小平霊園で墓マイラー | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

小平霊園で墓マイラー

靖国の標本木はいざ知らず、門仲周辺、永代通りや大横川、越中島公園のソメイヨシノは昨日の朝時点では一輪も咲いていなかった。同じ遺伝子のはずで靖国からは10kmも離れていないのだが...。

2024.3.31(日)

小平まで行ったら 小平霊園 にも表敬墓マイラー、こちらは明治時代にできた青山霊園や雑司ヶ谷霊園よりも、大正時代の多磨霊園よりもぐっと新しい戦後、1948年の開園で、多摩霊園ほどには広くないし41の地区、それぞれ20ほどの列、並び順がきちんと表示されているから著名人墓地マップに照らせばお目当てを探し当てるのが比較的容易だったかな。

但し、マップにある著名人48人の多くは著名とは言い難い。多磨霊園ほどじゃないとは言え65haでもありぱらぱらっとつまみ食いで(丸ポスト散歩で既にたっぷり歩いている)まず民芸運動の 柳宗悦

壷井栄 に、

有吉佐和子

フジサンケイグループを作り上げた 鹿内信隆 は墓地も最大級。

と、ここまではお彼岸でか花を飾った痕跡があったが、日本人とユダヤ人で大反響を呼んだ 山本七平 さんは少々寂しそうだった。

でもそれはまだ良い。

草茫々の右側にイタリア語の詩を彫りこんだ 添田唖蝉坊 夫妻、その左手の息子夫妻の墓の前には、縁者は管理事務所に連絡をという表示板があって、どうも管理費が払い込まれていない感じ。

明治後期に大道を流しながら政治批判など織り込んだ演説の歌を歌い、歌本を売った演歌師、唖蝉坊と後継の息子、知道はその筆塚が浅草寺の弁天堂横にあるほどなのにちょっと残念。

 (北島三郎や都はるみの演歌とは全く別物です。

なおウィキペディアによれば植木等などの墓所もここらしいのだが、マップに見当たらないのはご遺族の意向によるものかもしれない。

 

小平霊園に行ってみたかったもう一つの理由はその一角にあるこの さいかち窪、直径100mほどの窪地が開園以前から黒目川の源だったそうなのだが、

その現状はほっぱらかしの雑木林の一部がちょっとくぼんでいるかな、ってそんな感じだった。夏から秋にかけてはスズメバチが出るとか。

小平霊園の最寄り駅は小平だがこれは小平市でも北の外れにあり、小平霊園は東久留米市、東村山市との市境にまたがって存在する。だからさいかち窪の大半は東久留米市に属するし、南東の外れの管理事務所は東村山市に属するから霊園の所在地住居表示は東村山市なのだった。