叙情派の巨匠ー映画監督 五所平之助の煙突の見える場所 | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

叙情派の巨匠ー映画監督 五所平之助の煙突の見える場所

昨日は1号が小学校の卒業式、だったのだが、39℃の発熱でインフルエンザ、思えば子どもも孫も入れ替わり立ち替わりコロナやらインフルエンザやら何やら。それに引き替え? こちらはコロナ始まって以来妙に丈夫だ。2回発熱があって一度は十数年ぶりの38℃ではあったが、それとて1日で治る回復力。五十代の頃の方がだらだら風邪が治らなかったりしたな。

2024.3.23(土)

神保町シアター は今は 叙情派の巨匠―映画監督 五所平之助、1925年からなんと68年まで何十本も監督して、1963年に小津安二郎が亡くなった後は16年に渡って日本映画監督協会の理事長を務めたという大物で、賞もあれこれ取っている。

でも著名な作品はと言うと、また観たことがある作品はと言うと、日本で最初のトーキー映画、ポスターに大きく使われた1931年の マダムと女房 だけかも。今回取り上げられた16本からスチル写真を引用した一番左の岡田茉莉子の 愛情の系譜、その次の岩下志麻が当時は人気職業だったバスガイドを演じた 100万人の娘たち など申し訳ないが全く知らない。叙情派っていうのがあまりタイプじゃないこともあるが、名画座の類がほとんど取り上げなかったように思う。

それでも観に行ったのが1953年の 煙突の見える場所、もはや戦後ではないという有名な言葉は文藝春秋の評論に使われて、それが経済白書にも引用されたのが1956年のこと。こちとらが生まれた年でもある1953年はまだ「戦後」で、都心はともかく、映画の舞台になった千住はバラックと言われたおんぼろ木造住宅ばかり建ち並ぶ地域だった。対岸の千住火力発電所のお化け煙突が4本ではなく3本に見える家で暮らす上原謙と田中絹代夫婦、その2階に間借りする若い芥川比呂志と高峰秀子を中心とする人情喜劇で、まずまず面白かった。まだ若かった関千恵子さんがぱっぱらぱーの娘役で印象的だったかな。

4本の煙突が菱形に配置されて建っていた為にそれが重なり合って3本にも2本にも1本にも見えることがあった、所謂お化け煙突がこの映画の重要なポイントで、それが一通り見られるのだが、実はこれが一番の楽しみだった。

1964年に取り壊される前に一度あれがお化け煙突だと教えられて見た記憶があるのだが、1ヶ所で見ただけだからそれが何本に見えたかさえ定かでないからだ。常磐線や京成線からは見通しが良くて、走るに連れての本数の変化まで分ったらしいが、街中からだとそうはいかなかった。

芥川龍之介の次男の比呂志が出演して三男の也寸志が音楽を担当(長男は戦死)、二人とも中高の先輩だったりする。