真面目な事が取り柄
だって、自分が面白味の無い人間だって事はもうこどもじゃ無いんだししっかり分かっている

人望だとか周りへの優しさだとか
周りを惹き付ける魅力だとか
そんなものが有れば、こんな風にはならなかっただろうけど…
残念ながらそうでは無かったから、やればやるだけ結果が出る勉強に真面目に取り組むしか無かった



小高い山の上にあるその名も『山の上ホテル』
従業員の多くは近隣に生まれ育ったひと、らしい
都会から敢えて志願して就職するようなひとはとても珍しいと言われている

でも、それなりに一流と言われる大学で、この厳しいご時世でも一流企業から複数内定をもらっていた僕は、このホテルを就職先に選んだ



「たまに、シムみたいなやる気のある人材が都会から来てくれると、僕達の士気も上がるし刺激になります」

「そんな…」



研修一日目から、色々な事があった
あった、なんてまだ終わってもいないのだけど



元々、ここに来れば大学時代に片想いをしていて…
二年前、彼が卒業して会う事も、連絡を取る事すら無くなっても変わらずに好きだったひとに会える事が分かっていたから緊張していたのだけど
実際に再開して、そうしたら信じられないような事があって、ここだけは自信があると思っていた僕の頭はもうパニック状態
冷静でなんて居られなくて、途中からほぼ記憶が無いくらい



真面目だけが取り柄だと思っていたのに、仕事に集中出来なかったどころかいっぱいいっぱいで記憶があまり無い、だなんて最悪だ

けれども、今年の新入社員が僕だけ、だったからか
時折研修中の僕の様子を見に来ていた支配人は
「初日から頑張ってくれてありがとう」
なんて言ってくれた



「シムと同じ大学出身のチョンがやって来た時の事を思い出すよ
あの時も、我がホテルに新しい時代が来た、なんて皆で話していてね」

「…っ、チョン先輩…!っ、あ、取り乱して申し訳ございません
彼は僕が尊敬するひとで…」



研修一日目の勤務時間は朝から夕方まで
その定時が後少しに迫った時、ユノヒョン…いや、チョン先輩について館内を案内してもらっていた僕は、支配人に呼び出された



リネン室での『あんな事』が無ければ、折角再会出来たチョン先輩と離れ離れになるだなんて嫌だ、と内心思っていたかもしれない
でも、今は少しほっとしている
だって、生まれて初めてのキスが就職初日の勤務時間中、しかも…
好きで好きで、毎日のように夢に見る、約二年ぶりに再会したばかりのひとから、だったから



「シムは、面接の時も隙が無いくらいだったのを覚えているよ
真面目で隙が無いのは良い事かもしれない
でも、ここには色々なお客様がやって来るからね
少しくらい取り乱して人間味を見せてくれた方が僕達は嬉しいよ」

「人間味…」

「らしさ、かな?
素顔を殻で覆って隠してしまったなら、それはお客様にも伝わります
勿論加減は必要だけど、時にお客様と同じ目線でこのホテルで働いて欲しい
君ならきっと、良いホテルマンになるよ」



「チョンがそうであるようにね」
と言われて、彼の名前が出てくるだけでまたどきどきして、気が気では無くなってしまいそう



「そう言えば…シムを採用する時、チョンと同じ大学だったから彼にも話をしたんだ」

「え…」



驚いて思わず声を上げてしまった
穏やかな支配人は、そんな僕を見てまた
「君はチョンの事になるととても表情豊かだね」
と言われてしまった

それは、僕が彼に長い間片想いしているから
彼は夢も目標も無かった僕の指標で目標で…
特に、彼の卒業後の二年間はずっと
『同じホテルに就職したらもう一度会える』
『そうすれば、勇気を出せるかもしれない』
なんて、ひとりでひたすらに思い続けて来たから



「チョンに君の事を話したら、驚いた顔をして取り乱してね
そのくせ、同じ名前を知っているけど同姓同名の別人じゃあ無いかって疑っていたんだよ」

「取り乱す……チョン先輩が、ですか?」

「ああ
こんな事有り得ない、だとか、まさか知らずに偶然…だとか
そんな事を言っていたかな
何かあるのかな、とも思ったけど、君がこうして『山の上ホテル』にやって来る日が近付くと珍しくそわそわしていたんだ
チョンのあんなに嬉しそうな顔は見た事が無くてね
心配する事は無いのだと分かったよ」

「え…」



彼の卒業後、一度だって連絡出来なかった
弟のように可愛がってもらっていたのに僕は恩を仇で返すような、良くない後輩だったと思う
なのに、チョン先輩は僕が同じ場所に来る事を知って喜んでくれていただなんて知らない

朝、挨拶した時だって反応は薄かったし、拒まれているとは感じ無くとも、以前のような笑顔はあまり見られなかったのに



会いたい気持ちだけが先行してしまったけど、呆れられていたって仕方無い
なのに、まるでユノヒョンも僕に会いたいって思っていてくれたみたいだ



「…あの……っあ…」



何を言おうとしたのか、自分でも分からない
でも、もう少し話を聞きたくて支配人に声を掛けた瞬間、こんこん、と扉がノックされた
支配人がどうぞ、と声を掛けて、僕は外へ出た方が良いのだろうかとまだ当たり前に慣れない場所でそわそわしていたら…



「俺もシムも、今日の仕事は終わり、ですよね?
初日から新人に残業…なんて事になれば大変です
俺がこのまま退勤方法も教えます」

「…っ…先輩…」



振り向くのは失礼かな、と誰がやって来るのかを確認せずにいたら、肩をぽんと叩かれて固まった



「丁度、明日からも宜しく頼むよと伝えて彼を解放するところだったんだよ
やはり、シムには何だか…
君達が楽しんで仕事をしてくれるなら何よりだ」



支配人の言葉に、ちらりと左側に立った僕の好きなひとを見たら、僕の視線から逃げるように目を逸らされてしまった



また、だ
支配人と話して少し落ち着いたのに…
ユノヒョンがやって来ると、リネン室での出来事を、触れた唇の温もりや頬や髪の毛を撫ぜる手のひらの感触を思い出してしまって心臓が一気に鼓動を速くする



「シム、行くぞ」

「あ…っはい、あの、お疲れ様でした
明日からも宜しくお願い致します!」



肩から手が離れたから頭を下げて支配人に挨拶をして、もう扉の方へと向かっていたユノヒョン…
いや、チョン先輩を追い掛けた



『勤務時間外に俺への気持ちを白状したら』
彼の何か、を教えてもらえるのだと言われた
誰も居ないリネン室で、勤務時間中にキスをされて腰が砕けそうだった
あまりにも片想いが長くて、会わなかった期間も長過ぎて、僕は何か自分に都合の良いように考えてしまっているのだろうか

だって…彼にとって僕は、慕ってくる後輩のひとりだった筈だから



「シム、のんびり歩いていないで入って」

「え……あれ?…っあ、はい!」



彼の直ぐ後ろを歩いていた筈なのに、ぼんやりしていたようだ
声に顔を上げたら目の前にチョン先輩が居なくてきょろきょろしていたら、廊下の先の扉を開けているチョン先輩

「更衣室、朝も使ったんだよな?忘れたのか?」
と、数メートル先の彼に言われて、小さく首を横に振った



扉を開けて待ってくれている彼の元へと急いで更衣室のなかへと入ったら
「忘れても、また明日この場所に案内してやるよ」
と、背中側から聞こえた



これが大学の頃なら、素直に頷いたりありがとうございますって言えた筈
でも、何だか…
やっと会えたのに、二年ぶりなのに
舌を絡ませるようなキスだってされたのに

いや、キスをしてしまったからだろうか
気持ちを教えてくれないままのチョン先輩に、どうして良いのか分からない



「シムのロッカーは?」

「えと…奥の方です」

「そう
俺はこっちだから」



キスをされて、一気に近付いたって思った
まるで、僕達は両想いなんだって思うような事を言われた
僕を見る瞳が確かに熱かった

でも、今の気分は何だか…
まるで、天国から地獄



「今日ずっと、チャンミンって呼んでくれていたのにな…」



キスをしてくれた時は優しかったし、見た事の無いような顔を見られたと思って嬉しかった

『ふたりきりの時はユノヒョンって呼んで良いよ』
と言ってくれていた彼の元を離れて支配人の元へ行った後はもう…
何だか、他人のように余所余所しい



「…他人だけどさ…」



正直、勉強は得意だけど恋愛は分からない

何時まででも好きでいる事は簡単、と言うか忘れられ無かった
でも、誰とも付き合った事が無いし、駆け引きめいた事も分からない
キスで期待してしまったけど、ユノヒョン…
いや、チョン先輩にとって特別な気持ちなんて無いのかもしれない



「むしろ、久しぶりだからって最初は笑ってくれていたけど…
良く考えたら、僕と一緒に仕事だなんて勘弁って思ったとか?」



黒い制服を脱ぎながら、少し離れたチョン先輩には聞こえないように呟いた
それから、覗き見しているのがばれないようにこっそり彼の方を見てみた



数メートル離れたロッカーの前で着替えるチョン先輩は、大学の頃よりも少し逞しくなったような気がする
何か運動だとかトレーニングをしているのだろうか
制服だと細く見えるけど、着痩せしているようだ

すっきりとした目元や鼻筋、小さな顔と頭
ホテルの制服は首まで詰まっているから肌は殆ど露出しない
その制服を脱いで露わになったインナーの下に隠れている背中はとても男らしかった



「……っ…!」



背中を向けているから安心していたら、突然こちらを振り向いてきて心臓が飛び跳ねた



「チャンミン、そんなに見てたらばればれだけど?」

「えっ…見てなんて…」



Tシャツの上から薄手の長袖ニットを着る、そんな仕草すら格好良い

この二年間は大学時代に撮った、スマートフォンの写真のなかの彼だけを見て過ごしていた
僕の頭のなかでは、何時までも大学に居たユノヒョン
でも、ホテルマンの彼は何だかとてもおとな



「えと…着替えなきゃ…」



顔を背けて、言い訳するように呟いて急いで着替えを再開した
もうユノヒョン…
いや、チョン先輩の方を見ないようにして急いで着替えていたら、足音がゆっくり近付いて鼓動が速まる

あれ、だけどさっき、彼は僕を
『チャンミン』
と呼んでくれて…



「『この先を知りたかったら、勤務時間外に俺への気持ちを白状する事』
…俺が昼間言った言葉を覚えてる?」

「……っ…何の事、ですか…先輩」



ついさっきまで、少し不機嫌なくらいにも見えたのに
チャンミンって二年前と同じように呼んでくれて笑顔を見せてくれて…
キスまでしてくれたのに、そんなのが嘘のように
『シム』
と素っ気無く呼ぶから、全ては僕の勘違いだって思ったのに…



「先輩、じゃ無くてユノだって言っただろ?」



僕の首筋に大きな手のひらがそうっと触れる
『何の事ですか』なんて言ったけど、忘れる訳なんて無い
ずっと、リネン室でのチョン先輩と、その後のチョン先輩の事が頭のなかでぐるぐると回っているのだから



「チョン先輩って呼ばなくても良いんですか?」

「名前で呼びたくないならそれで良いよ
チャンミンがそれを望むなら」



チョン先輩は、ユノヒョンは狡い
僕を幸せな気持ちにさせたり、悩ませたり
何時まで経っても僕の心を全て奪ったまま、会えなくてもそのま
まで…
キスをしたかと思ったら余所余所しくなるし、それに怯えて嫌われたのかと思っていたら今度はまたリネン室のなかで見せた顔を僕に見せるのだから



「…っあ…」



かちっとしたホテルの制服から着替えたスウェットパーカーの上から腰を撫ぜられて、びりっと甘い電流が走ったような感覚
山の上ホテルでのユノヒョンは、知らなかった顔を次々と僕に見せている



勤務中にリネン室に連れ込まれて、キスをされた
そして…
僕の気持ちに気付いていて、その気持ちを伝えられるのを待っていたのだと言われた
彼が僕の気持ちを知ってどう思っているのか、は教えてくれないまま



ずっとずっと好きだった
会えなくても好きだった
噂で元気に働いていると聞いて、会える日をただ楽しみにしていて…
勝手な片想いを諦め切れないまま同じ就職先を選び、研修が始まったらユノヒョンが僕の教育係になって、それだけで幸せだった



傍に居れば気持ちを伝えるチャンスが何時か来るかも、と思った
でも、まさか初日にキスをする事になるだなんて思っていなかった



「初日で疲れただろ
近くに良い場所があるんだ
このまま温泉にでも入るか?」

「え…あ、はい」



触れられて、意味ありげな瞳で見つめられて
付き合った事も無ければ、ユノヒョン以外に本気の恋をした事も無いから彼の真意がやはり分からずに戸惑っていたら、触れていた腕は僕から離れて
「早く着替えて温泉に行こう」
なんて言って微笑む



ロッカーのなかの荷物を纏めてリュックを背負ったら
もう更衣室の扉の前にいたユノヒョンはおいでと言うように手招きをしている



「温泉、久しぶりかも…じゃ無くて、ええ…」



ユノヒョンまで数メートル
歩き出したところで、温泉という事は裸の付き合いで…
と思い至って固まった



「チャンミン、右足と右手が同時に出てる
どうしたんだよ」



どうした、なんて…
好きなひとに言う台詞では無いし、実際には言えないし言わないけど、全部ユノヒョンの所為

何年経っても会えないままでも僕の気持ちを全て埋め尽くしてしまうのも
再開してまた普通に…
と思ったらキスをして僕を振り回して、もしかしたら、なんて期待していたら今度は突き放したかのように余所余所しくなって
ユノヒョンも僕の事を…なんて思いはやはり勘違いだって思っていたら、また僕を見て優しく微笑む



「チャンミンに言いたい事が沢山有るよ
チャンミンは?俺に何か言いたい事が有るんじゃあないか?」



何を言えば正解か分からない
自分で言うのも何だけど、片想いのプロだと思う
でも、恋は知らない

また突然、ユノヒョンは余所余所しくなるのだろうか、と思いながら…
でも、拒まれる事が怖くても、自分の気持ちを伝えたいと思ったから頷いた



「うん、ちゃんと元に戻った
まあ、さっきの歩き方も可愛かったけど」



優しく微笑んで、また冷たくなるなら…
優しくしないで欲しい、なんて思わない
そんな風に思える余裕すら無い



リネン室でのキス、の後のパニックは収まったけど、今度は温泉に入る事を想像したら走り出して叫びたくなるような気分で…



「俺のとっておきの場所があるんだ
歩いて行けるから、このまま行こう」



二年以上ぶりに見る、だけど記憶のなかの姿よりももっとおとなっぽく格好良くなった私服のユノヒョンをちらちらと横目で見ながら、だけど見ていない振りで隣を歩いた










前後編のつもりだったのですが、後半が長くなって収まりきらなくなってしまったので、後1話だけ続きますショック!
お話のやる気スイッチになるので、続きも読んでくださる方は
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