side Y






ただでさえどうしようもない歳の差があるのに、完全にやらかした
少しでも対等に、ひとりの男として見て欲しかったのに、あろう事がスマートフォンを置き忘れていた
舞い上がって注意力散漫になっていた証拠

それだけでなく、ロック画面まで見られてしまった
これじゃあストーカーだとか気持ち悪いと思われる
終わりだ



「どうして僕の…あんな写真にしているんだ?
馬鹿にしているのか?」



蔑みの視線を向けられるのも仕方無いと思った
まだまだ隠していたかったのに、偶然だと思わせたかったのに
努力してやっと出逢えたのに全部水の泡だって思った



「チャンミニヒョン?何を言って…」



一瞬俺を見上げた視線には、怯えるような色が浮かんでいた
ああそうか、ストーカーだと思われて気持ち悪がられたからか
でも、それならば何故『馬鹿にしてる』なんて言うのだろう



「チョン君は、あれが僕だって分かっているんだよな?」

「…あんた以外…いや、シム社長以外の誰かになんて見えないよ」



拒絶されたようで、名前を呼ぶ事すら怖くなった
これ以上拒絶されたくなくて、背中に添えていた手をそっと離した
触れた箇所が無くなると、彼はふう、と大きく息を吐いて安堵を示した



「あ、ええと…見栄えも良くないし味も保証はしないけど一応ひと通り出来たから、嫌でなければ食べて」



俺の視線から、俺から逃れるように立ち上がったシム社長はキッチンを指差すと頭に手を入れてぐしゃっと掻き乱した
無機質なキッチンが出来たての料理の匂いで満たされているのは初めてなのに、『見られてしまった』という焦りで気付いてすらいなかった



「僕はそろそろお暇するよ」



床に落ちていたらしい俺のスマートフォンは、いつの間にか自分の手のひらのなかにあった
ロック画面は勿論、それ以外だって、モデルとしてのシムチャンミンの姿が沢山保存されている小さな機械



「待って...!シム社長、待ってください!」



見られたらもう誤魔化せない
嘘は嫌いだし、これ以上嫌われたくない、誤解されたくない
真実を伝えたら俺への評価や期待は一気に下がるだろう、それでも漸く巡り逢えたひとを前に諦める事も大人ぶる事も出来なかった



「ロック画面にモデル時代のシム社長の写真を選んだのは、馬鹿にしているからではありません
『あんな写真』でもない
俺にとっては何よりも素晴らしいものだから、ずっとあのままにしているんです」

「...は?急に何言ってるんだよ
ふたりきりなのに敬語になったり、意味が分からないよ」



本音で話したら、余計に傷付けたのかもしれない
綺麗な顔は歪んで、まるで泣きそうな表情
そんな顔見たくない、そんな顔をさせたくない



「ソファに座ってください
アメリカーノを煎れるので、飲んでもらえますか?」

「アメリカーノは飲まないって言っていたよな?」

「シム社長が好きだと知っていたので、コーヒーメーカーを買いました
俺ひとりの時はシロップもクリームも入れます」



格好付けたかったのに、暴かれてしまう



「そうか
僕が好きだからって買う必要無いのに...」

「俺も甘くないのを飲めるようになりたいから」



俺がただの浅はかな男で子供で、ただ彼に意識して欲しいだけの存在なのだと、次々に知られてしまう
どれだけ計画したって、考えを巡らせたって、本人を前にしたら上手くいかない



「食事もありがとうございます
少し、話を聞いて欲しいです
それから、シム社長が良ければふたりで一緒に食べたい」

「...遅くなるのか?」

「遅くなればタクシーを呼びます
俺はまだ免許が無くて送れないし...
本当は泊まって欲しいけど、シム社長が明日着るスーツは此処に無いから」



ソファに腰掛けたのを確認して、コーヒーメーカーをオンにした
ちらちらと様子を確認しながらコーヒーを挽いていたら
「君が『社長』と呼ぶと距離を感じるから嫌だな」
と言われた



「……ふたりきりの時以外でも、名前で呼んで良いんですか?」

「駄目だよ
君の印象が悪くなったら大変だろ」

「...うん、分かってる、分かってます」



どうしてこのひとはこんなにも優しいのだろう
俺がストーカーのようなガキだと分かっても尚、変わらないのだろう

胸が熱くなり涙が出そうになったから、背中を向けて隠した



美味しいアメリカーノの作り方、は散々調べた
それ以前に豆の種類が多過ぎて、選ぶだけでも大変だった
結局一番人気で少し高級なものを選んだけど、まだ俺には苦みを美味しいと思う事は出来ないまま



「...どうですか?
不味いなら別のものを代わりに出します
ジュース...いや、ミネラルウォーターならあります」



氷でしっかり冷やしたアイスアメリカーノ
マドラーで掻き混ぜてから、ゆっくりとグラスを持ち上げ口元に持っていく仕草から目が離せない
離せないけれども、凝視しているとはバレないように時折り視線を動かした



「……うん、美味しい」

「良かった...!」

「味見した?チョン君には苦いと思うんだけど」



甘党だとバレているから隠す方が格好悪い
素直に苦かったと伝えたら、シム社長はふっと笑った

スーツ姿でなければ、俺と同世代にも見えるであろう憧れのひと
彼の横顔には良く良く見なければ分からないくらいの笑い皺があった
それはまるでこのひとが俺よりも十年早く生まれ十年長く生きてきた証のようだ

もう少し早く生まれたら、せめて同じ時に同じ場所で過ごせていたならば今日に至るまでのこのひとを見る事が出来たのに



「悔しいな」



つい、感情が言葉になって漏れ出てしまった



「無糖を飲めないのが悔しいの?」

「え、いや、その…」

「その内に飲めるようになるよ
きっと、もう少し歳をとれば」



そうじゃない、そうじゃないけど…



「早く、シム社長に追い付きたい」

「何だよもう
僕は...正直言って、あんな写真を知られたのもロック画面にされているのも情けなくて仕方無いのに、どうして追い付きたいだとか、突然敬語になったり名前で呼ばなくなったり…
僕は君が分からないよ」



困らせたくない
あの夜だって、本当はもっと違った方法で近付きたかった
だけど、俺を見付けた憧れのひとが目の色を変えたのを見て、舞い上がってしまった

その後も冷静で居られずに困らせてばかりだと自覚はある
今日だってそうだ
でも、今の俺が出来る精一杯で伝えたい



「俺は随分前からシム社長...いえ、モデルとしてのあなたを知っていました」

「......モデルとしての僕を?知っていた、って...」



こんな風に、彼が顔色を無くすとは思っていなかった
スカウトされた後から薄々感じてはいたけど、触れてはいけない過去なのかもしれない
でも、今の俺が在るのはこのひとのお陰なのだ
身勝手だと言われるかもしれない、こんなところもガキなのかもしれない、だけど伝えないと誤解も解けない

















モデル、シムチャンミンに出逢った...いや、知ったのは八年前
アメリカに移住したばかりであの国に居ても身長だけが取り柄の小学生だった頃

慣れない海外暮らしで、通常の勉強と言語の習得に多くの時間を費やしていた
楽しみは自分の部屋で息抜きに見る動画アプリくらい
これなら懐かしい自国の言語もアニメも、何だって観られる



あの日は丁度、違ったものを見たい気分だった
アプリ内で色々なチャンネルをおすすめされるままに観ていたら、真っ直ぐな道をこちらに向かって歩いてくるひとりの青年、に目が釘付けになった

初めは何なのか分からなかったけど、概要欄に説明があった
それは、今よりももっとガキだった俺でも知っているくらい有名な、欧米のブランドのファッションショー
目が釘付けになってしまった細身の青年はディスプレイの真ん前でターンしてまた奥へと消えていく
歩く度に揺れる後ろ髪まで綺麗で、『見蕩れる』とはこういう事なのかと身をもって知った

もう一度見たい、と思ってタブレットを両手に持ち食い付き気味に観ていたのにそのまま違う青年達ばかり出てきて終わってしまったから、最初からもう一度再生した
結局、他の青年は二度登場する事もあったのに、俺が見たいそのひとは一度きりだった



何度も何度もその映像を繰り返し見た
登場するモデルはアジア人自体が少なかったから、そのひとは余計に輝いて見えた
こちらに向かって歩いてくる時の真っ直ぐな視線、ターンする時にふっと逸らされる視線が焼き付いて離れなかった
何故、そのひとだけにしか惹かれないのかは分からなかった
分からないけど、明確な理由無く惹かれるくらい特別だって事だけはあの時から今も変わらない



ファッションになんて興味は無かった
だけど、そのひとを見たいが故にファッションショーを検索してありとあらゆるランウェイを視聴した
俺が知るくらい有名なショーは他には無かった、だけどそれ以外では見付けられた
韓国国内のショーで、真っ直ぐな道を歩くのも殆どが自国の青年達だった



どんなファッションショーを見ても、他に惹かれる、目を奪われるようなひとは居なかった
芸能人も、道行くひとも、学校で出逢う人形のように綺麗な女子達にも惹かれなかった

必死で調べて、そのひとが韓国生まれ韓国在住のモデルである事
年齢は俺よりも十歳上で、シムチャンミンという名前だと分かった



モデルとして隣に並べるようになりたいと思った
だけど、アメリカで暮らしても決して低い身長ではない俺も、それでは国際的なモデルとして活動するには充分ではないという現実に突き当たった
バスケットボールだとかバレーボールをすればもっと伸びるかと思ったけど、どれだけ経っても無理だった
調べたシムチャンミンの身長とほぼ同じまで伸びた時に、その身長で堂々と海外ファッションショーのランウェイを歩いた彼の素晴らしさを改めて知った



簡単にモデルになって同じ土俵に立つ、という無知な子供の無謀な夢は早々に潰えた
だけど、きっとチャンスはある
そう思っていたのに、俺が何百回もランウェイを歩くシムチャンミンを観ていた内に彼はモデル業界から消えていた

俺が知ったその翌シーズンから、彼は俺の知るようなブランドのランウェイを歩く事はなかった
それでも、韓国国内のファッションショーには出演していた
たまに雑誌にも出ていた
その回数は徐々に減っているのも分かっていた、だけど引退なんて認めたくなかった



同じ土俵には上がれなくなって、子供心に絶望を感じた
どうすれば憧れのひとと出逢えるのか、そう思いながら、アメリカで生き抜く為に必死に勉強をした
検索しても出てこないシムチャンミン、に溜息を吐いて、その虚しさで机に向かい続けた結果、特許にまで繋がる発明が出来た
ひたすら集中していたら投資でも成功する事が出来た
アジア人だから、と見下されないように必死で過ごした結果、誰もが認めてくれるような大学にも合格した



「そんな時だったんです
少し久しぶりに検索したら、シムチャンミンという名前を新しく見付けました」

「...それって、もしかして...
僕の事務所の事?」



うん、と頷いた
今隣に座る憧れのひとは、ここまで話しても信じられないといった表情だ
意外にも、今のところ気持ち悪い、とは顔に書いていないからほっとした



「モデルとして一緒に仕事する事は出来ないと思うと泣きそう...
いや、本当は泣きました
でも、この事務所でモデルデビューしたいって夢が出来たんです」



それからは、インターネットで探したウォーキングの講師の元モデルとしての姿勢や歩き方の指導を受けた
だから自信はあったのだけど、完璧ではなかったようだ

最初からもっと完璧な姿を見せて、驚かせたかったし期待されたかったけれどもプロの世界はそう簡単ではないと分かった
そして、真剣に俺の姿を見るシムチャンミンの姿に、モデルとしての歴史を感じて感動した



「そういう事、です
向こうじゃモデルのスカウトなんて無かったのに、韓国に戻ってきたらやたら声を掛けられるようになった
それも、世界では通用しないって言われるようで悔しかった
まだまだシム社長と並ぶのも認められるのも無理だって分かってます
だけど、これからを見て欲しいんです」



約八年間秘めていた想い
誰にも言わなかった本音を初めて言葉にして外に出した
口は乾いてカラカラ、緊張で呼吸が浅くなっている

舌で唇を舐めたら、それを見たシム社長がグラスを差し出してきた



「飲む?」

「あ......うん」



頷いてひと口含んだ
やっぱり苦い
だけど何故かとても優しい味に感じたのは、俺を思い遣ってくれたような気がしたから



「チョン君が調べたって言うくらいだから、モデルとしての僕の仕事は本当に何でも知られてるんだろうな」

「多分」

「それでも、モデルとしての僕をそんなに褒めてくれるの?」

「シム社長...チャンミニヒョンにしか惹かれなかった
他の誰を見ても何とも思わなかった」

「そっか...」



何か物思いにふけるような表情
そんな顔、俺には出来ない
これもきっと、このひとが今まで生きてきた歴史があるからこそ
そして、あんなに必死で調べ続けた上に今こうして憧れのひとにスカウトされたのに、俺はまだこの表情の意味を知らない
検索して知った事以上、を殆ど何も知らない



「もう、モデルとして活動する事はないんですか?」



もしかしたら聞いてはいけない気がした
だけど、聞かずにはいられなかった
スポットライトを浴びて歩く姿を誰よりも見たいと思っているから



前を向いて、何を考えているか分からない表情のままのシムチャンミン
彼はそのまま、俺の方を一切見る事なく口を開いた



「無理だよ
僕には才能も何も無い
初めての世界的なショーで結果を残せず干されたんだからね」

「...そんな...」



モデルとしての活動内容を調べ尽くしたから知っている
このひとが言うショー、は俺が目を奪われたあのシーズンのファッションショーの事
他のどんなモデル、ブランドを見たって特別な魅力を感じなかったのに



「ウェブ広告のモデル、くらいなら仕事も続けられたかもね
だけど僕はランウェイを歩いていたかったから引退した
向いていなかったし、良い思い出なんてないんだよ」

「......」

「君が嘘を吐いていないって分かるよ
だから戸惑っているし、正直どう受け取れば良いのか分からない」



俺は、真実を話して喜んで欲しかったのだろうか
話す事で好かれたかったのだろうか
どちらも本音のひとつだけど、もっと大きいのは誤解されたくなかった
揶揄うだとか適当な気持ちでモデル契約したのだと思われたくなかった



「突然話してごめん
ロック画面だけじゃないけど...そう言う理由だよ」

「そっか
光栄、だとは思えなくてごめん
そう思って良いような人間じゃあないし、君は僕よりも...いや、僕とは比べ物にならないくらい素晴らしいし未来もある」



韓国に戻ってきて、出逢うまで色々な想像をして来た
憧れてモデルを目指した、と話したらどんな顔をするだろうと考えてきた
どんな想像でも、謝られるなんて無かったから何も言えなくなった



でも、確かな事がひとつ



困らせているのかもしれない
触れてはいけない過去にふれてしまったのかもしれない
それなのに、俺の知らない何かしらの過去に苦しむような表情すら目が離せなくなる程魅力的だった
雑誌のモデルとして、憂いを帯びた表情で虚ろな目でカメラの向こう側へと視線を向けていたあの写真よりも、現実はもっともっと素晴らしかった

どんな表情や仕草にも惹き付けられるから、実際に出逢ったあの日、直ぐに恋に落ちてしまったのだろう



俺がもっと大人で、もう少し早く生まれていたら、こんな時に上手い言葉を紡げたのだろうか
苦しみや悩みを癒す事が出来ないまま、彼の美しさを享受するだけの自分が情けなくもあり、そしてとても贅沢だと思った












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読んでくださってありがとうございます
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読んだよ、のぽちっをお願いしますドキドキ
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