チャンミンは二日に一度は父の部屋で彼から直接帝王学を学ぶ
つまりは、領主として土地と民を治める為に必要な術の事
実の息子である俺だって、忙しい父に直接、だなんて…
なかなかそんな贅沢な事はさせてもらえないのに
そんな気持ちも確かにあるのだけど、それ以上に大きな気持ちがある
つまりは、チャンミンが父とふたりきりで部屋に閉じこもる、という事実は心を掻き毟るような焦燥感となって俺を覆うのだ



チャンミンに具体的に何をしているのかと尋ねてみたら、最近は専ら父の蔵書を読んでいるくらいで、後は他愛の無い話をしているのだと言う
詳しく聞いてみると、チャンミン自身も彼の領地で幼い頃から帝王学は学んでいて、俺の父からも
『素晴らしい知識を持っている』
とお墨付きをもらったそうだ
だから、まだチャンミンの知らない我が領地の歴史だったり、彼の父が治める隣領地とのこれ迄の歩みと歴史のような事を聞いて学んでいるらしい



そもそも、チャンミンの生まれ育った領地は我が領地よりも貧しく資源も少ない
だから、我が領地に助けを求めて来て…
時期領主であるチャンミンは支援と引き換えにまるで人質のようにこの地にやって来た

隣領地の次期領主がやって来るのだと父から聞いた時、その彼…
つまりチャンミンは父の玩具のようになるのだろうと察した
次期、とは言え確実に隣の地を治める事になる男を我が領地の主が抱いて支配する
支援の為となればチャンミンには断れないし、こちらからすれば名実共に上に立てるし恩を売る事が出来る
それはとても理にかなっている事で、若くて美しいチャンミンならではの『仕事』だとも思う



けれども、不思議なのだ
いや、俺にとってはこれで良かったと思える事だけれども、事はそう単純では無いだろうし…
父の思惑が一体何なのか、それが分からないから少し恐ろしい



チャンミンはこの屋敷にやって来たその夜に父に抱かれた
彼自身が身体を差し出す覚悟をしていて身体も準備していたのに、父は
『抱かなくても良い』
とチャンミンに声を掛けたらしい

チャンミンはそれでも大丈夫だからと父に伝えて自らの身体を差し出した
父は冷酷な訳では無いけれども常に我が領地の事を考えている
何が必要で何が我が領地の為になるのか、を考えている
そんな彼が、外見も気に入っている様子のチャンミンを前にして優しさを見せた事が俺には不可解だし、結局その一度だけしか抱いていない、それも不可解で不思議なのだ



大切な客人のように丁重に扱われている、とまでは思わない
けれどもチャンミンはまるで家族のように暮らしている
部屋は少し日当たりが悪いし、彼がやって来た日は黴臭かった
けれども俺と同じように綺麗な衣装を与えられて俺達と同じテーブルで同じ物を食べる
そして、父から色々な知識を仕入れて勉強をしている
自由に街に出る事も出来るし、自ら彼の領地に帰る事が出来ない以外は、特に何かを制限されている様子も無い

それでも、チャンミンがこの地に、この屋敷に居るという事だけで少なくない支援が隣領地にいっているらしい



「…父上は何を考えているのですか?」

「急にどうした?ユンホ」



父の部屋に一礼して入ってから、奥の椅子に座るこの地を統べる領主に失礼を承知で尋ねた



「チャンミンは人質のようなものでは無いのですか?
何故一度抱いただけで自由にさせて、多くの支援を?」

「チャンミンの事はユンホが自由にしているのだろう?
ならば老いらくの私の出る幕では無い」

「何を…」



父はまだまだ若い
だから、老いらく、だなんて冗談か謙遜か…
もしくは、俺を何か試しているのかもしれない



「俺の事は関係有りません
父上が領主で全ての決定権がある
俺がチャンミンと…何かあったとしても、領主である父上には何の得も無いではないですか」

「隠す必要は無い、皆分かっているのだから」

「…っ…父に相手にされない可哀想な男の相手をしてやっているだけです
普段抱く相手とは毛色が違うから…」



父は、俺達が抱き合っている事を知っている
だけど、恋仲のようなものである事は知らない
男同士の恋は禁忌、その上俺達はそれぞれの領地の跡継ぎ
例え天地がひっくり返ろうとも、特別な感情を抱く事なんて許されはしない
だから、俺達は互いにふたりきりの場で無ければ今の関係を悟られないような態度を取っている

父の事は尊敬しているし、何でも話す事が出来る
だけど、これだけは言えない
チャンミンに恋をして、初めて父に対して秘密を持った



「あの男は俺の暇潰しです」

「そうか
そのようにして、ユンホは私に己の気持ちを話そうとはしないのに、私の考えは知りたいと言うのか?」

「父上、俺の気持ちなど、あの男には何も…」



重厚な机に両手をついて父をじっと見た
けれども、椅子に座りこちらを見上げる父に心の内を見透かされてしまいそうな気がして顔を背けた

隠す事なんて簡単だ
そう思うのに、芽生え自覚して、そして日々膨らむ気持ちに上手く蓋をする事が出来ない



「俺は…」

「まあ良い
ユンホは私と似ているし…チャンミンは彼の父に似ている
以前もそう言っただろう?
彼の父も昔この屋敷に滞在していた事があった
今はもう、互いに守るべき領地が有るからそんな事は叶わないが…」



恐ろしい訳では無い、けれども威厳のある父
俺をじっと見透かすように見ていた彼の表情が何故か途端に優しくなった
こんなにも穏やかに語る事は珍しい
だから、その心の内を知りたくてもう一度父を見据えた



「彼の父と父上にも交流があった事は聞いています
それが今のチャンミンと何の関係が…」



いや、そもそも話をまるですり替えられているようだ
何故人質のようなチャンミンに多くの自由を与えるのか
勿論、虐げる必要は無いのだろうけど…
多くの支援と引き換えにするには、十八歳の次期領主の身一つではあまりに軽いと思えるから

勿論、だからと言って、今更みすみすチャンミンの身体を父に渡したくは無い
けれども、もしも父が望めば…
この地の最高権力者である彼に逆らう事は、次期領主の俺にも不可能な事
渡したくなんて無い
けれども、何故父はもうチャンミンの身体を支配しないのか
それが気になって仕方無いのだ



父の全てを見透かす視線に負けないように、もう一度彼を見据えたら、父はふっと笑みを浮かべてから
「そうだな…」
と口火を切った



「言うなれば、チャンミンの父親には個人的な借りがある
だから、それを返しているだけだ」

「借り…?そんな話は聞いた事が…」

「これは私とユンホだけの話だ
チャンミンにも、誰にも話さないように」

「話すも何も、借りとは一体どういう事なのですか?」



答えを聞き出したくて尋ねても、微笑むだけ
結局、それ以上何も、納得の出来る答えなんて貰えなかった
けれども、父の私情のようなものが確かに何かあるようだ
そして…



「ユンホが今こうしてチャンミンに惹かれる気持ちは良く分かる
私とユンホは似ているし、彼の父とチャンミンは似ているからな」

「…え…」

「さあ、今から仕事が有るのだ
時間が迫っているからひとりにしてくれないか」

「あ…はい…」



もうこれ以上は何も言うな、という雰囲気
逆らう事など出来る訳が無いから、頭を下げて部屋を後にした



「最後の…それは話しても良い、のか?」



閉めた扉に背中を預けて呟いた

チャンミンの父に何かしらの借りがある事
それは秘密だと言われた
けれども、最後に言われた言葉が父の本音に思えた
彼は確かに、俺がチャンミンに『惹かれる』その気持ちが分かると言った
恋、とは言われていない
けれどもまるで、父もその気持ちを経験しているようでは無いか



「…いや、決め付けても…」



父と俺、チャンミンの父とチャンミン
それぞれがどれだけ似ているのか…
そんな事、分からない
けれども、例えどれだけ似ていたって俺は俺だし、チャンミンはチャンミン
父親と同じ人間では無い
俺の気持ちは俺にしか分からないし…
今の俺の気持ちを一番解るのは、きっとチャンミンだ

だから父に俺の気持ちが分かる訳なんて無い
父の言葉を掻き消すように頭を振って、俺とチャンミンの部屋が有る二階へと階段で降りた



「チャンミン、入るぞ」



一応、扉を拳で叩いて合図をして…
いや、そうして間髪開けずに扉を開けた



「…っうわ…」



途端に、ぶわっと風が舞ってきて思わず目を瞑った
どうやら、部屋の奥の窓が開いているようだ



「…僕が返事をしてから入ってきてくれとあれ程…」

「俺達の仲だから良いだろう?」



顔を見ただけで心が穏やかになる
頬が緩みそうになるけれども、それを堪えながら微笑んだ

がたん、と少し慌てた様子で椅子から立ち上がったチャンミン
どうやら机に向かって何かを記していたようで、こちらを見ながら机の上で忙しなく手を動かしている



「何をしていたんだ?」



後ろ手で扉を閉めて鍵をかける
ゆっくりと足を進めながら机に視線を投げかけた
どうやら紙とペンがあって、本を広げている様子は無い



「勉強…という訳では無さそうだけど…」

「…夕方まではひとりにして欲しいと言った筈だ」



チャンミンは机を背にして立って、更に後ろ手で机の上に手を付いて、まるで何かを隠すようにしてこちらを見てくる
お互いにしか言えない気持ちを共有し始めてもう、十日は過ぎた
最近はもう、以前のように彼に警戒される事なんて無い
だから…



「チャンミンは分かり易いな」

「何……っあ、ちょっと!ユンホ!」

「しいっ、窓を開けているし上の階には父も居る
今は大切な仕事中で…五月蝿くしては駄目だよ」



恋仲になったのに壁を作られる事が面白く無い
上手く隠しているつもりなのか分からないけれども、机の上で裏向きにされた紙を手に取って見た



「それは…!」



チャンミンが慌てていた様子が直ぐに分かった
そして、チャンミンへの想いを自覚してから初めて知った嫉妬という感情が俺を包む
この感情は、上手く自分で制御する事が出来ずに厄介なのだ
父の前では何とか閉じ込める事が出来たって、ふたりきりではもう駄目だ



「…ああ、手紙か
なかなか彼女への手紙は書けないと言っていたけど…
俺に愛を囁く裏では隠れて…
こんなに熱烈なものを書いていたとはな」



まだ、冒頭少しだけしか書かれていない手紙
けれども、それが彼の領地に残してきた許嫁の彼女へのものだという事は直ぐに分かった



「『いつも大切に想っているし、早く逢いたい』
…へえ、そうなのか?」

「……ユンホ…返してくれ、お願いだから」



困ったような言葉だけで、手を伸ばして無理矢理奪い返そうとはしないから、手紙を持ったまま彼のベッドに腰掛けた



書き出しは何だか固い挨拶だった
そして、元気にしているか、だとか不自由はしていないか、とか
その後は、新しい場所で正しく暮らしているから心配をしないで欲しい、とも書かれている

例えば恋しくて堪らない、だとか狂おしい程に好きだとか…
そのような言葉は無い
ただ、大切に想っていて早く逢いたい、とだけ
けれども、まだ空白は沢山有るから、彼女への愛を告げる言葉は…
俺がこの部屋に訪れる事が無ければ順調にこの後ろにも綴られていたかもしれない



「ユンホ、もう読んだだろ
見せるつもりも無かったし…
既に何通も手紙を貰っているから、流石に返事をしなければならない
だから…返して欲しい」



俺の前に立って身長の割に小さな右手を伸ばしてくる
ちらり、と視線だけでチャンミンを見たら目が合って瞬間困ったように眉を下げる
後ろめたいのなら、部屋に鍵を掛けておくなりすれば良いのに
勿論それでも開けるけれども…
まるで、見られても問題無い、だとか…
俺の事はどうでも良いみたいだ

ああ、だから俺は今こんなにも腹がむかむかするのだ



「俺に何か言う事は?」

「…ユンホに…抱いている気持ちは一切彼女には無い
言っただろ、恋なんてしていなかったのだと」

「口では何とでも言える
実際に手紙には『大切だ』と書かれているのに?」

「それは…っ…」



分かっている
俺も、チャンミンも、この関係は誰にも言えない
悟られてはならない
だから、今まで通りを装っていなければならない
この地にやって来て禁忌を犯しているだなんて事は絶対に知られてはならないのだから

だけど、また知ったばかりの恋というこの感情はままならない
分かっていても、許す事が出来ない



本当は握り潰したいくらいのこの手紙を受け取る相手は、何れチャンミンを手に入れる
俺はチャンミンの気持ちを手に入れた筈なのに、彼自身を手に入れる事は出来ない
それを思うと引き裂かれるくらい辛い

全ては足りていて、満たされない事なんて無かったのに
違う、満たされていない事にすら気が付いていなかったのに



「なあ、俺だけなのか?
分からないし、不安なんだ
だから言葉にしてくれ」

「……」



手紙を半分に折って差し出した
チャンミンはそれを受け取って…
そして、ぐしゃりと握り潰した
それを見てぞくぞくする、俺はおかしいのだろうか
だから、この恋は禁忌なのだろうか



「…ユンホが好きだ
彼女に気持ちなんて微塵も無い
だから…手紙もあれ以上書く事が出来なくて、苦しいんだ
もうずっとこの紙に向き合っていた
だけど気持ちが無いから…」

「チャンミン…」



唇を噛み締めて俯く姿も美しい
苦悩しているのは俺を愛しているから
そう思うと、身体は勝手に動いて、ベッドに腰掛けたままチャンミンを抱き締めていた



「…っあ…」

「あはは、軽いな」



腕を伸ばして抱き寄せるようにしたから、バランスを崩したチャンミンは俺の上に乗っかるようにして崩れてきた
そして、彼の手のなかにあった『手紙だったもの』は床に落ちた



「チャンミン…」



背中をベッドに預けるようにして後ろに倒れながらチャンミンの腰を抱いたら、鼻にかかった甘い声を漏らす



「ユンホ…」

「…窓が開いているから声を出さないように」

「ん……っ…」



唇を重ねると、直ぐに薄く開く
舌を差し入れると直ぐに彼の舌が絡み付いてくる 
触れれば触れる程にぴったりとはまるような感覚
どんなに経験のある娼婦を抱いたって…彼以外には感じた事が無い



「チャンミンが好きだ…こんな気持ち、今まで知らなかったんだ」

「…ん……離れたく無いよ…
手紙を書いていてももう、ユンホの事しか考えられないんだ」



真面目なチャンミンは、心に無い事を書く事に苦しんでいる
それを分かってはいても、文字で見ると心が苦しくなる
握り潰された手紙は、けれどもまた新たな紙に書かれて…
何時か、確実に許嫁の元へと届くのだろう
だって、それはもう真実では無くても
『チャンミンは許嫁を大切に想っている』
のだから

嫌だと言いたい
嘘でも俺以外の誰かを大切だと言って欲しく無い
ままならないこんな気持ちが自分のなかにあっただなんて知らなかった



「離れないでくれ…お願いだから…」



言葉にはしても、無理だと本当は分かっている
だって、俺達は幼い頃から次期領主として育てられてきたから
自分の意思、自我なんて決して持ってはならない
俺達は民と領地の為に生まれてきて、その為に生きていく
それが定められた運命なのだ

けれども、俺達は運命に逆らって自我を持ってしまった



「…ん、…っふ……」



仰向けになった俺に覆い被さるチャンミン
彼が俺の胸に手を置いて、キスをせがんできた
それが嬉しくて、息が出来ないくらいに激しく応えた
いっそ、このまま息が止まってしまえば幸せかもしれない、なんて思った



「…っ、あ…っ、ん…」

「チャンミンはキスが下手だな」

「…慣れて無いんだ……あ…手紙…」



唇を離して赤くなった顔を見上げたら、チャンミンは右手を見つめた
どうやら、落としていた事にすら気が付いていなかったようで、左手で床を指差したら彼は落ちた手紙…だったもの、を見てから視線を逸らして俺に助けを求めるような視線を投げ掛けた



「またいつか…ゆっくり書けば良いよ」

「……」



初夏の風が吹き込んで、チャンミンの向こう側で手紙がふわりと舞ったのが見えた
あの紙に記されていたチャンミンの言葉には心が無い
それを分かってはいても、形として残る事が許せないくらいに嫉妬した
ぐしゃぐしゃに丸められて落ちて、そして風で簡単に舞う

それを見て漸く少し安堵した
心が通じ合っていても穏やかになれない
恋とはこんなにも厄介なのか



「…会いたかった」

「昨夜も、朝も顔を合わせているのに?」

「ああ」



チャンミンは俺の言葉に柔らかな笑みを浮かべて、俺に身体を預けるように抱き着いてきた



父と俺は似ている
そして、俺がこうしてチャンミンに惹かれる気持ちが分かるのだと言う
父は、やはりチャンミンの父親に恋をしていたのだろうか
だから、チャンミンの事を抱いたのだろうか



チャンミンの初めてが俺では無い事が苦しい
恋は俺を、俺達を苦しめるのだろうか
けれども、こんなにも彼が愛おしい



「ユンホ?どうかしたの?」

「…いや、愛しているよ」



この言葉が適切であるのか、未だ分からない
だって、俺達は恋を知らなかったから
だけど、俺だけのものにしたい



「僕も愛しているよ」



許嫁には、文字ですら言えないのだという言葉
けれども、俺にはもう、何度も告げている
俺の傍で微笑むチャンミンを見ると心が満たされる

この恋に、ふたりで居る事に…
未来が無い事が怖い
だけど、触れ合っていればそれを忘れられる
俺達だけの世界のなかに存在する事が出来るのだ
だから今はまだ、未来を見たくは無い















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