
無事帰国しました カメラが無いし、時間も無いのですが、まずは帰国のご挨拶 本格再開はもうちょっと待って下さい なんて言ってる内に2009年8月10日で千回になりました アラビアンナイトを超えた、かな
第3回の江東MUSIC☆STAGEは相変わらず?
最近流行る曲は演奏も技術もダンスも高度に進歩し過ぎてちょっと疲れる。素朴派はあいみょん位? その点、今の朝ドラの日によって歌い出しが「毎日難儀なことばかり」と「日に日に世界が悪くなる」と変わる主題歌のユルさ(そしてちょっとコワイ)には最初かなり驚いた。若い人じゃないだろうと思ったらやっぱりのハンバートハンバートが紅白にも出た。誰だか忘れたが自分は前から注目してたと威張るタレントもいたな。それ程じゃあないけど、普通のアマチュアバンドは高度に進歩し過ぎたりはしていません。
2026.2.19(木)
コロナ禍の2021年の第14回を最後に 江東バンド FESTIVAL が中断、2年間のお休みの後に始まったのが、
USA Live Pub if の佐藤さんの仕切りから離れて、グランプリを競うかたちでなくなったためプロの講評が無くなったり、何よりメリハリが無くなったり、地元高校生にMCをやらせるって企画倒れがあったり、出場者を漫然と募集しているだけのせいかおっとすごいぜって出場者がいなかったりでどうも物足りないのだが、取り敢えず惰性で第3回に一応行ってみた。
チケットが残りわずか、なんてバレバレのフェイクニュースが X で流れたが、元々関係者以外で聴きに行く閑人は殆どいない。むしろかつてより少し減ってたと思う。
前半の4組を聴いて相変わらずだな、悪いけど帰ろうかとも思った。中では2組目の、これは唯一前回からの連続出場、と言うか3回連続で、その前の江東バンド FESTIVAL でもいい線いってた Eternal Light II さんが1980年のヤマハのポプコンの千葉・茨城大会では優勝したって流石の実力で特にギターさんがカッコ良かったけど、それでも去年よりは落ちたかな。
でも後半に入って6組目の 古石場6、バンド名からなんかローカル過ぎるし、ジャズの定番の A列車で行こう で始まった時はありきたりかと思ったがどうしてどうして。A列車は最後にもちょっとやって言わばテーマソング? テナーとアルトのサックスにトランペット、キーボードのおばちゃん、ドラムにベースのそれぞれのソロもなかなかだし、何やらラテンっぽい曲でいい味、今回グランプリを出すならこの人たちだったか。バンド名は当方にはお馴染みの古石場文化センターがきっかけで集まったからとのことだった。
以下は備忘録。
1組目、The Bookers は会社の軽音楽部、って旅行会社とか? 明るく楽しくパフィやらダイヤモンド、若い女の子ボーカルが生まれる前の曲をおじさん達に教え込まれたらしい。
3組目の Aliquando はなんと中高生と先生一人が部活とは別に各種のサックスだけで真面目な曲をやるってもの。頑張ってはいたが中高一貫で共学? もしや1号の学校か。
4組目の LOTOS は中高年のシティポップバンド、普通に上手。
5組目の 阿部元 さんはサポートのアコギ1本で熱唱。
7組目の 東陽JAM は地元東陽のサウナ施設のオーナーだというドラムのおねーさんが近所の家系ラーメンの店主などを誘って去年結成したばかりのバンド。だからまだこなれていなかったのかもしれないが、最後にジャケットを脱いで OASIS ってTシャツになったから OASIS の曲なのかな、これは良かったと思う、次回に期待。
最後の CANVAS OF MUSIC さんも巨体のボーカルさんが面白かった。これは他のバンドにも共通するのだが、いい演奏を3曲、20分続けるのは以前ならグランプリを取ったような実力+実績派でないとだれがち、アマなんだから。この点でも今の運営には疑問が残る。
今回のゲストライブは 三浦和人 さん、って誰? Eternal Light II が出た1980年のポプコンの本選で 愛はかげろう を歌って2位、メジャーデビューした 雅夢 のボーカルさんがサポートのおじーさんギターと登場。当時は随分TVの歌番組に出て、その後も続いたが、愛はかげろう以外は記憶に無く、残念ながら4年後には解散していた、40年以上も前の話。
MCの高校1年生は従来に比べれば台本を工夫して頑張っていたように思うけど、どうしたって荷が重く可哀想。バンド FESTIVAL の時の MC も落語家とフリーアナで音楽には素人だったが、話術があるし、十数年続けたしでそつなくこなしていた。
ヤミーダック(鴨老大)のローストダック、ローストポーク
2026.1.18(水)
馴染みの無い 早稲田松竹 の上映スケジュールをチェックしたのは、会社のHa先輩から 高田馬場 に面白い店があると教えてもらったのがきっかけだった。
それは明治通り沿いの土地の段差に無理矢理建てた、ラーメン屋やケバブ屋、カレー屋などで埋まった、手前はめちゃ薄っぺらな不思議な飲食店長屋の一角の、
ヤミーダック(鴨老大)、香港の鴨などのローストが売り物の店をシドニーの広東人が創業して広めた店だとか。
ごくごく狭い店でテーブルが2つとカウンターに5席、切り回すのは如何にもバイトっぽいぽっちゃり系中国娘2人。土曜の昼下がりとは言え、他の客は0だった。
各種のローストに飯か麺を合わせるスタイルだから、店では調理らしい調理はせず、だからバイトのようだ。飯には嫌いな高菜をあしらうようなので 麺、お目当て、看板の 鴨 だけなら1180円だが、皮付きの豚 も食べたくなったから1380円。でも見ての通りカリッとした肉たっぷりだから割高感はない。高菜は嫌でもインゲンはOK。
でももう一つふにゃっとして茹で過ぎかもの麺とぼんやりした感じでぬるめのスープはあんまり好みじゃなかったから、卓上にあった 辣椒 という唐辛子を刻んだような香辛料を追加したら味が引き締まった。
実はこの後にその並びで見つけてもっと興味を魅かれたのが中国料理らしいこの 兄弟羊湯館、ラム専門店と謳って様々な料理を出している。ラムの西洋料理は結構好きなのだが、中国料理では見たことが無い。北京や上海、四川料理ではなく、モンゴル自治区とかのもの? 次に早稲田松竹に行く時はこれかな。
高田馬場はリトルヤンゴンとも言われるくらいで、ミャンマーのヌードルなどを食べたことがあるし、ウズベキスタンの料理も試しているが、本当に国際化が進んでおり、早稲田通りのこの店なんか看板がまるで読めない。黄色い看板に HUNGRY PANDA とあるから中国料理らしく、日本語で激ウマ肉付き骨煮込み料理とあるから凡その想像はつくけど、
はて、これまた中国のどこの料理なんだろうと思う。
ゴダールのリア王???
2026.2.17(火)
早稲田松竹 のプログラムをチェックして ゴダールのリア王 ってのがあるのを見つけて何それ? ググってみてまさしくあの ジャン=リュック・ゴダール の1987年公開の映画と分かった。商業映画から決別していた彼が米国のプロデューサーの誘いに応じて撮ったが、流石に? リア王そのものを映画化するものではなくこんな内容。
チェルノブイリの大惨事によって芸術作品のほとんどが失われた時代。ウィリアム・シェイクスピア五世は、スイスのニヨンにあるホテルで食事をとっていた。彼の近くでは、マフィアのボスであるドン・レアーロが3人の娘に財産を分け与える旨の話をしている。その話に聞き入っていたウィリアムは、彼らが権力と美徳を競ったリア王とコーデリアであることに気づき、そこから祖先が生み出した名篇『リア王』を独自に創作することを思いつく。
でもねえ、これは難解でついて行けなかった。予め梗概を予習していてもそれだから、予習が無かったらまるで意味不明だったかも。それは予習が不十分だったこともある。映画の冒頭には導入として、オーソン・ウェルズ、フランソワ・トリュフォーなど、さまざまな映画監督のポートレートが写り、そこにゴダールのナレーションが被さるパートがあるけど、顔と名前が結びつかない人が多数で、ルキノって聞こえたからヴィスコンティがこんな顔だったかなあとか考えてるとこにナレーションと言うより断片的なぶつぶつ。そんなことを彼に期待しちゃあいけないのだろうが、全編に渡ってあまりにも説明的でないのだ。シェイクスピアのリア王の原典を引用している部分があるかもしれないけどこれも不勉強で分らない。
これが商業映画一辺倒の米国で受けるはずがなく、米国内の配収は$6万2千! 制作会社は2年後に倒産したそうだ。日本でも1998年に公開されたらしいけど、あまり話題にはなってないと思う。
何が気に入らなかったゴダールはスタッフクレジットを入れるのを拒否したそうで、始まりにも終わりにもクレジットタイトルは無く、誰が監督かも出演者が誰かも明示されない。一応主演なんだろうウィリアム・シェイクスピア五世役は ピーター・セラーズ なのだが、ピンクパンサーのクルーゾ警部ではなく同名の米国の舞台演出家。一方、終わり近くにちょっと出る編集技師のエイリアン氏は本物の ウッディ・アレン で、切れたフィルムを針と糸で縫い合わせていた(!)。
実は早稲田松竹で映画を観たのは初めて。学生時代はもっと手近な並木座、銀座文化などの銀座(門仲から4駅)、佳作座の飯田橋(6駅)中心で、9駅もあって地下鉄最低料金じゃない高田馬場にはもう一つパール座があってもなかなか足が向かなかった。
これは朝のモーニングショーで3日、夜のレートショーでの公開が3日、その間には別の2本立てをやるという変則上映で、初日の10:40からのモーニングショーはもしかしたら行列かもと10時の開場に行ったら、高齢者ばっかり30人程並んでいたあたり流石はゴダール。
最終的には153席の半分位が埋まったかな。
こちらは名前の通り元々は松竹の封切館だったものが、1975年から名画座となった。今の上映ラインアップを見ると豪華と言うよりかなりマニアックで集客が大丈夫か心配になるけど、
実際2002年に一度休館に追い込まれた際に早稲田大学の学生を中心に「早稲田松竹復活プロジェクト」が発足して応援、現在に至るようだ。2006年の改修で席数を減らしてゆったり配置に変えてトイレも綺麗に、かつての名画座にありがちな汚さは無い。この日も次の2本立てには若い観客が多数押し掛けていた。
映画のタイトルは知らなくても、置いてあるチラシを見ると面白そうなものもあるからまた利用するかも。
カフェラウンジ若木が丘と渋谷区ふれあい植物センター
2026.2.16(月)
國學院大學博物館 が半地下にある 学術メディアセンター で、その真上にあるのが カフェラウンジ若木が丘。
この日は試験休みかなんかだったのか学生さんがまるでいなかったけど、学食とは思えない洒落た設えでテラス席まである。4種のパスタとカレーライスの中から選んだのは650円の ペスカトーレ、
5分かそこらでできたから茹で上げじゃあなく冷凍かな、だが、海老、アサリ、イカもたっぷりのピリ辛で学食としてはかなり上出来と言っていいんじゃないだろうか。学生証があればもっと割引になるはず。ちょっと軽めではあるから、次の機会にはパンでも付けるかな。
今回はもう1ヶ所、南西に下って明治通りを越えたとこの 渋谷区ふれあい植物センター にも立ち寄ってみた。
「日本で一番小さい植物園」を謳う位で規模は小さいから見応えはもう一つでもほっと一息って感じ? カフェになっている2階で寛ぐ主婦グループとか、備え付けの絵本の読み聞かせをしている母子とか。
屋上ファームはイベント時だけしか入れないが、養蜂やお茶、ホップなどの栽培している。手近にはローズマリーが見えた。
渋谷区の施設にしては緩~い分? 入園料はたったの100円で60歳以上なら無料だった。
國學院大學博物館で今度は性別越境の歴史学
2026.2.15(日)
ちょっとお気に入りの一つになっている 國學院大學博物館 にまた行ったのは、
現在開催中の 性別越境の歴史学 男/女でもあり 女/男でもなく。を学ぶため。
曰く、
人類の最も自然的な側面と考えられがちな「性」は、極めて文化的な性格を有している。むしろ、生物学的な「男/女」に限定されない性のあり方こそ、動物と人間とを截然と分かつものだ。そして人々は、性別の垣根を越境してみせることで、超越した異能を身に付けることさえできると信じられてきたのである。とりわけ、祭祀や芸能に関わる世界では、異性装をはじめとする「性別越境」が重要な意味を持つことがあった。
そこで本展覧会においては、「あいまいな性」を許さなくなった明治以降の感覚を問い直しつつ、歴史的な「性」に対する意識を瞥見した上で、今日まで命脈を保ってきた日本文化における性の多様性について明確にしていきたい。
冒頭から、これはこの企画の中心になっているらしい三橋順子先生が一番言いたいこと、かな。
異性婚も異性装も男色も明治になって政府が禁止する法令を出した、言い換えればそれまではそれがざらにあった、のだ。
先史時代の発掘品でもそんなことを想像させるものがあるっていうし、
古事記、日本書紀で言えばアマテラスがスサノオと会う時に男装、武装したとか、ヤマトタケルがクマソを倒すときに女装したとか、後の応神天皇を孕んだ神功皇后が男装して新羅を攻めたとか、絵入りの文書が色々紹介されているが、これらは殆どが写真撮影不可。
白拍子は男装の遊女だし、寺には坊主の相手をする稚児、室町時代に職人などを描いた 七十一番歌合 に山伏と並んでいる伊豆・箱根・三島の行者らしい「地しゃ」が「われも女のまねをかたぞかし」、女装だった。(文書ではこれ1点だけ撮影可。)
江戸時代の女性の髷も振袖も、元は若衆歌舞伎を真似たのが始まりとのことだし、現代に至るまで、神事や民俗芸能での異性装は多々残っており、いくつかVTRも交えて紹介されている。1つだけマネキンにまで着せていたのは甲斐国一宮浅間神社の おみゆきさん。
そうなのだ、前から思っているのだが、今の所謂「保守派」の皆さんはいい面も無いとは言わないが問題も色々の明治が好きなのであって、それは必ずしも日本の伝統、歴史じゃあないのだ。良くも悪くもLGBTQの人はいるんだし、夫婦別姓なんて部外者にとってはどうでも良さそうなことにシャカリキに反対するってどうよ、と思う。そこまで明治が好きなら禁煙条例は廃止とか廃仏毀釈だって言うかな、トランプに倣って地球温暖化は嘘っぱちと言う手もある。
明治政府の神道政策の一環として創立された皇典講究所を起源とする國學院大學の博物館が取り上げた企画としては斬新かもしれないが、正しい歴史研究だと思った。
因みに次回は 和の硯、これは苦手ゾーンでパス、かな。
こちらは常設展で神道関係の他、埴輪やら土器やら大変な資料を無料公開してくれているのだが、
新しく兎型埴輪がどこかで発見されたか。
yagu-noodle はいいかも
2026.2.14(土)
四ツ目通りの 千田 で車窓から見掛けて気になったのが yagu-noodle という店名。いったい何の店なんだ? という疑問からググってみると、これがなかなかの人気の拘りのラーメン店だった。ちょっと高いめのお値段で色々と凝ったメニューを出す。店名は要するに矢口さんの麺、それだけのこと。
近くに用事があったついでに寄ってみて、一番基本っぽい 杉桶醤油 に 味玉 で1280円。
醤油にも相当拘っているらしく、カウンターに和歌山の湯浅醤油の白醤油って瓶があったり、愛媛の梶田商店の醤油挿しがあったり。正直なところ微妙な違いが分かる舌じゃないのだけど、スープは美味く、麺との相性もいいと思った。叉焼と鶏ハムが分厚いし、半熟の味玉も美味いから高いめのお値段だけのことはある。
ついでに 横十間川 を渡って(今は陸封された親水公園)、
これも前から気になっていた清洲橋通りの 山城屋酒場 もチェック。
看板の店名のペンキが薄れてもうやってないのかと思ってたが、実は明治以来の老舗がまだばりばり営業中と最近知ったのだ。ここはかなり不便だから気安くは行けないのだが、この建物が昭和28年もの? 古希にしちゃあまだ傷みも少なくシブい風情を醸し出していた。
因みにその途中で見掛けたこちらは 歌える Okama Bar レモンちゃん?
新宿2丁目はいざ知らず、静かな街にこれかあ。これはなかなか試せない、かな。正直なところお付き合いするのはしんどいのだが、そういう人たちを全否定する人が多いのには疑問。思い起こせば会社でも異性に興味が無かったかなあと思う人はいるし、仕事の付き合いがある外国人には隠しもせず、でも仕事はばりばりだったりってのもいた。
半世紀ぶりの「無常」がやっぱりすごい
昨日は外出のついでに木場公園横の大横川に立ち寄って河津桜の開花度チェックに、あ、ちらほらでした。週末でもまだ五分咲きになるかどうか、かな。
じゃあ、10日も前から咲いてたあれはなんだったかと言うと、説明が見つかった。24本は品種不明のため「早咲きの桜」と呼ばれているんだそうで。確かに段違いに早過ぎた。
2026.2.13(金)
暫くお休みしていた 国立映画アーカイブ の 逝ける映画人を偲んで 2023-2024 が再開されて、まず観に行ったのは1970年、実相寺昭雄 監督の 無常。
実相寺昭雄の初長篇映画。15世花ノ本流宗家の花ノ本寿は映画では松竹の時代劇や武智鉄二、実相寺の作品などに出演。関西芸術座の創設メンバーである河東けいは、舞台やTVドラマに数多く出演した。寺田農は岡本喜八の『肉弾』(1968)など映画、TV、舞台等で幅広く活躍。特に実相寺とは公私ともに親交が深かった。冬木透(蒔田尚昊)は、「ウルトラセブン」などのTV作品から劇場映画まで実相寺作品の音楽を数多く手がけ、共同でコンサートを開催するなど盟友だった。
1970(実相寺プロ=ATG)(音)冬木透(出)花ノ本寿(岩下)、河東けい(お種)、寺田農(やくざ)(監)実相寺昭雄(脚)石堂淑朗 (撮)稲垣涌三、中堀正夫、大根田和美(美)池谷仙克、大沢哲三(出)田村亮、司美智子、佐々木功、田中三津子、岡村春彦、山村弘三、菅井きん、集三枝子、小林昭二、岡田英次 143分、モノクロ
上記の通り逝ける映画人中で知名度があるのはチョイ役の 寺田農 位でまた地味な顔触れを発掘した感じ。でもこれは半世紀前の学生時代に大変印象が強かった1本、ロカルノ国際映画祭では金豹賞を受賞している。日本映画にハマってた70年代前半には健さんの任侠もの、文太さんの仁義なき戦い、寅さんも観たけど、この無常のような 日本ATG 配給のアート系映画も沢山観たのだ。実相寺は早稲田から外務省勤務の後に今のTBSに入社、斬新過ぎる演出の多用で干されたりしながらウルトラマンやウルトラセブンなどで異色の作品を撮り、退職して組んだ日本ATGで撮ったこれが最初の長編映画、以後多くの問題作を監督した。
改めて観ると、石堂淑朗 さんの脚本もすごいのだが、拘りの映像美に驚かされる。旧家の屋敷の暗く重厚な室内、蔵、大寺院、石仏群、仏像などを地べたから見上げたり、斜めになったりしながらなめるように撮り、モノクロが美しい。バックの音楽も特にバイオリンを上手く使っているのは、クラシックにもかなり造詣が深かったからか。
低予算映画だからのモノクロでもあるのだが、俳優だってギャラが安そう。田村亮 はバンツマの末子とは言え駆け出し、アニソンの ささきいさお だって若造で、ちょっと高いのは 岡田英次 位か。笑っちゃうのは祖母役の 菅井きん? まだ四十代で既に老け役だった。
4ヶ月ぶりの同期会はテング酒場
2026.2.12(木)
同期会 の開催が間遠になっている。毎月を隔月に変更した後、何やかやで2月の次が5月、そして9月、今度は1月ととうとう4ヶ月ぶりになってしまったのは、実は盟友の幹事長、Usくんが体調不良で入院しちゃったこともあった。幸い、ぼちぼち回復中のようで、幹事長代行のFくんの旗振りでいつもの銀座ナイン、テング酒場 に。
間遠になっているのにまた13人と少なめ、内3人がノンアルだったりもするのは高齢化のせいだろうな。
でも今年は5月頃に名古屋で、多分最後になる全国同期会を開催しようと大阪方と検討を進めていたから、その概要、日程について皆さんに説明して理解を得ておく必要があったのだ。特に異論は無く、このまま進める。

例によって一部メンバーで新橋ガード下に流れたが、お馴染みの やきとん ひろちゃん が満席だったから、隣りの 魚〇 さんへ。
久々にちょっと飲み過ぎたかも。
大門通り、大横川を押上まで北上④ついでの狛犬散歩、能勢妙見山別院と押上天祖神社
2026.2.11(水)
北上する途上、蔵前橋通りを過ぎたところでちょっと西に入ったのは 能勢妙見山別院 に立ち寄るため。
能勢 と言えば大阪府でも北の外れの山間、50年近く前に大阪で配属された課の先輩のHagさんが住んでたとこ? かなり遠いって印象。その妙見山の山頂付近にあるのが日蓮宗の大寺院、能勢妙見山 なのだが、その別院がどうして江戸でも大外れの 本所 にあったんだろうと思った。でも聞けば意外ながらシンプル、能勢を基盤とした源頼光の末裔が能勢氏、これが関ヶ原の戦いで手柄を立てて、能勢を知行地とする家康の旗本となり、その下屋敷があったこの地に1774年に妙見菩薩を祀ったんだという。江戸中期には北町奉行を務めた者もいるという旗本の中でも上級の名家で、この別院には勝海舟父子や坂本龍馬なども通ったという。
でも狛犬はと言うと1963年の戦後もので、
まあ普通の出来に(嫌いな)白や赤の色入れをしていた。
一方、これは帰り道、業平、かつて幼稚園、小学校の8年間ずっと同級だったC子の二度目の嫁ぎ先だった(過去形)、雑誌なんかでも紹介された大衆もつ焼き居酒屋(今は閉店して何故かイタリアン前菜でちょこっと飲ませる店が入っている)のそばの 押上天祖神社、室町時代の創建と伝えられるこちらは天照大神他を祀る天祖神社の割りには神明造じゃないが、関東大震災、戦災と二度も焼失して大変だった、かな。
こちらも1957年の戦後ものなんだけど、
素朴な風合いでこっちの方が好きだな。
大門通り、大横川を押上まで北上③ソラマチの銀座 天龍
いやあ驚いた、江東区で維新公認で2回かな、立候補してだめだった金澤ゆいちゃんが、2024年には維新と喧嘩したのか敢えて無所属で立候補して落選した時も驚いたが、神奈川の自民党公認で当選していた。この人はちょっとカワイイ上智のリケジョが売りなのだが如何にも線が細く、以前の選挙で豊洲駅前で見掛けた時も別の人がスピーカーでがなっている時にぼーっと立ってて、本気で政治をやりたいようには見えなかったのだ。それでも前回、3強が6万票台の時に3万票を集めてたから健闘ではあった。
2026.2.10(火)
今回の昼飯は 東京ソラマチ の 銀座 天龍 を予定していた。
行列必至の銀座の本店よりずっと入りやすいって噂の通り、11:40にはあっさり入店できた。(間もなく満席となり、入店待ちが始まった。)
オーダーはもちろん 餃子 と ビール、昼の酒は乱発しないようにしているけど、餃子にはビールが欠かせない。
餃子一皿が1330円するのは、断然のボリュームから致し方ないが、大きいのが8個は流石に最後は少々飽きてしまう。以前も書いたけど、4個か6個のメニューを出してくれて、別に軽いつまみを頼めたら一人客には嬉しいところ。もう一つ言うとビールがアサヒのプレミアム生、熟撰 というのはどうだろう。少々割高(830円)なのにプレミアム感があんまり無い。
この6階からは 北十間川 が見下ろせる。
川と言っても隅田川からの流れはせき止められており、これも陸封されている東の旧中川までの間の水位を無理矢理低くした水溜まりで自然の流れはないのが残念。地盤沈下させたこの全域のかさ上げは到底不可能だが、罪だったよね。
スカイツリーにはもちろん上がりません、こういうのは嫌いですから。



















































