夜も朝も、夜中にふと目が覚めた時も、何かされるかもしれないと思った
だけど、抱き締められたのと頬にキスをされた以外は何も無かった
口にキスされそうにはなったけど『特別な気持ちがあるなら駄目だ』と言ったら眉を下げながらも納得して引いてくれた



朝食は、昨夜作った料理の残りをふたりで食べた
僕は何も食べずに眠ってしまったから、正直明け方から空腹で大変だった
昨夜は触れられたくない過去を蒸し返されて食欲が無くなったのに、現金なものだ



夜と同じように広いダイニングテーブルで向かい合って食べていたら、視線を感じた
どうしたのかと尋ねたら『何だか夢みたいだ』と心から嬉しそうな顔で言われた
完璧な青年はどんな女性に恋をするのだろう、どんな女性に特別な表情を見せるのだろうと考えた事があった
まさか、僕がその対象になるとは思わなかった



憧れられていたのも、好きになられたのも、想像すらしていなかった
そんな誰か、がこの世に存在する事すら不思議で仕方無い
僕自身が自分を認められずにいるからだ
それなのに、卑屈になる気持ちだけでなく、冷えていた心がほんの少し溶けていくようなざわつきもある



「朝から食べるには重たいな
チョン君…ユノも無理せず残したら良い」

「そう?美味しいよ
無理はしないけど、食べ過ぎもモデルには良くないだろうから程々にする」

「若いなあ」

「…そう言うの、嫉妬する」

「はあ?どうして?僕は若さが羨ましいよ」



少しズレた感覚の持ち主
悪気がない事は分かっている
だけど、あまりに理解し難かったから眉を顰めた



「俺もチャンミンと同じくらいの歳なら、チャンミンの気持ちが分かったかもしれない
もっと早く生まれたかったし、悔しい」

「それって嫉妬なの?」

「うん、例えばあの秘書とか…あいつはチャンミンより年上だし、それに昔のチャンミンも知ってるんだろ?」



疑問形だけど、知っている様子
チェ秘書は僕がモデルだった頃の所属事務所スタッフだから、検索して知ったのだろう



「同じ歳頃に生まれていたら、君は僕を見てモデルになろうなんて思わなかったかもしれない
そうだろ?」



『もしも』一世一代の舞台に立てたあの時、もっと人々の心を掴むようなウォーキングが出来ていたら
『もしも』干されている事に気付いても、才能が無いと分かっていても、泥臭くしがみついていれば
意味のない『もしも』を考えているのは僕の方だ

だけど、そう言えば、昨夜はそんな事を考えなかった
もっと昔の夢を見るかと思ったけど、少なくとも覚えていない
夜中に目を覚ましたけど、その時も隣で寝息を立てるユノの穏やかな寝顔を見て何とも言えない不思議な気持ちになった

その感情を言葉にするのは難しいけど、確かなのは不快になんてならなかったという事



「チャンミン、チャンミニヒョンは…
俺を恋愛対象として見てくれる?」

「見てくれるか、って言われたら…
簡単に『はい』とは言えないよ
僕は雇用する側だし、君は大切なモデルだ
年齢差も大きい」

「あはは、そう言われると思った
だからもう言わないし聞かない
絶対にチャンミニヒョンを振り向かせてみせるから、俺を意識して」



真っ直ぐ目を見て大胆不敵に微笑んでいる
余裕あるようにも見えるけど、本気だと伝わってきた
本気だし必死だし、しかも長い間僕に憧れた上に対面してみたら恋愛感情に変わったのだと知ってしまった



「大人の男性になったなら、多くは語らない方が良いんじゃないかな?」

「うん、だから…シム社長にはこれから行動で見せる
迷惑になるような事はしない、今まで以上に多くを努力する」

「そうか」



真っ直ぐ過ぎる視線になんて気付いていない体を装り食事に集中した
家ではひとりで食べる事ばかりだし、朝食をゆっくり食べるのもそう言えば久しぶりだ
慣れない他人の家、寝室、ベッド、他にも色々…
ゆっくり惰眠を貪る事は出来ずに予定よりも早く起きたけれども、これはこれで良かったのかもしれない



「もしかして、チャンミニヒョンって意外と良く食べる方?」

「意外に見える?僕は元々食べる量が多いんだ
だから…隠しても仕方無いな、モデルをしていた頃は管理が大変だった」



昨夜食べていないから余計に空腹なのだけど、それを言うと格好付かなくなるから言わない



「俺は普通かな…
後は、目標があれば何でも出来る気がする」

「モデルとしての目標か?
昔はただ細い事が良しとされたけど今はそれ程でも無いし、バランスと健康が大事だよ」



視線が突き刺さるし、何だか気恥ずかしい
食べる姿をじっと見られると食べ辛い
なのに、ユノと食べる食事は心地好くて自然に感じられて、箸が進んでしまう



「目標は、それもそうだけど
チャンミニヒョンと付き合えるなら何が何でも頑張る」

「…さっき、行動で見せるって言ったばかりだよな?」



ちら、と視線を上げたら楽しそうに笑う姿
パーティーの夜、黒づくめのユノを見た時は大人びているし近寄り難い雰囲気だと感じた
グレーのスウェット姿で笑う寝起きの今はとてもカラフルに見える
窓から射し込む朝の日差しは漆黒の髪の毛を柔らかく見せるし、何より存在そのものが暖かな太陽のように見える



「最初は夜のイメージだったんだけど、不思議だな
やっぱりユノはモデルに向いてる」

「何の話?」

「何でもない」



ぐっと顔を近付けて興味津々と言った様子
まだ距離はあるけど、じっと見つめたら漆黒の瞳にも朝の光が反射したりぼんやり僕の輪郭が映っているのが確認出来た
この瞳は宇宙のように真っ暗なのに、煌めく星空のようでもある



















まだ一度も着用していないというシャツとインナーを借りた
ボトムスとジャケットはオフィスカジュアルにも使えるシンプルでベーシックなデザインなもの
アウターも、ユノが持っている中で一番シンプルなロングコートを借りた
シャツとインナー以外は新品では無いけど、借りる身だから文句なんて無いし一旦家に帰って着替える時間も無くなった
それだけ

今日はユノのレッスンの予定は無いから僕だけでタクシーに乗り事務所へと向かったのだけど、ぎりぎりまで『一緒に行く』と言って聞かなかった
ユノが居ればそれはそれで教える事は幾らでもあるから都合は良い、けれども一緒に出勤するのは何だか妙な感じかして拒んだ



「おはようございます、シム社長」

「おはよう」

「あれ、珍しいですね」

「…何の話?」

「社長の私服です
普段とは何となくテイストが違いますね
今日のような感じもとても似合っています」

「ありがとう」



事務所に着いてから、これで三人目
社長としての僕らしいコーディネートにしたつもりが、やはり違和感があるようだ
スラックスはウエストサイズがほんの少しきつくて、丈はほんの少し長いのだけど、今の所誰からも指摘されていないしこのまま気付かれないで欲しい



「モデル達に示しがつかないし、少しダイエットするか…」



何にせよ、ユノの部屋で朝を迎えた事と彼の服を身に付けている事が知られなければそれで良い
トラウマは呼び起こされてしまったけれども、そんな過去の僕に憧れを抱いてモデルを目指したと知れたから、彼を逃してしまうという心配も無くなった

少し、ユノの匂いがする衣服を身に付けていると何だか落ち着かない
その上腕に掛けたロングコートに鼻先を近付けて確かめてしまったから、自分の行動が自分で理解出来ずに顔が熱くなった



「社長、おはようございます」

「チェ秘書…おはよう」



社長室の扉を開けようとしたら、先に扉が空いた
誰か居るとしたらこの秘書しか居ないけれども、突然だったから驚いた
ロングコートの匂いを確かめていたのは気付かれていないだろうけど何だか気まずい



「どうぞ、お入りください」

「君は何処かへ行くところだったんじゃないのか?」



僕を招き入れてそのまま扉を閉めるから尋ねた
秘書は
「社長の出勤が普段よりもほんの少し遅いので、そろそろかと思っただけです」
と顔色ひとつ変えずに言った



「だからって…ぴったりだな
部屋に入ろうとしたら開いたからびっくりしたよ」

「社長の事は昔から良く存じ上げておりますから」

「そうだな」



モデル時代も今も、この男に助けられている
干されてしまって望むような仕事が出来なくなってからも、彼や当時の社長は僕の自尊心を傷付けないように接してくれていた
僕が悪いのではないと言ってくれた

それがあったから、完全に業界から離れずに済んだ



「社長、今朝は色々と違っていますね」

「……随分抽象的に言うな
何も違わない、いや、スタイリング剤を変えたくらいだな」



うんうん、と自分だけで頷いてやり過ごした
ユノの部屋にあったヘアスタイリング剤を使ったから、違和感があったのだろう
と言うかそれ以外は何も気付かないで欲しい
有能な右腕に言い訳すればする程ボロが出そうな気がするから



コートをラックに掛けて、ニットの袖を少し捲った
椅子に腰掛けて今日の仕事を確認して…



「シム社長」

「今度は何だ?」



机の前に立たれたから視界に影が落ちた
顔を上げたら、真剣な表情の秘書の姿
普段から真面目だし仕事に対して厳しい、けれども今は更に厳しい表情に見える



「また、チョンユノの部屋に行っていたのですか?」

「またって…スカウトした時は流れだ」



反射的に言い返して墓穴に気付いた
これでは自ら認めてしまっただけじゃないか

どうしようと内心焦る僕の前で、チェ秘書ははあ、とわざとらしく大きな溜息を吐いた



「チョンユノは、確かにモデルとしての才能も魅力もあります
アジア人ではなかなか居ない逸材でしょう
社長が惚れ込むのも分かります」

「惚れ込むって…変な言い方をするな」



どきり、としてまたしても言い返してしまった
脇目も振らず、チェ秘書に止められてもスカウトしに行ったのは僕だしモデルとしての素質に惚れ込んでいるのも確か
ユノか僕の過去を知っていて、そして告白までされてペースが乱れてしまっているようだ

俯いてパソコンを開こうとしたら、止められた



「チェ秘書!」

「モデルを引退し社長になられてからは危ない事も減り、どこかで油断していたのかもしれません
私がもっとしっかりしなければ…」

「危ない?しっかり?
確かにチェ秘書には助けられてばかりだけど、僕はそんなに頼りないか?」



一方的に評価される側からする側になった
これが天職かは今でも分からない
だけどこの業界が好きだし、事務所のモデルが成功したり評価されたら嬉しい、やり甲斐を感じる
机に両手をついて敏腕な秘書を見上げて、もう一度どういう事なのかと尋ねたら、今度はばつの悪そうな顔になった



「チェ秘書、どうしたんだ?」

「…取り乱しました、申し訳ございません」



ほっとして、立ち上がり肩を叩いた
黙っていて欲しいとは言われていないし、彼になら話しても良いと思い口を開いた



「チョンユノは一見変わり者のようだったけど、問題無い
何故、あの子が僕のスカウトに応じてくれたか分かったんだ」

「どういう事でしょうか?」

「その…信じられない話だけど
『あの時』ランウェイを歩いた僕に憧れてモデルを目指してくれた、と昨日仕事の後に聞かされた」

「……」



有り得ない、と一蹴されないにしてもそれに近い反応が返ってくると覚悟した
何より僕自身が一番信じられなかったのだから、そんな反応でも無理は無いと思った
けれども、僕の元マネージャーは少し驚いたように目を見開いて黙ったまま



「言いたい事は分かるよ
僕も初めは疑った
でもあの子は…」

「疑いなんてしませんよ」



ふたりきりの場だと揶揄われるかもしれない、とも思った
だけど真剣な目で僕を見ている



「あなたにはモデルとして確かに光るものがありました
社長は否定されるでしょうが、本当です」

「それは…」



元マネージャーで、干されても僕の傍に居てくれたから優しさで言ってくれているだけだ
僕は有難い事に周りに恵まれてきた
干されて望む仕事が無くなっても酷い言葉や悪意に満ちた言葉を掛けられる事なんて殆ど無かった



「違います、社長
話すつもりは無かったですし、話す事が良い事かも分からないので胸にしまってきました
ですが、チョンユノを見ていると『また』繰り返す事になりそうで…」

「チェ秘書、何の話だ?」



言い淀むようにして俯くのは常に冷静沈着で仕事の出来る敏腕秘書
彼がこんな風に悩む様子を見た記憶は無いから緊張した
そうだ、さっきから様子がおかしいし何かを言いたげにしていた



「僕に黙っている事があるなら話して欲しい
ずっとふたりで頑張って来たんだから…」



視線を合わせようとしたらポケットの中のスマートフォンが震えた
取り出してみたら、ユノからのメッセージが届いていた



『俺の服、似合っていたし綺麗だった』
『チャンミ二ヒョンが好きだ』



こんなにストレートに好意をぶつけられた事なんて無かった
出逢いもその後も全て、調子が狂ってしまう
雑念を追い払うように『仕事中だから』と返信して、もう一度顔を上げた













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久しぶりの更新になってしまいました
このお話はあと1話です🙇🏻‍♀️

その後は先日のアンケートからのお話を更新予定なので、9月も引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです

お話のやる気スイッチになるので
読んだよ、のぽちっをお願いしますドキドキ
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