大島 渚、第3弾は 無理心中 日本の夏 | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

大島 渚、第3弾は 無理心中 日本の夏

フーテンと聞いても若い人は寅さんしか思い浮かべないだろうけど、この映画が撮られた1967年頃は新宿駅東口辺りにたむろった和風ヒッピー、特に主義主張は無く、無気力にシンナーなど吸っている若者たちのことだった(今や後期高齢者? どうしているだろう)。男はつらいよがまずテレビで始まったのは1968年だから、この新宿のフーテンも意識はしていたろうが、元々の言葉の瘋癲、精神の均衡を失っているってな意味から定まった仕事や住所を持たない人も指すようになっていたことからのフーテンだと思う。因みに谷崎潤一郎が1961年に書いた瘋癲老人日記は77歳の老人の息子の嫁の脚フェチを描いたものだった。これが映画化された時はまだ50代の山村聰が老人役で嫁が若尾文子だったらしい。

2023.5.6(土)

国立映画アーカイブ 没後10年 映画監督 大島渚 で、少年(1969)、天草四郎時貞(1962)に続いて観に行ったのは 無理心中 日本の夏(1967)、時系列順に上映して欲しかった気もする。

これは松竹を飛び出した大島と松竹が和解? 松竹が配給した映画だが、数ある大島の映画の中でも荒唐無稽度、前衛度が高い方で、ヤクザの出入り絡みの妙な集まりが白人のライフル無差別銃撃男とつるんで警官隊との銃撃戦となる。大島組の小松方正殿山泰司戸浦六宏、さらにまだ若僧だった田村正和が落命、最後は主役に大島が抜擢したフーテン族の桜井啓子佐藤慶も、ってそんな映画だった。この前年に世界に衝撃をもたらした(今や珍しくない?)ベトナム帰還米兵のライフル乱射事件が下敷きになっている。

ネジが外れたネジ子だからあんまり美形ではなくても妙にグラマーでぶっ飛んだフーテン娘の起用だったか。素人の本物を使うパターンはこの後に家族愛に恵まれない 少年 でも。なお同名のイスラム研究者が早稲田大学にいるようだが、年齢的にもちろん別人だ。

クライマックスは名古屋のテレビ塔(今は中部電力 MIRAI TOWER というらしい)を背景に100m道路辺りの工事現場での撃ち合いから、どこかの円墳を囲む公園で最後の戦いになるのだが、奈良辺りの宮内庁管理の天皇陵じゃなくても今だったら認められないかも。始まってすぐの高速道路上のシーンもかなり不思議で、早朝なんだろうがビルの電気が全部消えて車が全く走っていなかった。まだ車が少なかった時代だからゲリラ的に撮っちゃったかも。

例によって当日にネットでチケットを買おうとしたら、流石に大島渚でGWだから売切れ、わずかな当日券を求めて開演1時間前に駆け付ける羽目になった。