「チャンミン!!」



勢い余って二階の部屋の窓から落ちてしまった
猫の姿の今なら、怪我ひとつせず華麗に着地出来るだろう
なのに、ユノはと言えば驚きと焦りが混じったような顔で両手を目一杯広げ伸ばして僕を受け止めた



後で思えば、ユノの隣には人間のチャンミンが立っていたのに猫に向けて同じ名前を呼ぶなんておかしい
人間のチャンミンには、猫に同じ名前を付けた事を秘密にしていたのに自らそれをばらすような結果になるなんて笑える
でも、この時猫になった僕は『嬉しい』と思った
それはきっと一種の優越感
同じチャンミン、でも僕を選んだという優越感

人間のチャンミンがその時どんな表情だったか、なんて…
表情どころか顔全体にモザイクがかかったように何も見えなかったのに



「良かったチャンミン、本当に…」



僕を強く抱き締めて泣きそうな声
そんな風になるなら、僕が窓から飛び落ちてしまう前に帰って来いよ
人間のチャンミンにばっかり鼻の下を伸ばしてないで、『チャンミン』と名付けたからには僕にだってもっと愛を注げよ
そう言おうとしたけど言葉にならなくて止めた

言葉にならなかったのは、ユノに抱き締められて胸いっぱいになってしまったから
その隣に僕の『在るべき姿』が立っていた
もしかしたら元に戻れるチャンスかもしれなかった
それなのに、そんな事はどうでも良くなってしまったのは優越感の所為だろうか
自分は猫だって受け入れ始めているのか、それとも…



「チャンミンは本当に俺の事が大好きなんだな」

「っ、何言ってるんだよ!勘違いするなよ!」



気が付いたら、ユノのベッドでユノに抱き締められていた
人間のチャンミンはもう居ない
何か言っていたのか、『猫のチャンミン』に驚かなかったのか
何も分からないままなのは、それだけ僕の気が動転していたのか



「いや、流石におかしいだろ…」



そんなの言い出したら猫になってから全部そう
この世界は全ておかしい
だけど物凄くリアルだ
ユノの家、家族、部屋、ユノという友人の存在
それらは全て僕が知る現実と同じ

けれども現実にユノは猫を飼っていなかった
ユノは、まるで恋をしているような顔で僕を見てはいなかった



「…ああ、でもそう言えば…」



僕の名前の響きが良い、とは言われた事がある
僕らしい名前だとか、自分では良く分からないような事も言っていた
そう思えばやはり、ここは現実をベースにした何かしらの世界で過去なのだろう



「チャンミン?」

「何?毎回答えたって会話にならないじゃん
ユノ、って呼んだって…」



ユノの方が猫よりも余っ程、喉をゴロゴロと鳴らしているように見える
つまりそのくらいでれでれしているし猫のチャンミンを溺愛している
だけどやっぱり違う
人間のチャンミンとメッセージのやり取りをしていた時のあの表情とは全く違う



「ユノは、僕…チャンミンの事をどう思ってるの?
…それがもしも分かっても、これは僕の現実じゃあ無いし、それなら意味なんて無いか」



頭から背中までゆっくり撫ぜられている
気力で何とか抗っていたけど、どれだけ気を張っても瞼が重たくて重たくて重力に逆らえない



「ふふ、チャンミン気持ち良さそうだなあ
俺の手が好き?」

「僕の今のこの手じゃ届かないだけだって…ふああ…」

「にゃあ、だって
甘えて可愛いなあ」

「にゃあ、なんて言ってないよ!!猫じゃあるまいし…!」



はっと目を見開いて立ち上がった
立ち上がっても横になるユノをやっと少しだけ見下ろせるくらいの小さな姿
猫の姿で可愛がられる事には少し慣れてしまったけど、よく考えたらまだ丸一日も経っていない



「それでこれじゃあ…
もう一度寝て起きたら心まで猫になったりとか、流石にそんな事…無いよな?」



ふと過ぎった考え
恐ろしくなって頭をぶんぶんと振った
そんな事何も知らずにユノは楽しそうに笑っている



「てかさあ、ユノは何で猫を飼ってるんだよ
この家には猫も犬も居なかっただろ、なのにどうして…」



必死な僕を片手で撫ぜながら、ユノはスマートフォンしか見ていない
『人間のチャンミン』よりも僕…猫のチャンミンを選んだようで優越感に浸ったのはついさっき、だけど今はまたふつふつと怒りに似た感情が僕を支配てしいく
ゲームをしたり、スポーツ鑑賞の時以外はこんなに熱くなる事無いこの僕が、だ



「ユノ、口笛より僕を見ろよ…!」

「ん、聞いてるよ、チャンミン」

「全然聞いてない、何だよ、僕はこんななのに、ご飯だって食べてないのにユノは…」



言いながら気付いた
水しか飲んでいないのに、その割にはお腹が空いていない
猫の身体だからなのかは分からない
だけど思い切り食べたい
ラーメンや焼肉にハンバーガーに…
ユノは『チャンミン』とふたり、男同士なのに奢り合って食べてきたのだろうか



「チャンミンは僕だろ…」



仰向けだったユノがごろん、と横向きになった
不貞腐れてユノから逃げたら、まるでそれを追い掛けるようにして後ろから触れられた
背中にユノの吐息がかかって擽ったい



「いつまで鼻歌なんて歌ってるんだよ」



擽ったいのに気持ち良い
ユノが鼻歌で奏でるリズムに乗ってゆっくり撫ぜられている
せめてもの抵抗で背中を向けたままでごろんと横たわった



「あはは、同じポーズだな
チャンミンとふたりでこんな風にベッドで…なんて緊張する」

「……何言ってるんだよ、今更」



夜中、目が覚めた時も同じベッドで眠っていた
ベッドから降りようとしたら必死で止められた
なのに緊張だなんて意味が分からない



呑気な鼻歌に、初めはいらいらした
『チャンミン』と遊んで帰ってきたから気分が良いのか、とか良く分からない事を考えていらいらした
どうしていらいらするのか、はあまり深く考えてはいけないような気がした
全ては僕が今、ユノに飼われた猫だから
そう思うしか無い



「…ん?この歌……」



何度か繰り返されるメロディー
初めは何の曲か分からなかったけど、記憶にある歌だと気が付いた



流行りの歌
学校の女子達が騒いでいる、アイドルグループが歌う恋の歌
ユノもこの曲が好きで、歌詞の気持ちも分かるんだと言っていた、僕にはあまりにロマンチック過ぎて理解は出来ない、と思っていた曲

理解は出来ない、だけど耳に残るメロディーや優しいボーカルは嫌いじゃ無い、そんな曲



「ユノの方が『分かる』って言ってたのに、どうして僕が猫に…」



この曲と今の僕の状況を重ねてしまった
好きな相手の飼い猫に一日でもなれたら良いのに、そんな切なる恋の想い…らしいけど、僕はユノに恋をしていないからやっぱり違う

馬鹿馬鹿しい事を考えてしまい、はあと溜息を吐いた
同じタイミングで、いつの間にか鼻歌を止めたユノが僕の背中にぐりぐりと顔を押し付けてきた



「ふっ、あはは、擽ったいよ、ユノ…!」

「猫になるより、猫になったチャンミンを独り占めしたい
なんて言える訳ないよなあ…」



やっぱりあの流行りの歌だ
そして…



「…………は?」



今までも会話は噛み合っていなかった
だけど、僕はユノの会話を理解出来ていた
当たり前だ、僕は本来人間なのだから
でも意味が分からない

ユノはこの世界の『人間のチャンミン』からのメッセージに対してまるで恋をするような表情を見せた
まるで、であって、そんな筈は無い
僕達は友人だから



「チャンミン、大好きだよ」

「……」



猫になって丸一日も経っていない
この、短いけれどもとても長い間に何度も何度もユノから言われてきた言葉
慣れたのに、何故か今とても恥ずかしい



「やめろってユノ、くっつき過ぎ…」

「ちゃんと顔を見て言えたら良いのに
けど、そうしたら友達じゃいられなくなるかな
幻滅されるかな…」

「至近距離で何度も言っただろ!キスだって…」



そうだ、ユノは無断で僕の顔にキスしてきた
男同士なのに、相手は猫だと思って…
そうだ、僕は今ユノの飼い猫
ならば、この言葉は『僕』へ向けたものでは無く、人間のチャンミンへ向けたものなのか



「ああもう…頭がおかしくなりそうだ」

「チャンミンが好きで好きでおかしくなりそう
…絶対聞かないで、まだ起きないで、出来たら朝まで…」

「はあ?ずっと起きてるってば……」



処理不能な沢山の感情がごちゃ混ぜになっている
流石に振り返ってユノの顔を見てやろう、と思った瞬間、世界がぐらっと大きく傾いた
目を開けていられなくなってぎゅうっと瞑った
足元まで崩れてしまいそうで怖くなった、だけど後ろから何かに抱き締められていたから落ちずに済んだ



「今の、何……」



漸く収まってゆっくりと瞼を持ち上げた
自分の声は何だか物凄く掠れていて小さい
まるで寝起きのように



ベッドの上に横になったまま
小さく息を吐いて今度こそ振り返ろうとしたら、何だか違和感がある



「……ん?……うゎっ……!!」



振り向いたらユノが小さくなっていて叫びそうになった
小さく、では無い
さっきまでが大きすぎただけで、多分これは僕と同じくらいの大きさ
そしてここは、僕の部屋で僕のベッドだ



もう一度顔を元に戻して、横になったまま自分を見下ろした
僕は確かに僕で、人間のシムチャンミンだった
ほっとして涙が出てきた
だけど、動こうにも動けない
何故かと言うと、ついさっきまでのようにユノが僕の背中側にいて僕の腹に腕を回しているから



「ちょっと、ユノ…」



混乱する頭で、軽く振り向いて呼び掛けてみた
ユノはううん、と眉を寄せてから
「チャンミン」
と小さく呟いた



「そうだよ、チャンミンだよ
女子と間違えてる訳では無さそうだな
それなら良いけど…」

「チャンミン、俺の…」

「……どうなってるんだよ…」



まるで夢から覚めたよう
きっと夢だった
なのに、現実に戻ってきてもユノは夢の続きのまま



「おい、ユノ
僕は『ユノのチャンミン』じゃ無いよ」

「…分かってる、でも………」

「でも?なら何だよ」



もしかしたら、これもまた新しい夢かもしれない
とりあえず人間には戻れたから心に余裕が生まれた
まだ頭はぼんやりしているけど、寝惚けたユノとの会話も成り立っている



「ユノ?腕も離して欲しいんだけど…」

「ん…」



こんなに人と密着する事が無いからどうすれば良いのか分からない
猫になって慣れたけど、やっぱり恥ずかしい
ユノの体温や鼓動が背中越しに伝わってきて、知ってはいけないものを知ってしまったような妙な気分になる



「なあ、ユノってば…」

「一日でも良いから、俺だけの…」

「俺だけの、何?」

「俺だけのチャンミンになって…」

「…っ……」



ドキッとして固まった
ごくん、と唾を飲み込んで、速くなる鼓動に戸惑いを覚えた
猫のチャンミンに言っているのか、あの世界の僕では無いチャンミンに言っているのか、それとも…



「分かんないよ、もう…」



何かに縋りたくなって、腹に回されたユノの手を掴んでぎゅっと握った
びくっ、とその手が震えたから反射的に手を離したら今度は追い掛けてくるように掴まれて…



「うわっ…!」

「チャンミン?!あれ、俺いつの間に寝て…え?夢?!」



掴まれたと思ったら、今度はまた直ぐに離された
それだけで無く慌てた様子で飛び起きたユノは僕のベッドの端っこで『まずい』という表情



「『俺だけのチャンミンになって』って何?」

「え?あれ、チャンミンが猫じゃない…」

「え!!やっぱり『あれ』って夢じゃ無かったの?!」



ふたり共焦って声が大きくなってしまった
そのまま固まっていたら、扉の外から
「もう深夜だから静かにしなさい」
と母さんの声

頬をつねってみたら痛かった
猫になった時も痛かったけど、ならば全てが現実なのか
枕元にあったスマートフォンを手に取ってみたら、覚えている一番最後の時間…のほんの数時間後の深夜だった



「やっぱり夢…?
なら、どうしてユノが部屋に居て僕を抱き締めてるんだよ」

「チャンミンがどんな夢を見たのかは分からないけど、その…」



もうすぐ高校三年生、の春休み
明日、いや、今日も休みだから夜更かししたって問題無い
会話も出来るようになったから、謎解きをしていこうと思う

ユノを前にすると収まる事の無い胸の高鳴りについて、も含めて













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読んでくださってありがとうございます
忙しさで早速(目標の)毎日ペースでは無くなってしまいましたが…久しぶりのお話、個人的にはとても楽しく書いています
最後までお付き合いいただけたら幸いです猫

読んだよ、のぽちっもお願いしますドキドキ
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