大企業の社長を親戚に持ち、両親も海外で成功している
彼自身も複数の特許を持ち投資家として成功している上に海外の難関大学に合格している
生まれ持った容姿、スタイルすら誰しもが羨ましがるもの
正に非の打ち所がない二十歳の青年
「凄いな、ウォーキングまで基礎が出来ているだなんて」
多くのモデル、モデルを目指す若者達を見て来た講師から出る言葉に、自分の事のように嬉しくなった
姿勢が良い事は分かっていた
だけど、初めのレッスンでここまで堂々としたウォーキングを見せられるとは思っておらず度肝を抜かれた
「分かり易く教えていただいたからです」
事務所内のレッスン室、鏡の前に立つのはシンプルなTシャツと細身のパンツ姿のチョンユノ
普段から所属モデル達のウォーキングレッスンを行っている講師は彼の姿を見て一度、初めてのウォーキングを見て二度大きく感嘆した
「チョン君は身体の使い方が元々上手いんだろうね
柔軟性もあるし身体のクセも自然と分かっているように見える
アスリートにも向いてそうだ」
「先生、うちの子を褒めてくださるのは光栄ですが、アスリートに転身されたらモデルをしてくれなくなるかもしれません」
止まらない賞賛を慌てて制止した
今まで多くのスカウトを断ってきたらしい青年
僕は恥ずかしながらその事に疎かったのだけど、業界関係者の中では、チョンユノはスカウトしても無駄だと有名な話だったらしい
そんな青年が何故初対面の僕を部屋に上げて、条件付きとは言え約束通りモデル契約してくれたのかは未だに謎
だけど、あまりに上手く行き過ぎているからこそ不安がある
他に魅力的な『何か』があれば、彼はモデル活動を止めてしまうのではないかという不安
「もしも、シム社長がスポーツ選手やスポーツチームの人間だったなら、そっちの道に行ったかもしれませんね」
流石に講師の言葉ひとつでモデルを止める、と言い出す事は無かった
代わりに斜め上の言葉が飛んできて、目を丸くした
目が合うと、黒い瞳は何だかとても楽しそうに見えた
「僕がスポーツ?
どちらかと言うと苦手だし、それなりに出来たのは学校の授業でやったバドミントンやバスケくらいなんだけど…」
「苦手そうには見えないですけど、ちょっと想像つくかも…」
「チョン君、馬鹿にしてるな?
最近行ってないけどボウリングも得意だ
……そんな事はどうでも良い、先生、続きをお願いします」
つい、ふたりきりの時の空気を思い出して話してしまった
講師は僕達を見て、何だか微笑ましそうに見ている
スマートフォンを取り出して、仕事の連絡を確認すふ振りをした僕を他所に、彼らも直ぐに切り替えた
講師がチョンユノの隣に立って姿勢を正している
元々姿勢は良い、けれどもプロの手が加わると更に輝きを増す
完璧で、かつ飲み込みが早く伸び代もあるだなんて、まるで神様からのギフトだ
壁に凭れて、目の前に立つ講師とチョンユノの背中を見つめた
小さな頭と黒くて真っ直ぐな髪の毛、長い首
姿勢がより良くなるだけで、彼の頭はより小さく見えるし首はより長くすっきりと見える
細身で肩幅は広め、全体のバランスが兎に角良い
「そう、そのまま前を見て歩いて」
講師の合図と手拍子に合わせてウォーキングするチョンユノを見ていると、もうこのままランウェイを歩けると思う程
モデルとしては既に形になっている
ただ、ランウェイモデルとして考えたら上には上が幾らでも居る
贔屓目で見てしまうけど、モデルを決意してくれたからには絶対に成功させたい、決意して良かったと思う景色を見せてやりたいからまだまだこれからだ
何度も室内を歩いて往復するチョンユノ、彼の頭から爪先までじっくりと観察した
モデルとしての彼の強み、弱みは何なのか、今後の課題について、どんなブランドや撮影と相性が良いのか
それらを考えていたら、何か、こちらに向けられた気配のようなものを感じた
「……あ…」
顔を上げたら直ぐにその正体が分かった
こちらに背を向け鏡を前にしてウォーキングの練習を続ける青年と、鏡越しに視線が合ったからだ
「…チョン君?」
揶揄うような瞳で無ければ、幼いこどものように懐いてくる瞳でもない
真剣な表情はついさっきまで、確かに鏡の中の彼自身を見つめていたのに、視線が合ったまま逸らす事が出来ない
僕の視線はさながら磁石のように彼の黒い瞳に吸い込まれて、ただ魅入られてしまった
「ストップ!」
ぱん、と大きく手を叩く音と共に講師の声が響いた
瞬間、呪縛から解き放たれたように視線を動かす事が出来た
「チョン君、気が散っていたよね?
さっきまで良かったけど、流石に集中が途切れたのかい?」
「いえ、集中していました」
講師はチョンユノの背中に手を当てて、姿勢は崩れていないと褒めた
「集中していましたが、鏡越しに社長を見ていました
それが良くなかったでしょうか?」
見られている、とは思った
だけど、こんなにもはっきりと、しかも講師に向けてそんな事を言うから咳き込んでしまった
「……ええと、ランウェイでは観客が大勢居る
僕を観客だと思って練習するのも良いかもしれない
だけど、ランウェイモデルにとって何より大切な事のひとつは、自分を消してブランドの色に染まる事だ
いや、そうじゃなくてレッスンの間は先生の言う通りに…」
奔放なこどもの保護者になったような気分で一息に話したら、講師も
「社長はマネージャーと言うより保護者のようですね」
なんて言う
「先生、茶化さないでください」
「いえいえ、そんな事は…
社長の昔の姿も覚えているので懐かしいですし…」
「あの!少し休憩しましょう
チョン君、何か飲む?自販機しかないけど選んで良いよ」
わざとらしかったかもしれない
でも、モデルになる為に生まれてきたような青年の前で、自分が成功しなかったモデルだと明かされる事が受け入れ難いと思ってしまった
「シム社長…チャンミニヒョンから触ってくれるなんて珍しい」
「…肩を組んだだけなのに、変な言い方で揶揄うなよ」
急ぎ足でレッスン室を出て、ふうと息を吐いた
隠している訳ではないから、いずれチョンユノにも僕の経歴が知られるのだろう
その時にどう思われるか、を考えると怖い
チョンユノを見付けて、彼ならば僕の辿り着けない場所まで行けると確信した
彼を手に入れたら、僕が成功出来なかった事も仕方無いと思えるだろうと思った
だけども、失敗した過去は今でも過去にはならないまま残っている
全てを持っている青年への僻み、そしてちっぽけなプライドだ
「チャンミニヒョン」
「何?」
「さっきみたいに見つめるのは良くないんだよな?」
「え…と…ランウェイでのウォーキングではそうだね
コンセプトのある撮影や、カメラの向こうの誰かを見つめる事が必要な時には良いと思うよ」
悪くなかった
それどころか、魅了されて視線が外せなかった
だけど聞かれた答えではないから言わない
肩から手を下ろす時、気が付いた
顔色ひとつ変えず、幾度となくウォーキングを繰り返していた青年の背中には薄っすらと汗が滲んでいた
額には汗をかいていないから分からなかった
「チョン君が真剣に頑張ってくれているのはしっかり伝わってきたよ
始まったばかりで言うのはおかしいけど、胸がいっぱいだ」
「真剣にあんたを見つめていたのも伝わった?
俺の視線に気付いてくれたんだよな?」
「え…」
初めこそ生意気だったけど、僕をヒョンと呼び気を許してくれているのが分かるから、油断していた
黒い瞳は時に鋭く僕を捕らえて離さない事を
「もっと認められたくて、格好良い姿を見せたくて見てた
絶対次は抱くって思いながら…」
「チョン君!ストップ!!」
何時までその話を引き摺るのか分からないけど、彼にとっては『僕を抱く』と宣言する事がコミュニケーションのひとつなのかもしれない
現に、しっかり止めて言い聞かせたらそれ以上は言わないし、あの夜以来ふたりきりで裸に…なんて事もない
いや、ある訳もない
「チョン君もアメリカーノで良い?」
良いタイミングで自動販売機に辿り着いた
自分用のアメリカーノのスイッチを押してから尋ねたら、色々な顔を持つ青年はうん、と静かに頷いた
「はい、ここで飲みながら少し休憩しよう」
「ありがとう、ございます」
窓に向いたベンチに腰掛けて、冷たいアメリカーノを飲んだ
僕がひと口飲んでから、隣の青年もゆっくりとカップを傾けたのだけど…
「ん?どうかした?」
「……いや、何も…」
「何も、って顔じゃないよ
そんなに眉間に皺を寄せて跡が付いたら大変...」
例えるなら物凄く苦々しい顔
初めて見るような顰めっ面
カップから口を離してゆっくりと深呼吸する青年の背中を擦りながら様子をうかがったら、声にならないような声が聞こえた
「何?チョン君」
「頑張ろうと思ったけど無理」
「え……」
「砂糖か、せめてミルク…
このままじゃ苦くて飲めない」
もしかして、もしかしなくても、あの苦々しい表情の正体はとても簡単なものだったのだろうか
「アメリカーノ、苦手だった?」
「砂糖かシロップが沢山入っていれば飲める」
「甘過ぎるのはモデルとして良くないんだけど…
どうして言わなかったの?」
初対面で傍若無人っぷりを見せつけて、その後も我が道を行くが如く年上の僕を呼び捨てにしたり敬語を使わなかったり…
そんなチョンユノが苦手な物を伏せて、我慢して飲んでギブアップ、だなんてあまりに意外で、そして微笑ましい
「チャンミン、笑ったろ」
「ふ、笑ってないよ
可愛いなあって思った」
「可愛い?俺は格好良いだろ」
「顔とか見た目の話じゃないよ」
やっぱりこどもみたいだ
知れば知る程可愛い
「…チャンミンには格好良いって思われたい
だから甘党だって言えなかったんだよ」
「隠して、こうしてバレちゃう方が可愛いよ
それに、嘘は吐かないんじゃなかったの?」
「嘘は吐いてない
アメリカーノで良いって言っただけ」
他愛もない会話がこんなに楽しいのは何時ぶりだろう
社長になってからは仕事と重責に追われて、ゆっくり窓の外を眺める暇も無かった
いや、時間があっても考え事ばかりしていた気がする
「…楽しいな」
「何?チャンミン、聞こえなかった」
「呼び捨てはするなって言っただろ
何でもないよ
そうだ、チョン君、普段の食事や食生活は?
甘党だからって、甘い物ばかり食べてないよね?」
じっ、と目を見て尋ねた
チョンユノは珍しく視線を逸らして
「宅配とインスタントばかり」
とぼそっと答えた
「…栄養面も心配だし、モデルとしても…」
初めから厳しい事は言いたくない
自らモデルを志願したのではないし、半ば無理矢理だったからこそ制限だらけにもしたくない
だけど、彼に対して芽生えてしまった親心のようなものが心配だと叫んでいる
「どうすれば良いかな…」
「良い案を思い付いた
『シム社長』が責任を持って俺の食生活を管理する、ていうのはどう?」
わざとらしく社長、と強調する青年は名案を思い付いた悪戯っ子のようだ
「食生活の管理?それならプロにお願いを…」
「無理
俺、人見知りだって言ったよね?
シム社長が必死で頼み込んだからモデルになろうって思ったんだだよ
シム社長と一緒なら、食生活の見直しも頑張れる
だから、早速今夜から家に来てよ」
「…………は?」
あの夜以来、ふたりきりになる事はない
ついさっきそう思ったのに、まさかこんなにも早くフラグが立つだなんて思ってもみなかった
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