じられる。

この他にも、住吉神社・神明神社・山祇神社・愛宕神社・雷神社・石上神社をまとめて祀る 六社

松尾神社

宗像神社

氷川稲荷 とあるが、見事にどこにも狛犬がいなかった。(お狐さんはいた。)

因みに境内にはこれは新しい、戦艦武蔵の碑 なんてものも。

艦名の縁ですな、戦艦武蔵の艦内には氷川神社を分祀した武蔵神社があったそうだ。また横浜の氷川丸も氷川神社から採った船名で、その神棚には氷川神社が祀られている由。