社会科見学? 市ヶ谷の防衛省 | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

社会科見学? 市ヶ谷の防衛省

2017.4.30(日)

木曜に閑人仲間のA倉を誘って出掛けたのが市ヶ谷防衛省
防衛省
この地は江戸時代は尾張藩の上屋敷、それが明治維新で近衛連隊の基地、さらに陸軍士官学校になったが第二次大戦では大本営、陸軍省、それが米軍に接収されて、返還後は陸上自衛隊の東部方面総監部、平成になって大改築されたとこに六本木から防衛庁が移転してきたというヒストリー。

 

今は防衛省だが、実は防衛庁の時代に一度仕事で訪れている。そして仕事じゃなくても予約をすれば、平日限定、一日2回の見学ツァーに誰でも参加できる。

ものものしい警備の正門前に集まったこの日のツァーのメンバーは34人、どこか地方から旅行カバンをごろごろのグループとか、一人で参加の三十代くらいの女性とか、どういう人が来るんだろう、軍事マニアとか防衛省に出入りの業者とか? 冷やかしに近いのは我々だけかもって感じがあった。そしてびっくりなのがこの日は人数が断然少ない方で100人規模になることもあるそうで。それが年に約500回だとこれはすごい、無料にしておくのがもったいないかも。

 

で、上の写真の中央の大きなビルがA棟、防衛大臣を補佐する内部部局などの中枢だそうで、この一階の内部にはカメラを向けるのは禁止。営倉に入れられたりしたら大変だからもちろん厳守、防衛大臣が通りかかっても石を投げたりは致しません。
A棟
次に敷地の西の端、見学のメインはこの市ヶ谷記念館
市ヶ谷記念館
これが今のA棟の場所にあったそれ以前の本部の1号館のキモの部分を移築復元したもの、にしちゃあ思ったよりちゃち。本当はこんなやつだったのに、高さも横幅も奥行きも大分端折ってしまったのが何とも惜しい。
旧1号館
それでも玄関を入るとこの大講堂、陸軍士官学校だった時代には時の天皇が式典に臨む場合の玉座が設けられていたし、米軍による接収の間にはここでいわゆる東京裁判、極東国際軍事裁判が開かれ、東条英機などの死刑判決が下された。この写真の右手が裁判官、左手が被告、手前のステージ側がGHQと通訳という配置だったとか。
玉座から

DVDでそんな歴史を学び、かつての軍服やら軍刀などの歴史的資料に触れる。
軍服
正面玄関のすぐ上に上がるとかつての陸軍大臣室、これが自衛隊の時代には東部方面総監室として使われ、あの三島由紀夫事件の舞台となった。事件を知ったのは高2の修学旅行中、薬師寺かなんかの後に宿に着いた時だった。

現在は上の写真の旧1号館模型展示室だが、三島由紀夫事件の際の乱闘の刀疵がドアに残る。

この隣りにもう一つ復元されたのが便殿の間、士官学校の時代に天皇の休憩室に使われたものということだが、本来の位置ではないし、調度も無いのでもう一つ。
便殿の間
市ヶ谷記念館の前には多用途ヘリ、ひよどりも展示されている。武器はあまり見せない方針かな。正門の警備だって、見える範囲では小銃を持った自衛官一人だけだった。
多用途ヘリひよどり
千円床屋もある兵舎前を通って厚生棟には広報展示室、陸海空の自衛隊の活動などが紹介されている。知らなかったがゆるきゃらもあるんですな。
陸上自衛隊
これでほぼおしまい、なのだが、こちらの一階、スタバやセブンのコーヒーで暫しの休憩、要はお土産購入タイムのようだった。ミリタリー系グッズ、自衛隊がらみの菓子など、結構買う人は買っていた。迷彩柄に焼き上げたパウンドケーキが面白いと思ったが、お買い上げには至らず。

年金生活者らしく安上がり(100円コーヒーだけ)な2時間余であった。