渋谷の始まり、澁谷金王丸の金王八幡宮 | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

渋谷の始まり、澁谷金王丸の金王八幡宮

彼岸も過ぎたというのに日、月の寒さはかなりのもの、なんと雪までとは。

2017.3.28(火) 

地図を見ていて、商業地ではないからあまり足を踏み入れたことが無い渋谷駅の南東側に金王八幡宮というのがあるのに??? 

気になって調べてみて、これが澁谷金王丸ゆかりの神社と知った。源義朝の郎党でその最後までを見届け、後日源頼朝に仕えた武者、義朝亡き後は出家して土佐坊昌俊と名乗り、義経に堀川夜討ちを仕掛け敗死したとされる。土佐坊は全く別人という説もありその方が本当っぽいが、話として面白いのは土佐坊説。

 

その金王八幡宮が毎年、3月の最終土曜に金王桜まつりを開催するというので行ってみた。渋谷は元々は郊外だったから、神門も拝殿も江戸期の物が残っている。
金王八幡宮
この地にいた桓武平氏の流れの一族が相模国澁谷庄と澁谷という姓を賜ってからここらが澁谷になったそうで、澁谷城があった。城と言ってもそんな時代の地侍だから小さなもの。ずっと後に上杉と北條の戦いで焼けてしまったが、当時の砦に使われたという石が残る。城と言うよりは砦が相応しいのだろう。
砦の石
一族最大唯一のスターが後世に逸話を残す金王丸、何でも金剛夜叉明王の霊夢の後に産まれたから略して金王丸だそうで。 

御影堂に祀られる保元の乱に出陣する際に遺したという50cmほどのその木像が年に一度のご開帳。
御影堂  

神楽殿ではジャズの演奏、境内には低いテーブルを並べて昼から飲み会状態で盛り上がる。 神楽殿
何故かというと最初に書いた通りこれは桜まつり、頼朝が鎌倉から移植させたという金王桜がこの時期に咲くからなのだ。
金王桜
でもあれれ、やっとちらほら、だった。長州緋桜とされるこの桜、もちろん代替わりしてるはずだが、一重と八重の花が一枝につくという珍しいもので、江戸時代には郊外三名桜に数えられて名所図会にも描かれたという。
金王桜アップ
残念ながらわずかに開花した花はいずれも一重だったような...。

境内には御嶽社とか玉造稲荷なんて摂社があったが、道路を挟んで南側にはこれも澁谷一族の者が建立した豊栄稲なんてものが。
豊栄稲荷

反対側にある東福寺も古刹だったからゆかりの寺かもしれない。